丸善丸の内でもりやすじ展、オマージュ作品も

【銀座新聞ニュース=2021年6月8日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は6月9日から15日まで4階ギャラリーで「オマージュもりやすじ展」を開く。

丸善・丸の内本店で6月9日から15日まで開かれる「オマージュもりやすじ展」に展示される作品((C)もりやすじ)。

スタジオジブリの宮崎駿(はやお)さんや「アルプスの少女ハイジ」の小田部羊一さんたちを育てたことで知られるアニメーター、絵本作家のもりやすじ(森康二、1925-1992)が没後29年を経て、オマージュ展を開く。関連グッズ、複製原画、書籍も販売する。もりやすじを敬愛する作家によるオマージュ作品も展示する。

ウイキペディアなどによると、もりやすじは1925年1月28日鳥取県鳥取市生まれ、幼少期を台湾で過ごし、1948年に東京美術学校(現東京芸術大学)建築科を卒業、同年に日本動画に入社、1948年に「トラちゃんと花嫁」の彩色を担当し、「ポッポ屋さん のんき駅長」(1948年)や「小人と青虫」(1950年)などの動画を担当し、1950年に結婚、同年に経営不振により日本動画が社員全員を解雇した。

このため、小学館の学年誌のさし絵の仕事を手がけたり、西武百貨店宣伝部勤務などを経て、アニメの分野で「子うさぎものがたり」(1954年)を監督として発表、1956年に再建された日動映画に再入社し、「黒いきこりと白いきこり」(1956年)の脚色、キャラクターデザイン、原画を担当、1956年に日動が東映傘下に吸収され「東映動画」(現東映アニメーション)となるとともに、より大規模になっていくアニメ制作の最前線で創作活動を続けた。

日本最初のカラー長編アニメ「白蛇伝」(1958年)をはじめ、「少年猿飛佐助」(1959年)や「西遊記」(1960年)などの長編アニメを続けて制作し、1963年に「わんぱく王子の大蛇退治」 作画監督を務め、美術、アニメのスタイルの統一をはかり、日本独自のアニメアートを実現させた。さらに1968年に「太陽の王子ホルスの大冒険」、1969年に「長靴をはいた猫」などの長編アニメや「こねこのらくがき」(1957年)、「こねこのスタジオ」(1959年)などの短編制作過程で、多くの人材を育成した。

1973年に東映動画を退社、ズイヨー映像に移籍、「山ねずみロッキーチャック」(1973年)の作画監督を務め、「アルプスの少女ハイジ」(1973年)、「フランダースの犬」(1975年)、「くまの子ジャッキー」(1977年)などの設定、作画監督を務めた。1975年に日本アニメーションに所属、「ペリーヌ物語」 (1978年)のレイアウト、「未来少年コナン」(1978年)の原画、「星の王子さま プチ・プランス」(1978年から1979年)の作画監督、「ふしぎの国のアリス」(1983年から1984年)のレイアウト監修、「ちびまる子ちゃん」のパイロット・フィルム(1990年)の原画などを手掛けた。1992年9月4日に肝臓がんのため死去した。享年67歳。

営業時間は9時から21時(最終日は16時)。