2020年(14.旧交<真鍋翔子再び4>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年4月9日】長いこと回想に耽っていた私ははっと我に返り、コーヒーのお代わりを手に2階の自室に上がり、実に9カ月ぶりにパソコンノートを開けた。

長期間閉じたままだったので、正常に作動するかどうか心配だったが、見慣れた待ち受け画面が現れたときはほっとした。

昨年、世界遺産に登録されたネパールの古都バクタプルを訪れたときの写真、くすんだピンクの煉瓦壁の中世の町並みをウォールペーパーに選んであったのだ。とても印象的な古めかしい町で、広場や路地を散策していると、まるで異時代の迷路に迷い込むかのようなスリリングさがあり、気に入って1週間も滞在したのだった。

路地裏でカードを広げていた占い師にリーディングしてもらったのも、いい思い出だ。黒衣の魔法使いのような少し怪しげな老婆は、私が来年数奇な冒険をすると予知したけど、今になってその意味がわかる思いだ。

校正を主にリモートワークを請け負う私にとって、PCノートは大事な商売道具だった。急いでメールアカウントをチェックすると、受信欄に3カ月分のメールが溜まっていた。まず仕事関連をチェックする。

東京の藤武出版からの校正依頼が何本も入っており、安藤社長からの至急連絡くれとの矢のような催促が1週間連続で続いていた。

しかし、やがて諦めたのか、以後メールはプツリと途絶えていた。私の消息伺いに社長に連絡を取ったという弟によると、彼は新型ウイルスに感染して一時入院したと聞くが、相変わらず意気軒昂、独り出版社を切り盛りしているらしかった。

不可抗力の事情があったとはいえ、長期音信不通の不義理をしてしまったわけで、何とか言い訳を考えて、返信しなければならない。が、許してもらえるかどうかわからなかった。仕事先をひとつ失ったと覚悟した方がよさそうだ。

たったひとりで零細出版社を切り盛りしている私より20歳年下の社長は、仕事に関しては、滅法厳しく、締切厳守、これまでそれに応えて信用を築き上げてきたのが、これでおじゃんになってしまったと思うと、口惜しかった。

いずれにしろ、1度丁重な詫びの返報を入れておかねばならない。それが礼儀、仕事上のマナーというものだ。ただ、今この場は適切な言い訳も思いつかず、ひとまず見過ごすしかなさそうだった。一両日中に必ず、適切な弁明を見つけて返信せねばならないが、今のところはペンディング、次のメールに移った。

幸いにも、そう多くの仕事を請け負っていたわけでなく、単発物は、インド渡航前に全て済ませていたので、助かった。差し当って、詫びを入れねばならないのは、定期的に仕事をくれていた安藤社長だけだった。

次に目に入ったのは、同郷の旧い友人だった。昔、同じミニコミ誌に所属していたが、今は東京で整形外科クリニックの院長として成功していた。私が在京時はたまに飲みに行ったりと、付かず離れずの関係を続けていたが、出戻って以降は、帰郷のたびに連絡をくれ、ゆうに40年余の長い付き合いは続いていた。

どうやら、安藤社長同様、弟が連絡をとったらしく、行方を絶った旧友を心配するさりげない気遣いとやさしさに溢れたメールをくれており、戻ったら、すぐ連絡をくれるようにと、記されていた。

パンデミック(世界的流行)下クリニック経営も一時期危機に陥ったらしいが、今は持ち直していると、最新便には添えられていた。私は細かい経緯は記さず、とりあえず無事戻った旨の一報を御礼とともに返信した。

プライベートでもうひとつ目を引いたのが、歌舞伎町のホストクラブ、バロンからの閉店通知だった。2月に何度目かの再訪をしたのだが、あれが最後になってしまった。やはり、コロナ禍には、老舗の有名クラブも打ち勝てなかったようだ。ホストに感染者が出たらしい。私は、我が青春のひと幕が閉じられるような思いで、むしょうに寂しかった。

オーナーは元ピューマーズのボーカル、思春期の少女だった私のアイドル、白馬の王子様だった。頑固に1店だけを守り続け、数々の伝説的ホストを輩出した名店だっただけに、さぞかし悔しく、無念極まりない思いだろう。GS時代の愛称シンのことを思うと、胸がしくしく痛んだ。

バロンで最後に接客してくれたのは、見習いの数馬とかいうイケメンだったが、とても気持ちのいい青年だった。今頃職にあぶれて困窮しているのではなかろうか。もっとも、あまりホストには向いていないように思われたので、人生をリセットするチャンスかもしれない。

なんと言っても、まだ20代、やり直しはいくらでもきく。連絡をとる術はないけれど、陰ながらエールを送る思いだった。

メールマガジン以外ざっとチェックを済ませたときは、2時近くになっていた。昼食にキッチンに降りて、あまり食欲もなかったので、インスタントラーメンと、昨夜の寿司の残りがラップされていたのを、一緒に取った。

食後、3杯目のコーヒーを飲みながら、居間で漫然とテレビを見ながら、寛ぐ。夕食は久々に、弟のために腕を奮ってやろう。あとで、買い出しに行かねばと思いながら、急に眠気が襲って来た。のそのそと2階に上がる。敷いたままの布団に寝転ぶ段になって、視野の隅に机の端から落ちかけている雑誌が目に入った。

引き上げて、寝転びながら、ページを広げる。奇しくも、パラレルワールドで勤務していたタウン誌と誌名は同じ、「フェニックス」だ。そういえば、確か弟がインドの遺跡特集だと言っていたな。逸る思いでページを繰る。中ほどに、その記事を見つけた私は愕然とした。

それこそは、私が向こうの世界、パラレルインドで書き上げて向こうのフェニックス誌の編集長に送った記事だったからだ。末尾の署名はまさに、篠崎玲子、となっていた。

どうして? わけがわからなかった。こちらに届いているということは、あちらに穴を開けたということか。編集長の鬼面を思い浮かべ、身が竦む思いだった。これで、社員昇格は見送りか、それから私は突発的に笑い出した。もう、こちらに戻ってきてしまったのだから、それも、今の私には無用だ。

すっかり眠気が飛んでしまった思いで、私は雑誌の奥付けで編集室の電話番号を確認すると、いたずら心でかけてみた。
「あのう、もしもし、私、フェニックスの今月号を読んだ読者なんですけど」
「悪いけど、今取り込み中やから、読者用の問い合わせメールに送ってくれんか」
ぶっきらぼうに返す声は、向こうの編集長そっくりの野太い響だ。

「あ、すみません。インドのアジャンタ・エローラ遺跡の特集記事を書いた篠崎玲子さんについて、お伺いしたいんですけど」

私は電話を切られないかように、手っ取り早く投げつける。
「おたく、篠崎さんの知り合い?」
「はぁ、まぁ。以前、同じ編集プロダクションで働いていて。ずっと音信不通なので、連絡先教えてもらえませんか」
「連絡先聞きたいのは、こっちの方や。あれはな、実はメールによる持ち込み原稿なんや。よく書けとるんで、採用させてもらったんやけど、謝礼を払おうにも、メール戻ってきてしもうての、ちっとも連絡が取れんのや」
「そうでしたか。失礼しました」
こちらが切る前に、がちゃんと乱暴に電話は切れた。

私が向こうの世界から送った原稿が、こちらに届いていた不思議。もしかして、クマリの動画のように、時空を超えてふたつの世界に同時送信されてしまったのだろうか。

それならば、向こうのフェニックスにも、穴を開けたわけでなく、ほっとするが。私は、そうであってほしいと祈った。向こうとこちらと両世界で、私の書いた記事が流通していると思うと、限りなくスリリングだったからだ(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。

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