博水社が缶チューハイ、初のアルコール飲料、コンビニで

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【銀座新聞ニュース=2013年1月31日】「ハイサワー」など清涼飲料水メーカーの博水社(はくすいしゃ、目黒区目黒本町6-2-2、03-3712-4163)は1月31日夕、「シャリ・ザ・トウキョウ・スシ・バー(SHARI THE TOKYO SUSHI BAR)」(中央区銀座2-4-18、アルボーレ銀座ビル8階)で会見して、アルコール入り缶チューハイ「ハイサワー缶レモンチューハイ」を2月5日から発売し、アルコール飲料に進出すると発表した。

会見終了後に撮影に応じる田中秀子さん(右)とハイサワーガールの野村瑠里(のむら・るり)さん。ライバルの大手アルコール飲料メーカーとの競合を問うと、田中秀子さんは「コンビニで大手メーカーが競争相手と見てくれるほどに認知されるとうれしい」と笑顔で返した。

「ハイサワー缶」は従来のイタリア産のレモンの真ん中だけを絞り、えぐみなどを除いたハイサワーと同じ真ん中の3割部分だけを使い、焼酎を割り、果汁7パーセント、アルコール分7パーセント、炭酸ガス圧も通常の缶入りチューハイの約2に対して約1.5倍の3を実現した商品で、缶には「しずる感」のないデザインを採用している。2012年9月に卸、販売について酒の免許を取得し、製造はジャパンフーズに委託し、関東のコンビニで販売する。

アルコール飲料については、博水社の3代目社長、田中秀子(たなか・ひでこ)さんによると、前から焼酎の割り材「ハイサワー」と焼酎が別々では、花見など外で飲む際に不便との消費者の声が寄せられ、長年検討してきたもので、今回、創業85周年を迎え、100年企業に向けた商品としてアルコール飲料市場への参入を決め、「すべての缶チューハイを飲んだ」(田中秀子さん)上で、8カ月かけて開発に取り組んだ。CMも2月4日から展開するが、初めてアニメを採用し、「ハイサワーてんぐオジサン」を考案した。

博水社の主力商品「ハイサワー」は1980年から累計15億本を販売しており、イタリア・シチリア産の農家と30年契約し、レモンの真ん中だけを絞り、えぐみなどを除いているのが特徴だ。飲食店などでは、焼酎1に対してハイサワー3の比率で割られており、今回のアルコール分はその比率から7パーセントと決めた。

希望価格は168円(350ミリリットル)で、当面はコンビニで販売し、将来は競馬場など一部の業務用にも拡販するとしている。初年度580万本の販売を見込んでいる。

博水社は1928年に田中秀子さんの祖父、田中武雄(たなか・たけお)が「田中武雄商店」として創業し、1930年からラムネ、みかんジュース、サイダーの生産を開始し、1941年に陸軍部隊・酒保に軍の用命で、配給の米と砂糖で甘酒を供給し、戦後は再びラムネ、みかんジュース、サイダーなどを販売していた。

1961年にコカ・コーラなどアメリカの飲料メーカーが上陸し、清涼飲料業界が前年比700パーセント増と急拡大するも、大手の独占となり、都内に250軒あった中小企業のジュース屋が軒並み倒産、廃業に追い込まれる中で、博水社は炭酸を中心に展開し、ウイスキーのハイボール割りとして使われ、生き残り、1977年に社長に就任した2代目の田中専一(たなか・せんいち)さんが1980年に「ハイサワー レモン」を商品化した。

その後、「ハイサワー うめ」や「ハイサワー ライム」、「ハイサワー 青りんご」の販売をはじめ、1997年に「ハイサワー グレープフルーツ」を発売した。2006年に「ハイサワーハイッピー レモンビアテイスト」と「ハイサワーハイッピー ビアテイスト」を発売、2012年2月にノンアルコールフルーツビールを商品化している。

田中秀子さんは1960年東京都生まれ、2代目社長(現会長)の田中専一(たなか・せんいち)さんの娘で、1982年に山脇女子短期大学英文科を卒業、博水社に入社、その後、東京農業大学食品醸造学科を卒業、2008年に社長に就任、父親の田中専一さんが会長に就いている。