インドから帰国、72時間前陰性証明もクリア、高い航空料も我慢(92)

(著者がインドから帰国したので、今回からタイトルを「インドからの帰国記」としますが、連載の回数はそのまま継続します)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2022年3月29日】突然ながら、読者諸氏をあっと驚かせるご報告がある。前回の観戦記91号(3月15日)から、勘の鋭い方は嗅ぎつけられたかもしれないが、あの時点で目前に見えていた勝利の門にやっと行き着いたのである。

第3波(2022年)が収束した初夏の浜には、泳ぎを楽しむ観光客の姿も。しばらくベンガル湾詣でもでもできなくなると、毎夕散策に。

そう、2年3カ月ぶりに、夢にまで焦がれた母国の土を踏んだのだ。まさに凱旋帰国、黄金のジパングに奇跡的に舞い降りたのであった。

セカンドベースのある石川県金沢市のマンションに帰着して、今日(3月20日)で1週間になるが、いまだに夢見心地でふわふわしている。

以下、インド東部オディシャ(Odisha)州プリー(Puri)に囚人のように繋がれていた私がどうやってがんじがらめの鎖を解いて、母国へ一路飛び立ったのか、決意から始まって煩雑な手続きを経て、無事帰国の途に着くまでの経緯を数回にわたってお伝えしたい。ハラハラドキドキのドキュメント冒険譚、臨場感溢れる一部始終をお届けする。

1.帰国を決意するまで
1月中は、インド本国も、オミクロン爆発の第3波に襲われ、春に帰国を予定していた私は、足止めを食らったようで、先が見えない不安感にとらわれ、日本行きの航空券をチェックする気にもなれなかった。

2月に入って、突如閃きのように「3月10日」という日付けが天から降ってきた。何ら根拠はない。ただその日にちが脳天に舞い降りたのである。インドの陽性者数は減少し始めていたし、日本の爆発が心配だったが、とりあえず直感に従って、いつも買っている格安代理店のホームページで航空券のチェックを試みた。

が、軒並み2倍以上に高騰しており、4月に延期するしかないかと一旦は、3月10日案は保留になった。インドはこの時点では、2年近く停止している国際線再開の動きはなく、各国とのエアバブル協定による臨時便が運航されるのみだった。いつもは、バンガロール(Bangalore)発のマレーシア航空(クアラルンプールでストップオーバー)を利用している私も、今回は途上、別の国に立ち寄るリスクはなんとしてでも避けたく、直行便(所要7時間半)で速やかに帰るつもりでいた。

厚労省のホームページにある検査証明についての説明や、誓約書などを早々と印刷しておいた。

最大のネックは、日本フォーマットの72時間前陰性証明だった。こんな田舎の期限にルーズな外地でどうやって取ろうかと頭を悩ませて数日後、領事館のニュースレター越しに思いがけない吉報が舞い込んだ。

領事館とインド日本商工会が結託して、インド全土の在留邦人向けに自宅検査の斡旋をしてくれることになったのである。期間は2月10日から3月10日のひと月間(申し込み締切は3月8日)、もちろん無料サービスで、検査は自己モニター(2回可)と、帰国のための72時間前証明の2種があり、後者の場合、航空券の提示が必要とあった。

早速、請負企業のウェルビー(WellBe、グルガオン=Gurgaon=の邦人向け医療関連サービスの日系企業)の担当者にメールで連絡、折り返し返事が返ってきて、我が居住地プリーの検査機関を調べるのに数日要するとのことで、返事が来るまで不安な気持ちにさせられた。もし、ノーと言われたら、帰国は4月に延期しようと思っていた。

諾の返事が届いたときは、飛び上がるほどうれしく、すぐに航空券の手配、最初に降ってきた3月10日案が復活した。航空運賃の最安値は首都デリー(Delhi)発のインド航空の片道切符、それでも日本円にして8万5000円相当、普段ならこの値段で日本の航空会社の往復チケットが買える。

背に腹は代えられない、この好機を逃したら、日本フォーマットの陰性証明はゲットできないことはわかっていたので、息子にEチケットの購入を頼んだ。購入を済ませた2日後、ウェルビーにパスボート並びに航空券をスキャンしたファイル添付とともに、所定の申込用紙に必要事項を記入して申請、これだけで1日がつぶれた。

3月8日の午前中が検査日となったが、その前に予行演習として、自己モニターによる検査を受けておこうかとの気持ちは吹き飛び、ぶっつけ本番でいくことにした。いくら無料とはいえ、何度も先方の手を煩わせるのも気が引けたし、自身も2回検査を受けることのストレスを思うと、1回で充分という気がした。息子には自己モニターを勧めたが、ミュージシャンとしての仕事が再開し、動画撮影に奔走する慌ただしい日々を送っていたので、自然立ち消えになった。

何はともあれ、これでどうにか最大の難関である出国前陰性証明の手筈が整ったわけで、ほっと安堵した。あとは、厚労省のホームページをチェックして、必要書類の記入や、必要アプリのダウンロードを少しずつ進めていけばいい。出発までまだひと月近くある。

まずは、近日中に、デリーまで飛ぶための国内線チケットを取らねば。息子は音楽活動に忙殺されており、母の見送りができる時間が取れるか、危ういところだった。本来は息子も同伴帰国するつもりでいたのだが、仕事のオファーが殺到し、不可能となったのだ。
(「インド発コロナ観戦記」は今回から「インドからの帰国記」にします。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、今回からインドから「脱出記」で随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2022年3月24日現在、世界の感染者数は4億7734万1058人、死者は610万9654人(回復者は未公表)です。インドは感染者数が4301万7372人、死亡者数が51万6755人(回復者は未公表)、アメリカに次いで2位になっています。編集注は筆者と関係ありません)。