日本橋三越で「大中央区展」、親子丼、風呂敷等、店内で寿司清の握り

【銀座新聞ニュース=2020年10月28日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は10月28日から11月1日までの5日間、本館7階催物会場で「第10回 東京まん真ん中 味と匠の大中央区展」を開いている。

日本橋三越で11月1日までの5日間、開かれている「第10回 東京まん真ん中 味と匠の大中央区展」で店内で食べられる寿司清の「おまかせ握り」。

10月1日から11月8日まで中央区が開いている「中央区観光商業まつり」の一環として開かれる「大中央区展」で、中央区と中央区観光商業まつり実行委員会が主催しているイベントだ。中央区にある店などが出店する。

期間中、12時30分から販売するのが「玉ひで」の「赤麓紡ぎ鶏親子丼」(税込1201円)と「東京しゃも“進化”親子丼}(1801円)、また、「榛原(はいばら)」の職人の作業で仕立てられた小引き出しで、デザインは創業時から伝わる千代紙の図案がもとになっている「華たんす」(3種類あり、いずれも3960円)、「東京唐草屋」の「風呂敷」(2750円)などが出品されている。「東京唐草屋」では、スタッフがさまざまな風呂敷の結び方を実演する。「玉ひで」の親子丼はオンラインでも販売する。

同じく出品される榛原の「華たんす」。


店内で味わえるイートインでは、「寿司清」の天然インドまぐろの中トロと赤身、真ダイ、生うに、蒸しあわび、車エビ、ずわいがに、赤貝といった8ネタの握りに玉子焼きを添えた「おまかせ握り」(税込3740円)、「クルーズクルーズザ・ギンザ(THE GINZA)」の北海道白老産いわさき黒毛和牛のサーロインステーキ、栗かぼちゃと豆乳でなめらかに仕上げた冷製スープ、レタスのサラダを添えた「東京フレンチセット 北海道白老産いわさき黒毛和牛ステーキ」(各日20セット、3300円)。

「ミカド珈琲店」の苦みとコクのあるコーヒーゼリーに、モカソフトクリームとチョコレートケーキがトッピングされた「モカパフェ」(各日50点、951円)などがある。

中央区などによると、中央区はそのほとんどが低湿地であったが、歴史上に姿を現すのが、1590(天正18)年の徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)の入城以降で、1603(慶長8)年に江戸に幕府を開かれるとともに、初代の日本橋が架橋された。

徳川家康は城下町の整備を進め、続いて江戸城の建設、埋め立てなどをはじめ、1604(慶長9)年には日本橋を起点とする「五街道制」が敷かれ、日本橋、京橋一帯は交通、通信、経済、文化、商業の中心として発展した。町づくりの工事は4代将軍の徳川家綱(とくがわ・いえつな、1641-1680)のころまで70年以上かけて整えられた。

中央区のほとんどは天領と称する徳川幕府の直轄地になり、関東代官の支配下に置かれ、村が行政の単位とされ代官の下に村方三役人といわれる名主、年寄、百姓代がおかれ、最下部の組織として五人組が結成された。葛西領は歴代徳川将軍家の鷹場に指定され、将軍の御成もたびたびあった。

その後、明治時代に入ると。1878(明治11)年11月2日施行の郡区町村編制法に基づく東京15区のうち、日本橋区と京橋区が誕生し、1947年3月15日に両区を併せて現在の中央区となり、旧日本橋区域の町名に「日本橋」の冠称が付いた。

大東亜戦争では、他区にくらべ戦災による被害が少なかったため、復興も進み、それに加えて1923(大正12)年の関東大震災と同様に都心部よりの移住者と大都市集中化に伴う全国各地からの流入で、中央区誕生からわずか40余年の間に約5倍の人口が増加した。

高度経済成長の時代を迎え、区民の生活も変化し、人口の流入による過密化・住宅難・交通難・公害などの問題が生まれ、農地の激減とともに急激な宅地化が進むと、かつての農業の源であった用水も暗渠や埋立となり江戸時代の農村の佇まいを保っていた中央区も大きな変貌をとげたとしている。

営業時間は10時から19時(最終日は18時)。