丸善丸の内で益子焼展、大塚一弘、小林雄一、西山奈津ら7人

【銀座新聞ニュース=2021年8月1日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は8月4日から10日まで4階ギャラリーで「丸善・益子ゆかりの現代作家展」を開く。

丸善・丸の内本店で8月4日から10日まで開かれる「丸善・益子ゆかりの現代作家展」のフライヤー。

陶芸の里、益子の伝統を受け継ぎ、活躍している現代作家7人を選び、「暮らしを豊かに演出するアイテム」をテーマに制作した作品を展示する。

今回、出品しているのは益子焼の伝統工芸士の大塚一弘さん、「いっちん技法(スポイドを使用して模様を描く技法)」で食器や置物を中心に作陶している栗原節夫さん、「天然素材ならではの自然で複雑な色合い」にこだわって制作している小林雄一さん、その妻で、造形した土の塊から中の土を掘りだす「刳貫(くりぬき)」という技法で自由造形にこだわる西山奈津さん。

「泥彩シリーズ」の器に加え、今回はお茶の時間をイメージした新作の急須、ポット類を発表する丹羽あかねさん、その夫で、食卓が華やかになるようなカラフルな色に挑戦しているスペイン出身のヘスアルド・フェルナンデス・ブラボ(Jesualdo FernandesーBravo)さん、焼き物を通して「人の喜び」に関わることを大切にしている本巣秀一さんの7人。

ウイキペディアによると、益子焼は栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器で、江戸時代末期の嘉永年間(1848年から1855年)に常陸国笠間藩(現笠間市)で修業した大塚啓三郎(1828-1876)が益子に窯を築いたことにより始まったとされている。

益子焼の陶土は、豊富にあるものの、肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ、火鉢、壺などの日用品として制作された。その後、1927年から創作活動を始めた濱田庄司(1894-1978)によって花器や茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られた。1959年には、加守田章二(1933-1983)が開いた窯により民芸一辺倒だった益子の作陶に現代的な独創性が加えられた。1979年には通産省(現経産省)から伝統的工芸品に指定された。

益子焼は砂気の多いゴツゴツとした土の質感をもち、材料の性質上割れやすく、重いという欠点がある。益子焼のもっとも基本的な釉薬(ゆうやく)は漆黒(しっこく)や「柿」と呼ばれる赤茶色、飴色(あめいろ)を出す鉄釉(てつゆう、てぐすり)で、石材粉や古鉄粉を釉薬にし、犬毛筆で色づけを行うため、重厚な色合いとぼってりとした肌触りに特徴がある。こうした昔ながらの施釉は土鍋や土瓶、片口といった、肉厚な陶器に使われる。

民芸運動以来、濱田庄司が得意とした杓掛け、流し掛け、掻き落としの技法を使った紋様を施した鉢や皿などが知られる。また、信楽焼流の絵付けを施した山水土瓶や、呉須(コバルト顔料)を使った陶器も多い。

栃木県益子町観光協会によると、現在、窯元は約250、陶器店は50店あり、春(2021年4月29日から5月5日まで予定されていたが、新型コロナにより中止)と秋に陶器市が開かれる。

益子陶器市は1966年から始まり、例年、春のゴールデンウイークと秋の11月3日前後に開かれている。販売店約50店舗の他、約550のテントが立ち並び、伝統的な益子焼からカップや皿などの日用品、美術品まで販売される。焼物だけでなく、地元農産物や特産品の販売も行われ、春秋あわせて約60万人の人出がある。

大塚一弘さんは1966年栃木県芳賀郡益子町生まれ、1987年に東京デザイナー学院工業工芸科を卒業、卒業展で奨励賞、栃木県窯業支援センター研究生を修了、1989年に父の大塚清章さんに師事し、「清窯(きよしがま)」2代目として制作に励み、2005年に国展初入選(その後4回入選)、2006年に国展奨励賞を受賞している。

栗原節夫さんは1963年神奈川県横浜市生まれ、1987年に横浜国立大学教育学部美術科を卒業、1987年に栃木県益子町の塚本製陶所に研究生として入所、1989年に栃木県益子町の川尻浩史さんに師事、1992年に益子町に築窯して独立して制作している。また、「ネイバーズ」という音楽ユニットでギター奏者として、栃木、埼玉を中心に演奏活動もしている。

小林雄一さんは1982年栃木県芳賀町生まれ、2006年に製陶所に勤務、2011年に益子町に築窯して独立、2012年に「茶の湯の現代‐用と形展」で入選し、芳賀町に移築している。西山奈津さんと夫婦で作陶している。

西山奈津さんは1983年東京都杉並区生まれ、2006年に駒沢女子大学空間造形学科を卒業、高内秀剛さんに師事し、2011年に益子町に築窯し、2012年に芳賀に移築、独立している。小林雄一さんと夫婦で作陶している。

丹羽あかねさんは1997年に多摩美術大学美術学部芸術学科を卒業、栃木県益子町の見目陶苑で修業、1998年に京都大覚寺主催第6回花の陶展で嵯峨御流賞、2000年に栃木県那須烏山市に築窯し、独立、2001年にスペインのラ・マンチャ、ダイミエルに築窯している。ヘスアルド・F・ブラボさんと夫婦で作陶している。

ヘスアルド・F・ブラボさんはスペインのラ・マンチャ生まれ、1991年に来日し、1992年に板橋廣美さんと星野亨斉さんに師事し、アトリエ飛行船に所属、1998年に板橋廣美さん主宰のウインズ陶芸研究所に所属、2000年に栃木県那須烏山市に築窯し、2001年にスペインのラ・マンチャ、ダイミエルに築窯している。

1994年に第3回日清食品現代陶芸めん鉢大賞展で奨励賞、2002年に第40回朝日陶芸展で入選、2004年に第5回益子陶芸展で審査員特別賞、2005年に第7回国際陶磁器展美濃で入選(2008年に入選)、2006年に第5回出石磁器トリエンナーレで入選している。丹羽あかねさんとと夫婦で作陶している。

本巣秀一さんは1980年栃木県宇都宮市生まれ、2003年に文星芸術大学を卒業、2005年に同大学大学院修士課程を修了した。2002年に日本伝統工芸展で入選(2003年、2005年に入選)、益子陶芸展で入選(2005年に入選)、2005年に益子焼窯元つかもとに入社、2015年に栃木県下野市に築窯、独立している。

開場時間は9時から21時(最終日は15時)まで。