2020年(15.老婆の発見<真鍋翔子再び5>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年4月27日】こちらの世界のタウン誌に掲載された他ならぬ自筆の記事を見つけたことと、直後の問い合わせ電話の件で、昼寝の気が殺がれてしまった私は、起き上がって、身支度を整え、気分転換に散歩に出た。

師走の外気は冷たかった。道ゆく人は皆厚着で無論マスク着用はこの世界ではいまや、義務と化していた。9カ月不在のうちに様相が一変して、テナント店の顔ぶれは変わっていたし、借り手が見つからず、シャッターが閉まったままのところも多かった。

ぶらぶら歩いているうちに、ふっと向こうの世界で居候させてもらったおばあさんの家が、こちらではどうなっているか気になって、好奇心半分で訪ねてみることにした。

胸がどきどきした。おばあさんそっくりのもう1人の老婆がいたら、どうしよう。記憶を辿って、路地をいくつか曲がり、30数分後に目的の場所に到着したが、意に反して、そこに平屋の古びた一軒家はなく、更地が広がっているだけだった。落胆しながら、道を間違えたのかもしれないと、周辺をうろつき回ったが、記憶に鮮やかに刻みつけられた住めば都の居心地よかった陋屋(ろうおく)はどこにも見当たらなかった。

あれから、主のおばあさんはちゃんと、家に戻ったんだろうか。もし、まだ帰ってないとしたら、空き家のままだな、空き巣に狙われないだろうかと心配になった。勝手に手をつけた備蓄食品の補充もしてあったし、戸棚の奥に貯まったお札を、おばあさんが帰ったら家賃代わりに渡すつもりでこっそり仕舞ってあったのだ。

歩き疲れた私は、視野の隅に入った小さな喫茶店に足を踏み入れた。入店前の儀式、体温測定や手指の消毒は、9カ月前はなかったことで、アクリル板で仕切られた、客も疎らなボックス席に腰掛けるど、店主と思われる白髪の老爺に、ホットを注文した。湯気を立てた香ばしいコーヒーが店主自らの手によって運ばれてきたとき、何気なしに訊いた。

「向かいの角のところの更地って、前は古い一軒家が立っていませんでしたか」
「ああ、そう言えば、何年前やったか、ちょっと変わり者の婆さんが独り住まいしとったなあ」
「変わり者?」
「霊媒みたいなことやっとって、近所のうとわれもんやった」
「霊媒?」
「ほや。ここにも、ときたまコーヒー飲みに来たんやけど」

「そのおばあさんは、どこに行ったかわかりまさせんか」
「さあな。事情はよう知らんけど、うちが取り壊されて、それっきりや」
「そうでしたか」
これ以上は聞き出せそうもないと思った私は、コーヒーを味わったあと、ふと思いついてスマホを取り出した。

クマリのタロット動画のことに、思い当たったのだ。弟が個人セッションを受けたと言っていたから、こちらの世界でも覗けるはずだ。果たせるかな、動画はすぐ出てきて、私はスリリングに感じながら、最新のカード占いをチェックした。

気になる絵柄があった。噴水のある公園のベンチに白い鳥が留まっている。空を飛んでいるのは、銀髪にやはり真っ白の長いローブの、まるで鳥の化身のような、年齢不詳の謎めいた女性、何故かそれが私に向こうの世界で忽然と消えた老婆を思い起こさせた。

クマリが耳覚えのある涼やかな声で、
「ずっと探していた探し物が見つかります」
と告げた途端、私は弾かれたように立ち上がっていた。店を出ると、まっすぐ公園に向かった。

向こうの世界のもうひとつの実家を追い出され、向かったのが街中の公園で、炊き出しで空腹を満たしたあと、おばあさんと初めて会ったのが、この噴水を目前にするベンチだった。

しかし、こちらの公園のベンチは、厳冬という時節柄、無人で、園内も閑散としていた。私はハンカチを敷いて座ったが、尻がひんやりした。木枯らしが身に染む。暖房の効いた暖かく心地よかった店内から、寒空の下に身を晒して、現れるはずのない待ち人を待つのは辛かった。

しかし、私はそこに1時間以上とどまり続けた。冬の日が暮れるのは早い。なんの兆しももたらされなかった私は諦めて、立ち上がった。そのときだった。夕闇に紛れて白いものが目の前を掠め飛んだのは。私は瞳を凝らした。クマリのカードの絵柄に出てきた、まさに白い鳥の出現に他ならなかった。

私は小躍りした。この白い鳥が何らかの鍵になるような予感がしたからだ。目を離さず、頭上に舞い上がった白い鳥を仰ぎ続ける。やがて、真上から近距離まで降りてきて、どうやらカラスらしいと気づいた。ホワイトレイブンと言われる、いわゆるその辺のゴミを漁る黒ガラス、クロウとは違い、ヨーロッパでは、神の使いとされるまれな種だ。

私は若い頃下訳のバイトに携わったことがあり、米外資系の石油会社のPR誌を請け負っていた翻訳者の元て働いた経験があった。その広報誌にフィールドガイドという鳥類図鑑のコラムがあり、いろいろ調べるうちに、鳥についての知識がついた。当時の雇い主だった鳥飼晃に、バードウオッチングに連れていってもらったこともあったのだ。

神の使いと伝えられるホワイトレイブンは、地に舞い降りると、まるで水先案内人のように、私をある方向へと導いた。初めて目撃する白ガラスの神秘的な美しさに私は感激しながら、見失わまいと、後を追い続けた。導かれたところは、「安らぎの家」という特別養護老人ホームだった。もしかして、おばあさんはここに収容されているのではないか?

中に入ると、受け付けで早速、問い合せた。
「80半ばくらいのおばあさんを探しているんですが、こちらで身元不明のお年寄りを預かっておられませんか」
該当者があったようで、特別に面会を許された。

ウイルス蔓延下厳格で、体温測定や消毒は無論、短時間に限られたが、たまたま今日が月2度の面会日にあたっていたことも幸いしたようた。

案内されたのは、大部屋だった。カーテンで仕切られた入口に1番近いベッドに、その老婆は横たわっていた。私はひと目見た途端、狂喜した。まさに私が向こうで会った老婆に生き写しだったからだ。

しかし、こちらの世界のもうひとりの老婆であることも考えられる。がために、黙ってしばらく老婆の反応を窺っていた。

老婆は私を見ても、なんの反応も示さなかった。私はがっくりした。顔はそっくりだけど、やはりこちらの世界のダブルかと早合点したのだ。

「認知症がかなり進んでおられるようなので」
職員が慰めるように言った。
「しばらく2人だけにして頂けませんか」
「もちろんですとも。お話しているうちに何か思い出すこともあるかもしれませんし」
年配婦人は去った。

彼女が消えた途端、そっぽを向いて痴呆のような振りをしていた老婆の警戒が緩み、いきなりがばとはね起きて、私の手を掴んだ。
「よう尋ねてきてくれた。助かった」

私は再会を喜びながら、あちらで突然消えた老婆がこちらの世界に、まるで私の身代わりのように飛んでいたことの不思議に打たれるあまり、呆然としていた。

「あの日、毎朝の恒例で、よく眠っとるあんたを残して、公園に行ったんや。菓子パンの残りをカラスどもに投げ与えるのが楽しみでの。そうしてるうちに、まだ本調子じゃなかったとみえ、眉間の傷が疼き出して、すーっと気が遠くなったんや。目覚めると、病院のベッドの上やった」
「そうだったんですか」

「名前と住所も告げて、うちに連れ帰ってくれるよう何度も頼んだんやけど、その番地は更地になっていると妙なことを言われ、退院した後は、身寄りのないボケ老人ということで、このホームに送られたってわけや」
「ほんとに大変でしたね。私もずっと探していたし、心配してました。まさか、こちらで見つかるとは」
「わしは頭しっかりしとるし、ボケてなどおらん。なのに、ここらのヤツらときたら、よってたかって認知症扱いして。おまけに四六時中、鬱陶しいマスクを着けさせられ、叶わんわ。とにかく、妙なんや、なんかつじつまが合わんのや。でも、あんたが来てくれたから、これでもう安心や。すぐわしをここから出して、家に連れ帰ってくれや」

私はどう説明したものかと、困惑した。おばあさんを納得させる説明はすぐには見つかりそうもなかった。

しばらく無言を保ったあと、ようやく言った。
「ねえ、おばあさん、さっき、妙なつじつまの合わない世界って言ったわね。信じられないかもしれないけど、おばあさんはちょっとした間違いで、元いた世界とは、何もかもがそっくりに見えながら、実は全く別の世界に投げ込まれちゃったのよ」
「あんたまで、けったいなこと言いくさって、わしを担がんでくれや」

おばあさんの目から、大粒の涙がこぼれ出した。
「あんただけが頼りや、やっとまともに話の通じる人に会えたんや、今すぐ、わしをここから出してくれ、うちに連れ帰ってくれ」
マスクを力任せに外したおばあさんの声高い懇願を聞きつけて、職員が飛んで来た。

「ほかの入所者の迷惑になりますんで、お静かに。今日のところは、これでお引取り願います」
有無を言わせなかった。私は、また近々訪ねることを約して、その場を後にした。職員の登場でまた貝のように口を閉ざしてしまったおばあさんは一瞬、私に縋るような、恨みがましい眼差しを向けた。

私はしくりと胸の疼きを覚えながら、この場はどうすることもできず、
「おばあさん、私またすぐに来るからね。それまでほんの少しの辛抱、待っていてね。必ず、おばあさんの希望通りにしてあげるから。今度は差し入れ持ってくるからね、何がいい」
おばあさんがマスク越しのくぐもった声でぽつりと投げた。
「クリームパン」

特例で3日後の面会を許された私は、丸いクリームパンが5つ入ったセットの袋をコンビニで買うと、安らぎの家に向かった。

おばあさんは、私の再訪を首を長くして待っていたようで喜んだが、職員が去るまでは用心深く、口を割らなかった。前回大声を出して面会時間が中断されたことに懲りたのか、おばあさんは、こっそり囁くような小声で会話した。
「あれから、あんたが言ったこと、わしなりにじっくり考えてみたんや」

私はお茶を入れて、パンの袋の口を開けると、ひとつ取り出し、おばあさんに勧めた。
おばあさんはマスクを外して、嬉しそうにパンにかぶりついた。はみ出たクリームで唇の端を汚しながら、もごもごと続ける。

「公園で意識を失って、病院のベッドで目覚めたときから、妙なことばっかりや。会話が全く噛み合わんでの、こっちの言うことが全然伝わらんのや。周りはマスクだらけの異様さ、疫病が流行っているからと、わしもマスクを強要され、まるで20年前の悪夢の再現のようじゃった。わしが寝ている1晩のうちに世界が一変したようじゃった」

「20年前の悪夢って?」
「未知の恐ろしいウイルスが世界中に跋扈しおっての、700万人もの死者が出たんや。わしの亭主も肺炎にかかり、呼吸困難で苦しみながら逝った」
「20年前に向こうでそんなことが?!」
私は呆然とした。向こうで勃発したパンデミック、地獄絵図が20年後、こちらの世界で再現されたなんて、思ってもみなかった。

動揺を抑えて、平静を取り戻した私は、おばあさんにどこまでわかってもらえるか危ぶみながら、そもそも向こうの世界に飛ぶまでの経緯を手短かに話した。
「じゃあ、あんたはわしの世界の住人でなかったんか」
「はい。だから、私が向こうに飛んで、できたこっちの欠員を、おばあさんが埋めるため、飛んだということだと思うんです」
「わしは身代わりやったんか」
「はい。私に会ったばっかりに。ごめんなさい」
「しかし、あんたはわしを助けてくれた。それにまた元の世界に戻って、こうして、入れ替わりに飛んだわしを助けに来てくれた」
「ええ。私が戻った以上、向こうに欠員ができたから、入れ替わりにおばあさんだって、きっと戻れるはずです。そのための手助けをできるだけしたいんです。大丈夫、必ず戻れますから」

それから、私はおばあさんが忽然と消えたあとの向こうでの、数奇な3カ月をかいつまんで話した。おばあさんは冒険譚に楽しそうに耳を傾けていたが、帰りも、飛行機事故で元に戻ったと知ると、身震いした。

「くわばら、くわばら、わしも、そんな危ない目にあわんと、我が家に戻れんのやろか」
「大丈夫。きっと別の方法が見つかるはずです。私に少し時間をください、何かいい方法考えてみますから」

その瞬間、私はふと、クマリに個人セッションを申し込もうと思いついた。おばあさんと同じ世界の私のダブル、クマリが何か名案、戻るための秘策を授けてくれそうな気がしたからだ(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。