クラッシックな映像と娯楽性を入れ、重いテーマを扱った「スパイの妻」(301)

【ケイシーの映画冗報=2020年10月29日】自分に鑑賞した経験のなかった映画監督は、それこそ無数に存在しています。世にあるすべての作品を鑑賞することは不可能なので、どうしても“選択と集中”は生じてしまうので。

現在、一般公開中の「スパイの妻」。6月6日にNHK BSで放送されたテレビドラマを劇場化し、第77回ヴェネチア国際映画祭でコンペティション部門銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した。

本作「スパイの妻」を監督・脚本(共同)した黒沢清(くろさわ・きよし)もそうした映像作家のおひとりで、劇場での鑑賞は監督デビュー作から30年後の「リアルー完全なる首長竜の日」(2013年)まで機会がありませんでしたし、本作「スパイの妻」が2本目となります。

1940年、第2次世界大戦は起こっていましたが、日本は中国大陸で戦うだけで、日本本土に戦火は及ばないものの、戦時色に染まりつつあった神戸。貿易会社で社長をつとめる福原優作(ふくはら・ゆうさく、演じるのは高橋一生=たかはし・いっせい)は、妻の聡子(さとこ、演じるのは蒼井優=あおい・ゆう)と裕福かつ開明的な生活を送っていました。

勇作は聡子と甥の文雄(ふみお、演じるのは坂東龍汰=ばんどう・りょうた)を使った自主映画を作るなどしながら、貿易商として精力的に動いており、日本が大きく進出した満州(現在の中国東北部)を「この目で見ておきたい」と文雄とともに大陸へと渡ります。

帰国後、勇作と文雄に変化を感じ取った聡子は、ふたりが中国からひとりの女性を極秘に連れ帰ったことを知ります。真実を知ろうとする聡子に、勇作は秘密を開陳します。ふたりは、満州で知った日本軍の恐ろしい所業を、全世界に知らしめようと活動しているというのです。

当初は国家への反逆行為である、と勇作をなじった聡子でしたが、次第に勇作の熱意に引きこまれるように、「スパイの妻」として共感と理解を示すようになり、“共闘”することに。やがて勇作と聡子は、この秘密を世界に開陳するための、大きな冒険に打って出ることを決断するのでした。

テレビドラマとして作られた本作ですが、劇場用に再構成され、本年9月、イタリアで開催されたヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門にて“銀獅子(監督)賞”を受賞しました。日本人監督としては17年ぶりの栄誉とのことです。

これまでもさまざまな国際的な映画賞を受けており、30年を越えるキャリアと20本を越える監督作によって、確固たる評価を確立している黒沢監督ですが、ここまで大きな受賞の経験はなく、
「大変驚いています。(中略)長い間、映画に携わってきましたが、この年齢になって、こんなに喜ばしいプレゼントをいただけるとは、夢にも思っていませんでした」(2020年9月14日付読売新聞夕刊)と、喜びを語っています。

ホラー、サスペンスといったジャンルを中心とした作品で知られる黒沢監督ですが、本作は初めて手がけた「歴史作品」ということで、鑑賞しての最初の感覚は、「とてもクラッシックな映像」というものでした。

ヴェネチア映画祭で審査委員をつとめた、ドイツのクリスティアン・ペッツフォルト(Christian Petzold)監督も、「オペラ的なリズムと画面作りで政治ドラマを描く。1930~40年代の伝統的な世界を現代のスタイルで表現している」(前掲紙)と評しており、的外れではないと思います。

とはいえ、黒沢監督の本来の持ち味である、ホラー、サスペンス的な映像も随所に折り込まれており、とくに勇作が妻と甥を出演者とした“自主映画”(8ミリ・フィルムの前身であるパテベビー9・5ミリ)のいかにもアマチュア的な作風や、作品の大きなポイントとなる“実録映像”のほどよく荒れたリアリティなど、学生時代には8ミリ・カメラを操っていたという黒沢監督の感性が大きく働いていると感じました。

こうした歴史(とくに近現代の日本関係)には、どうしてもステレオ・タイプと思えるシーンやキャラクターが見受けられます。本作ですと、隊列で行進する陸軍部隊や、自身の任務に忠実な憲兵隊が相当すると思われます。

黒沢監督は、こうした部分も映像化していますが、史実に則ったかたちでは表現していません。これは監督の裁量によって固められる部分であり、“事実を再現”したり、“蛮行愚行を告発する”のが目的ではないのが本作であるはずだからです。

「博物館に陳列しておくものではないので、娯楽性は必要でしょう。ジャンル性と、そこからはみ出た現代性が合わさったものが映画だと思います」(2020年10月9日付読売新聞夕刊)

これからも映画は娯楽であって欲しいと、切に願います。次回は「ザ・ハント」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。