戦場はきれい事でないという事実を再認識した「アウトポスト」(312)

【ケイシーの映画冗報=2021年4月1日】2001年9月11日、アメリカ国内で航空機による大規模なテロ事件が発生しました。「アメリカ同時多発テロ事件」です。即座にアメリカ政府は“テロとの戦い”を宣言し、テロ事件の首魁(しゅかい)が潜んでいるとされる中央アジアのアフガニスタンに兵を進めます。

現在、一般公開中の「アウトポスト」((C)2020 OUTPOST PRODUCTIONS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.)。アメリカでは2020年7月に公開され、興行収入が191万ドル(約1億9100万円)。

大規模な戦闘はすぐに終結しましたが、19世紀後半にイギリス、20世紀後半には旧ソ連と戦い、ついに屈することのなかったアフガンでは、その後も混乱と衝突がつづき、本年の4月末に予定されていたアメリカ軍の完全撤収の延期が表明されています。

「米国のオースティン国防長官は21日、訪問先のアフガニスタンで記者会見し、『暴力行為の削減が必要だ。そうすれば、外交努力が実る条件が整うだろう』と述べた。」(2021年3月23日付読売新聞)

本作「アウトポスト」(The Outpost、2019年)の舞台は、アフガニスタン北部の山岳地帯。アメリカ陸軍の前哨基地(アウトポスト)として設けられたキースティング基地に、経験豊富なクリントン・ロメシャ(Clinton Romesha)2等軍曹(演じるのはスコット・イーストウッド=Scott Eastwood)は、周囲を高い山に囲まれ、攻めやすく守りにくい地形に危険を感じとります。

アメリカ軍には、現地の部族長たちと有効的な関係を構築するための“外交”や、現地の動向を探る“調査”も重要な任務でしたが、数百年にわたって、外国勢力と戦い続けてきたアフガン人は容易な交渉相手ではなく、だれが敵対するタリバンの勢力で、だれが友好的なのか、来訪者であるアメリカ軍は理解できずにいました。

ロメシャたちアメリカ兵の危険は基地内にもあります。決して戦意充分ではない現地アフガンの兵士や、軍の上層部による現状を無視した命令、責任者が代わるたびに、あらたな上官に適合するようにふるまう兵士たち。

やがて、補給もままならない地区に“政治的理由”によって置かれたキースティング基地が閉鎖されることが決まります。撤兵を悟られれば、タリバン勢力が強攻策に出ることは間違いありません。

ロメシャ達は消え去る基地を守りながら、撤退の準備を進めていくのですが、2009年10月3日、数百人のタリバン兵による大攻勢にさらされます。

「カムデシュの戦い」と呼ばれる、実際に起きた戦闘を映画化した、本作の監督ロッド・ルーリー(Rod Lurie)は、国民皆兵が国是となっているイスラエルの出身ですが、自身はアメリカ陸軍の士官学校に入り、実際に陸軍将校としての勤務も経験しているそうです。

たしかに軍隊が派遣され、戦闘となり、敵に損害を与えたり、自軍に被害が生じるのは事実ですが、前線で戦う兵士たちが出兵を決めたわけではありません。かれらは命令で戦地に赴き、仕事として戦塵にまみれるのです。

「大事なことは、今日の軍人たちが何故戦うのかということについてです。彼らはお互いのために戦っています」(パンフレットより)というルーリー監督の言葉が真実なのでしょう。

日本の自衛官もふくめて、多くの国で軍人は公務員です。なので、勝手に戦ったり、戦端を開いてはいけません。本作でも上官の命令や活動方針によって翻弄される兵士が描かれています。基地内では専横的にふるまう指揮官も、上層部の命令には従わなければならず、ときには“指揮官先頭”で真っ先に危険な任務に飛び込むことで、上官としての立場をアピールしなければなりません。

ルーリー監督は、こうした部分も丁寧に、かつリアルに描いています。尾籠(びろう)な話で恐縮ですが、排泄物の処理の仕方や、兵士間のいさかいは日常生活となっていますし、凄惨な現場に直面し、心を蝕まれてしまった兵士に対する対処などの映像には、アフガニスタンの最前線を実感させられます。

アフガニスタンの戦場は、2003年に戦われたイラク戦争に比べて、メディアの扱いは小さく、その内情が詳らかにされていません。現在も継続して戦われているため、情報開示も進んでいないのが現状です。そのため、一般的な認識がつたなくなってしまうのは当然といえます。多くのマスコミが詳細を報道できたイラクとことなり、アフガンは過酷な環境とあまりの危険さのため、実情の報道はなされていないというのが真実なのでしょう。

日中の気温は40度近くまであがる一方、夜は0度を下回るほどさがり、高地であることから空気は薄く、こうした厳しい生活環境で戦ったのがロメシャのような兵士たちだったのです。そこには超人的なヒーローなどいない、日常の延長の極ともいえる戦場だったのです。

「戦場は決してきれいごとではない」という、当たり前の事実を再認識させられた一本でした。次回は「ザ・スイッチ」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。