コメディアンが鍛錬を経てアクションスターに変身した「ノーバディ」(318)

【ケイシーの映画冗報=2021年6月24日】いままで本稿でとりあげた作品のなかで、10本以上も選んでしまった世界観の作品に「ナメてた相手が殺人マシン」というストーリー・ラインがあります。

現在、一般公開中の「Mr.ノーバディ」((C)2021 Universal Pictures)。興行収入が5944万ドル(約59億4400万円)。

市井に生きる一般人と思いきや、卓越した戦闘力を発揮、対戦相手を叩き潰すという作品群で、シリーズ3作品すべてをとりあげた「96時間」(Taken、2008年から2014年)や「ジョン・ウィック』(John Wick、2014年から2019年)、アカデミー主演男優賞受賞者デンゼル・ワシントン(Denzel Washington)が、キャリアのなかではじめて続編に主演した「イコライザー」シリーズ(2014年から)や、このジャンルの開祖ともいえる「ランボー」(First Blood、1982年)の最新作「ランボー ラストブラッド」(Rambo:Last Blood、2019年)も昨年、紹介しています。

取調室で悠然とタバコをくゆらし、不敵な態度で取調官に対峙する、傷だらけの男。猫を抱いたまま、自分を「何者でもない=NOBUDY)と語る男とは。

ハッチ(演じるのはボブ・オデンカーク=Bob Odenkirk)は、公共バスで通う金属加工工場で会計を担当する中年男性。妻のベッカ(演じるのはコニー・ニールセン=Connie Nielsen)と一男一女の家族4人で生活する、どこにでもいる夫で父親です。

ある夜、ハッチの一家に2人組の強盗が押し込みます。長男が果敢に抵抗するのですが、ハッチはなぜか、思い止まってしまいます。息子にはさげすまれ、ベッカにも失望されたハッチは気落ちしてしまうのでした。

こうして単調な日常に戻るかにみえたハッチでしたが、娘のひとこと「猫ちゃんのアクセサリーがなくなった」をきっかけに、血と暴力の世界に戻っていくのでした。たまたまバスの車中で遭遇し、ハッチが叩きのめした相手がロシアン・マフィアの首領ユリアン(演じるのはアレクセイ・セレブリャコフ=Aleksey Serebryakov)の弟であったことから、ハッチ対ロシアン・マフィアの戦いが勃発、家族を狙われたハッチが仕掛ける攻撃とは。

本作「Mr.ノーバディ」(Nobody)のアウトラインは、主人公ハッチ役のボブ・オデンカークの実体験が元になっているそうです。家族とくつろげる空間に入り込む犯罪者。アメリカですから当然、銃を持っていると考えるべきでしょう。抵抗しなかったことで、被害は最小限ですんだとのことですが、「正しい選択をしたのか」とオデンカークはかなり悩んだそうです。

コメディ分野に主軸をおくオデンカークに、「はげしく戦いのアクション作品」との接点はあまり太くはありません。ショービジネスの世界では、キャリアのある俳優には“タイプキャスト”の仕事が増えてきます。実績のある過去の自分に“似ているキャラクター”と演技が求められるわけです。一種の安全策といえるでしょう。

コメディアンとしてアメリカテレビ界のアカデミー賞ともされるエミー賞に2度も輝き、仕事のキャリアも確立していたオデンカークにとっては、“アクション・ヒーロー”は隔たりのある存在だったわけです。

その“アクション・ヒーロー”をたぐりよせるため、オデンカークは、作品として披露するあてのない状況で、トレーニングをはじめたのだそうです。

そこに、前述の「ジョン・ウィック」シリーズの脚本家であるデレク・コルスタッド(Derek Kolstad)、監督に斬新な1人称映像(主人公の視点で全編が構成されている)で、インパクトのあるアクション映画「ハードコア」(Hardcore Henry、2016年)を産み出したイリヤ・ナイシュラー(Ilya Naishuller)監督が加わり、オデンカークを含めた3人で、「ハッチのモチベーションや彼の夢、心に潜む悪について話し合った」とナイシュラー監督は述べています。

そしてオデンカークのトレーニングを見たとき、
「繰り出すパンチやキックも、(中略)常に怒りに燃えた、冷酷なハッチというキャラクターそのものだった」(いずれもパンフレットより)という感想を抱いたそうです。撮影がはじまるまでに、オデンカークがトレーニングをはじめて、2年の月日が過ぎていました。

日本ハードボイルド小説の泰斗(故人)がハードボイルドというジャンルをこのように記していました。
「絶えて耐えぬいたものが行動となって爆発し、再び静の世界に戻っていく美しさ」

この一文には、本作が見事に合致するではないですか。前回の「アオラレ」も、そうでしたが、この不安定な時節に、“冴えないおっさんが最強”という作品が続くのも、無意識な観客の欲求なのかもしれません。私たちは爆発してはいけませんからね。破壊衝動はスクリーンで昇華させるのがいちばんですから。

次回も未定とさせていただきます(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。