インド、感染者200万人突破も、帰省した息子のノー天気さが刺激(33)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年8月25日】8月8日、インド全土の感染者数が200万人を突破した。ミリオン超えからわずか20日でさらにミリオン追加、アメリカの43日、ブラジルの27日と比べても、最速で倍増したことになる。

Coco壱番屋のインド店の外観(イメージ画像)。インド店では、牛肉がタブーのヒンドゥー教徒と、豚肉が禁忌のイスラム教徒に配慮して、チキンカツがメイン。同店は海外ではハウス食品との合弁で186店展開中(国内は1301店)だが、本場カレー大国・インドで果たして、どこまで受け入れられるだろうか。

8月9日現在の全土の感染者数は209万人(回復者143万人、死者4万2518人)、ワーストのマハラシュトラ州(Maharashtra、49万人)が50万人を突破するのも時間の問題となってきた。

すでに何度もお伝えしてるようにインド東部に感染が広がっており、2位のタミルナドゥ州(Tamil Nadu、28万5000人)に次いで、3位のアンドラプラデシュ州(Andhra Pradesh)は20万人を突破した。5位のデリー(Delhi)は頭打ちで、14万3000人(回復者12万8000人、死者4082人)、実質的な陽性者数は1万5000人で、これはわが居住州・オディシャ(Odisha、実質陽性者1万5364人、回復者3万0242人、死者272人)より少ない。一時期感染爆発が懸念されていた首都は、封じ込めに成功したといえよう。

東南のアンドラプラデシュ州に続いて、北隣の当州の感染拡大が憂慮され、1日の感染者数が1600人から1800人の間で推移、デリーやグジャラート州(Gujarat)を抜いてしまった。

アンドラプラデシュ州の次は、ビハール(Bihar)、オディシャと言われていたが、いよいよ予想通りになってきて、もうプリー(Puri)が安全地帯でないことに神経を尖らせる毎日だ。

2カ月前は当州はコロナ制御に成功した模範州と褒められていたが、80万人もの移民労働者の流入や、州外からの帰省者で急増、検査数が3000回から5000回と少なかったのを1万回以上に増やし、対処に大わらわである。移民労働者を引き上げた際に、検査数を増やして対処すべきだったのに、遅れを取ったことが今になってマイナスに響いているようだ。
2カ月後にテーブルはひっくり返され、オディシャが、レッドゾーンのデリーやグジャラート州を抜いてしまう顛末に至るとは、その時点では誰も予想しなかったことだ。

こんな最悪状況の中、現在、実家に避難中の息子(職業はラップミュージシャン、芸名はRapper Big Deal)が、我が家のリビングでラップソングのロケを敢行、マスクもせずに撮影隊と密に声高にディスカッション、さすがの私も切れてしまった。撮影中なので、面と向かって注意したわけでないが、無料アプリのワッツアップ(WhatsApp)のメッセージで警告を促した。

スター街道を走るラッパー、ビッグディール(Rapper Big Deal)。モハンティ三智江さんの息子だ。

どうも、インド人は警戒がゆるくていけない。もちろん、私は息子のキャリアのサポーターだが、何もオディシャが最悪の危機に瀕している非常時に、ラップ撮影しなくてもよいだろうと、危機感から一言注意せずにはおれなかったのだ。息子は日本国籍だが、インドで生まれ育っているので、メンタリティは完全なインド人、戻って以降、大人しくしていたのは隔離義務遂行中の初期くらいで、あとは緩みっぱなし、そのつど注意するのだが、聞く耳を持たない。

プリー・マニシパリティ(町)では実質陽性者は現在341人(死者4人)で、一昨日、州経営の銀行、ステイト・バンク・オブ・インディア(State Bank of India)の行員2人が感染、私が旅行者時代、よくドルや円の両替に通っていた銀行で、封じ込めゾーンとして密閉された。

こうした状況下、自分の身を守るには、慎重に慎重を重ねて、アウトサイダーとの無用な接触を避け、日本で言う三密状態回避、あとは免疫力をつける食事や運動、ということになる。

息子はおかげさまで、感染ワースト都市ムンバイ(Mumbai)から逃避できて、すでにひと月半がたつが、すこぶる元気で、実家では早起きに変わり、エネルギッシュに動く毎日だ。

浮世離れしたアーティストなので、コロナのことはほとんど気にかけず、電話での仕事の打ち合わせや、合間を縫っての作詞作曲活動に忙しい。9月には第2弾のアルバムもリリース予定だ。

未亡人の独り暮らしから、若い家族の一員が加わったことで、家の中は活気にあふれ出したが、息子の旺盛なエネルギーをフォローするのは、体調がいまひとつの私にはなかなかしんどいことだ。

それでも、頼りがいのある男の身内が戻ったことで、不安にさいなまれていた初期に比べると、暮らしぶりも落ち着いているが、長年同居経験がないので、老若の生活のリズムを合わせるのはなかなか大変だ。

しかし、コロナに負けずにがんばっているわが子にはインスパイアされることも確かだ。とにかく、彼の頭の中はミュージックで一杯で、ホテルが4カ月半も休業要請を強いられていることも、まったく懸念の材料でないのである。

能天気でいいなあと羨望のため息がこぼれるが、コロナと共存していくには、このくらいの鈍感さが必要なのかもしれない。私も楽天的なほうで、友人連中から昔よく能天気といわれたもんだが、年を重ねるごとに、神経質すぎる傾向が出てきているようだ。

外の騒ぎをよそに、自分のやることを進めるように努めているつもりでも、やはり知らず知らずのうちに影響を受けて、無用な心配をしたりしている。

なるたけ、外部の出来事に煩わされずに、内面を見つめなおし、今後の行く末を再考しようと、インナーワークに集中する日々だが、日本はじめの世界のニュースをチェックしていると、ついヘビーになってしまう。情報過多と思うが、現地より感染レポートを定期的に日本に送っているので、詳細にチェックせざるを得ない。

コロナ後の、しがらみから外れ、自由に軽やかに生きている自分をイメージし、つい深刻になりがちな自身を戒める昨今である。能天気な息子もいい刺激かもしれない。

●コロナ余話/グルガオン(Gurgaon)でココ(Coco)壱番屋1号店オープン

ユーチューブの動画で、8月3日、デリー近郊のグルガオン(サイバーハブのモール1階)に、日本最大のカレー専門チェーン、CoCo壱番屋(愛知県一宮市三ツ井6-12-23、0586-76-7545)の第1号店がオープンしたことを知った。本来なら4月開店の予定がコロナの影響で延びたとのこと。

初日の開業時刻12時には、店の前に行列ができ、日系企業の駐在員が多数詰めかけ、賑わったようだ。コロナ対応もばっちり、メディアも取材に駆けつけ、現地客も訪れたようで、日本カレーの初試食の感想は、本場と違うので人気が出るかもしれないと、悪くなかったみたいだ。感染拡大が止まらぬ中、明るいニュースで心が和んだ。

メニューは現地の需要に合わせて、マトンカレーや、ヴェジタリアン向けの菜食カレーも用意、価格は税抜き340ルピー(約480円)から495ルピー(約700円)と高め。

ちなみに、わが亡夫は、日本カレーはまずくて食えた代物じゃない、マクドナルドのビーフバーガーのほうがましとこき下ろしていたもんだった。

●コロナ余話2/商工会がインドへのチャーター便をアレンジ

8月5日、インドに進出する日系企業約450社からなるインド日本商工会が、インド政府からの特別許可を得て、初の羽田発チャーター便(日本航空)を運航、現地赴任予定だった駐在員はじめ170人が首都ニューデリーの国際空港に到着した。

グルガオンの日系企業向けに会計事務所を経営する女性は、半年振りに帰印を果たせ、不安の一方で仕事に復帰できる喜びを安堵とともに漏らしていた。

経済再開に向け、アンロックダウン(封鎖解除)を段階的に進めているインド、こうした動きはビジネス往来再開の追い風となり、暗い話題が席巻する中、朗報だ。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

8月18日現在、インドの感染者数は270万2681人、死亡者数が5万1797人、回復者が197万7671人、アメリカ、ブラジルに次いで3位になっています。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)

編集注:8月5日10時20分羽田空港発、デリー15時30分到着の日本航空のチャーター便は、日本発インド着の片道チャーターで、帰国便には使われなかった。運賃はビジネスで40万円強、エコノミーで20万円強で、インド発の往復航空券が使えないという条件下での運航だった。

インド入国後は、政府指定の隔離施設(ホテル2カ所があるが、各自が予約)に1週間滞在、その後1週間(合計2週間)は自宅などで自己隔離となる。ただし、国内移動はデリーのホテルでの1週間隔離後に可能となる。

また、日航はその後、8月19日、26日、29日とデリー発羽田行きの臨時便の運航が認可されたが、日本入国前14日以内にインドに滞在歴のある人は日本での入国が拒否される。

志門で北川規子、堤光子、吉川幸恵ら美術文化協女流画家が撫子展

【銀座新聞ニュース=2020年8月24日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル3階、03-3541-2511)は8月24日から29日まで「撫子祭り展’20-美術文化の仲間たち」を開いている。

ギャルリー志門で8月29日まで開かれている「撫子祭り展’20-美術文化の仲間たち」のフライヤー。4月に開催予定だった展示会なので、画像は当時の日程で制作されたフライヤーをそのまま利用している。

当初、4月13日から18日まで開催する予定だった展示会で、新型コロナの感染拡大に伴い、画廊を休業するため、開催を延期していた。

この「撫子祭り展」は今回が5回目で、「美術文化協会」に所属する女流画家27人が出品している。今回は椋野茂美(むくの・しげみ)さん、近藤頼有子(こんどう・ようこ)さん、八木泉(やぎ・いずみ)さん、北川規子(きたがわ・のりこ)さん、鶴岡慶子(つるおか・けいこ)さん。

長谷川宮子(はせがわ・みやこ)さん、志波美弥子(しば・みやこ)さん、栗野照子(くりの・てるこ)さん、斉木章代(さいき・あきよ)さん、寺岡(てらおか)ひとみさん。

片山久美子(かたやま・くみこ)さん、伊藤行子(いとう・ゆきこ)さん、伊沢寿子(いざわ・ひさこ)さん、村上(むらかみ)まゆみさん、直原清美(じきはら・きよみ)さん。

水こし町子(みずこし・まちこ)さん、中尾範子(なかお・のりこ)さん、上田真澄(うえだ・ますみ)さん、堤光子(つつみ・みつこ)さん、大和三枝子(やまと・みえこ)さん。

岡本真貴子(おかもと・まきこ)さん、山口裕美子(やまぐち・ゆみこ)さん、信岡和恵(のぶおか・かずえ)さん、西島好美(にしじま・よしみ)さん、柴田洋子(しばた・ようこ)さん、横山美知子(よこやま・みちこ)さん、吉川幸恵(よしかわ・ゆきえ)さんの27人。

美術文化協会は1939年に当時の独立美術協会、新造型美術協会、創紀美術協会、新日本洋画協会、ナゴヤアバンガルドクラブ、二科九室会などのシュルレアリスムを志向する前衛作家が集結し、銀座アラスカにて発会式が行われ、設立された前衛芸術家の団体だ。

1940年から公募展が行われ、戦争により、1941年から1944年まで文化統制され、画家が投獄されるなど抑圧され、会員の中には戦死者、戦病死者、病死者、住所不明者などが続出し、会員数が半減し、1945年の公募展は中止に追い込まれた。

1946年から公募展が復活し、1950年から東京以外でも開催され、1971年にデザイン部を新設し、1978年に創立40周年記念展を開催し、写真部を復活させた。1980年に第40回展を機に機関誌「美術文化」を復刊し、彫刻部を独立させた。

2011年に東日本大震災により宇都宮市で開催予定だった公募展を中止し、2012年から東京都のほか、名古屋市、京都市、2013年から大阪市、2015年から宇都宮市でも巡回展を開いている。現在、代表は 浅野輝一(あさの・てるかず)さんが務めている。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。当面、初日のオープニングパーティーは中止している。

注:「水こし町子」の「こし」は正しくは「さんずい」に「鹿」を合わせた漢字です。

注:「西島好美」の「島」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

ヴァニラ画廊でキジメッカ展、4月から創作を再開

【銀座新聞ニュース=2020年8月24日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル、03-5568-1233)は8月25日から9月6日までキジメッカさんによる作品展「キジメッ禍2020」を開く。

ヴァニラ画廊で8月25日から9月6日まで開かれるキジメッカさんの作品展「キジメッ禍2020」に出品される作品。

キジメッカさんは2014年から2020年3月まで創作活動を中止していたが、4月から活動を再開し、「じわりと迫る社会不安に、ムクムク抑え切れない創作意欲が励起された。そして調和が崩れる期待感」という中で描いた作品を展示する。

キジメッカさんは1967年東京都生まれ、16歳より独学で油絵をはじめ、大学法学部を中退、さまざまな職を経て、1991年にアメリカ・レーベルのノイズコンピレーションCD、ビデオアートコンピレーションなどに参加し、その後、創作活動をやめて会社員となり、2000年に創作活動を再開した。

2003年より国内外のグループ展に参加し、ヴァニラ画廊での個展は2004年から2015年の間に複数開き、「SMスナイパー」の巻頭連載を経て、2007年に劇場映画「探偵物語」内で作品が使用される。2014年に活動を中止し、再度会社員となり、2020年にコロナ禍による社会不安に触発されて創作意欲が出てきて、4月よりキジメッカを再度始動している。

開場時間は12時から19時(土・日曜日、祝日は17時)まで。入場料は500円。会期中は無休。入場に際してはマスク着用、検温などがある。時間指定有の完全チケット制で、定員制で1時間単位の時間指定で完全入れ替えとなる。ライブポケット(https://t.livepocket.jp/t/genk_kizimecca)を通じて予約する。当日券はない。会期中無休。

丸善日本橋で大阪、京都の骨董市展、岡本玉水木目込人形、宮田亀寿徳利等

【銀座新聞ニュース=2020年8月23日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は8月26日から9月1日まで3階ギャラリーで「京都・大阪発 はんなり骨董楽市-特集 卓に添える、彩り」を開く。

丸善・日本橋店で8月26日から9月1日まで開かれる「京都・大阪発 はんなり骨董楽市」のフライヤー。左の「孝子」が岡本玉水の作品。

茶道具を中心を扱う古美術店「藤井香雲堂(ふじい・こううんどう)」(大阪府岸和田市南上町1-6-12、072-422-1917)が茶道具、諸道具、美術品など珍品逸品の数々を展示即売する。また、提案コーナーとして、自宅でもハレの気持ちで楽しめる、関西風でいうところの「シュッとした骨董の器」を特集する。

「はんなり」は京都の方言で「華なり」が転じて「はんなり」と発音されるようになり、「華やかでありながら、気取りがなく、上品で、明るくはなやかなさまをあらわす」言葉とされている。

今回は木目込人形師の岡本玉水(おかもと・ぎょくすい、1898-1972)の「孝子(親孝行な子どものこと)」や、三上揚光堂の七宝透菓子器、幕末の京都の陶工、宮田亀寿(みやた・かめじゅ)の染付徳利(1対)、永楽得全(えいらく・とくぜん、1852-1909)の「仁清半開扇」(絵替向付、10客)などを出品する。

ウイキペディアによると、木目込人形とは桐塑(とうそ、粘土の一種)、または木で作られた人形に、衣服の皺や模様の形に本体に筋彫りを入れ、筋彫りに目打ちなどで布の端を押し込んで衣装を着ているように仕立てた人形をいう。筋彫りに布の端を押し込む動作を「木目込む(決め込む)」ということから、木目込人形と呼ばれた。

1739年に京都の上賀茂神社に仕える雑掌(雑事をつかさどる者)の高橋忠重(たかはし・ただしげ)が、ヤナギの木で祭器の柳筥(やなぎばこ)などをつくり、その余材で彫った人形に古い衣装の裂を貼ったのが始まりとされているが、実際には正徳年間(1711年から1715年)にはすでに江戸へ下った京都の人形師が多く、木目込人形も江戸風に変化したという。

「東京都雛人形協同組合」(台東区柳橋2-1-9、東京卸売センター、03-3861-3950)によると、東京では岡本玉水人形系と名川春山(ながわ・しゅんざん)人形系の2系統が主流となった。技術的には、桐の中粉と生麩糊を混ぜ合わせ、練り上げて作った桐塑の頭、胴、手足の素地(ヌキ)を造り、乾燥室で乾燥させ、頭は素焼きのものもある。桐塑の頭にあっては、地塗り、置きあげ、中塗り及び切り出ししたあと5回以上の上塗りを繰り返す「素地造り」。

着つけは筋溝に糊付けをしたあと、目打ちを用いる合わせ目、または重ね目による木目込みをするが、糊には寒梅粉を用いる「木目込」、面相筆を用いて目入れ、まゆ毛描き、及び口紅入れをする「面相描き」、さらに髪型をつくる「毛吹き」を経て完成する。

また、1978年にの「江戸木目込人形」は通産大臣(現経産大臣)に伝統工芸品として認定されており、上記の細かい技法は伝統工芸品として指定されている。

藤井香雲堂は1942年に創業、現在、藤井正治(ふじい・まさはる)さんが運営している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。

サニーヘルス、糖質制限よりも雑穀米や玄米等で1日3食を

【銀座新聞ニュース=2020年8月22日】健康食品、美容商品、化粧品などの販売会社、サニーヘルス(中央区八重洲2-1-6、八重洲kビル、03-6701-3000)はこのほど、レポート「ガマンが人を太らせる!ストレスフリーなダイエット法とは」を発表した。

ダイエットのためにストイックになればなるほどストレスを感じ、体重はうまく減らず、挫折してしまう可能性も高い。

ダイエット=食欲をひたすらガマンするのが不可欠、と考える人は多いもので、確かにそれまでの体型から脱却するためには、太った原因となっている食事内容や量を見直すことは当然なので、ある程度のコントロールは必要となる。

しかし、食べたい気持ちをただただガマンし、強いストレスを受けると、努力の甲斐なく逆に太ってしまうことすらあるもの。ストレスを感じないで、ダイエットを成功させる方法とコツをご紹介する。

●ストレスがドカ食いを招いてリバウンド

ダイエットのために食事制限し、その反動でドカ食い、という行動は決して珍しいことではない。やせたい一心でガマンにガマンを重ねた結果、ストレスが溜まり、自分を抑えられなくなってドカ食い、自己嫌悪とリバウンドに陥るという最悪の状態もありうる。

なぜ、このような状態になってしまうのか、その理由は人間の体に備わる防御反応にある。ダイエットのために食事制限やハードな運動を取り入れるなど、脳がストレスを感じると、脳は体に危機が迫っていると判断する。

ストレスに対抗するために、通称ストレスホルモン「コルチゾール」の分泌が高まってくる。その働きにより、エネルギーをいつも以上に欲するようになり、食欲が増して、しかも体に入ってきた栄養を脂肪として溜め込もうとする。このため、普段と同じ食事量では満足ができなくなり、ドカ食いに発展してしまう。

なんとかがんばって食事制限をしても、少し食べ過ぎただけで体重が元に戻ってしまうどころか、ダイエット前よりも増えてしまうという、「リバウンド」を引き起こすのもこのためだ。

また、食事制限によって体に入ってくる栄養素が不足すると、肌荒れ、便秘、無気力感、筋肉量の低下などの症状が現れる。とりわけ、筋肉量が落ちると、基礎代謝を低下させ、それまでと同じ食事量でもカロリーが余るようになってしまい、その余剰分のカロリーは脂肪として蓄積されてしまう。

ダイエットのために食べる量を減らすことや、無理なトレーニングやランニングをしなければとストイックになればなるほどストレスを感じ、体重はうまく減らず、最終的には挫折してしまう可能性が高くなってしまう。

●ストレスフリーなダイエット法とは?

1)1日3食きちんと食べる
食事制限による空腹との闘いはストレスの元になる。筋肉量を減らさないためにも、栄養バランスのよい食事をきちんと取ることで、体の代謝をきちんと回し、やせやすくするためにも、多くの栄養素が必要となる。

また、食事を抜いたり、食事量を極端に減らしたりすると、空腹時間が長くなり、ストレスが溜まるだけでなく、次の食事が入ってきたときに体に脂肪が溜め込まれやすくなる。

トータルの量が同じであれば、食事の回数は少ないよりも多いほうがダイエットには有効で、必ずしも3回でなくても、4回、5回に分けて食べるのもアリといえる。

2)「食べてはいけないもの」を作らない
これもダメ、あれもダメ、とダイエットのために禁止事項を作るほどストレスになる。禁止するのではなく、肝心なのは量で、食べ過ぎさえしなければ、ダイエット中であろうとどんなものを食べても問題ない。頻度や量に気をつければ、揚げ物でもおやつでも食べて構わない。

例えば、揚げ物なら週に1回だけ、おやつは1日150キロカロリーまでなど、完全に絶つのではなく上手に取り入れることがポイントといえる。

糖質制限ダイエットを行う人が増えており、糖質(炭水化物)もダイエットの敵とばかりの扱いとなっているが、極端に減らすべきではない。朝・昼は適量を食べ、夕食だけ主食の量を半分にしたり、米は白米ではなく、雑穀米や玄米にするだけでもダイエットの効果がある。

3)食べることに罪悪感を持たない
食べ過ぎてしまっても自分を責めないようにする。済んだことは仕方がないので、「おいしいものを満足するまで食べられてよかった!」と前向きに考え、翌日からまた気を取り直してヘルシーな食事を心がけるようにしたい。

とにかく、ダイエット中は、食べることが悪いことのように思いがちになるが、食材や作ってくれた人などへの感謝の気持ちを持って、前向きな気持ちで食べることを意識してみてほしい。

とにかく、義務や禁止などガマンばかりのダイエットは、ストレスでしかない。しかも根性でそれを乗り越えたとしても太りやすい体になってしまうので、元も子もないという悲しい結果になる。それに、無理の多いダイエットは長続きしない。高カロリーな食べ物は夜遅くにではなく、お昼に食べるようにするなど、ストレスフリーなダイエットを心がけたい。