インドから2年ぶり帰国も、成田の煩雑な手続きで入国に7時間も(97)

(著者がインドから帰国したので、タイトルを「インドからの帰国記」としています。連載の回数はそのまま継続しています)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2022年5月24日】3月10日の成田行きインド航空(Air India)の直行便は、首都デリー(Delhi)の国際空港発だったが、近年バンガロール(Bangalore)から日本に飛び立つことが恒例化していた私には、久々の利用だった。

コロナ禍で、成田空港の手続きは煩雑に。帰国体験者が動画で長時間待機を警告していたので、覚悟していたが、予想以上だった(画像はいずれもウイキペディアより)。

バンガロールのこぢんまりとした仕様に慣れていたため、だだっ広い空港に戸惑ったが、掲示板でチェックインカウンターを確認して、カートを押して向かった。すでに列ができており、係員が陰性証明書とパスポートをチェックしていた。ここで跳ねられると、列にすら並ばせてもえないのだ。日本に行くには、日本フォーマットの陰性証明書が何より必須、チケットは二の次なのである。

日本女医さんの署名のある日本式証明書は難なくパス、当たり前だが、乗客はほとんどがインド人だ。家族連れも少なくないが、たぶん夫の仕事関係、日本駐在のITエンジニアも中にはいそうだ。

隔離が3日に短縮された今、旅しやすくなり、予想したより乗客が多いのに驚いた。同胞は2、3人、数えるほどしかいない。国際線が封鎖されているから当然といえば当然(3月27日再開)、私のように永らく現地に閉じ込められていた人たちだろうか、駐在員風は見当たらなかった。

搭乗券をもらってイミグレーションへ。国内線の入口しか見当たらず、迷ったが、少し行った隣にあった。バンガロール空港はイミグレーションが2階なので、うろうろしてしまった。

国内線と国際線がごっちゃになっているバンガロールに比べ、デリーの場合は距離が離れており、息子は私を見送ったあと、そちらに行ったが、こちらの国内線入口はなんだろう。国際線から帰ってきた人の移動向けか。

待合室でしばし待機後、ほぼ予定通り搭乗開始、イミグレーションは混んでいたが、インド航空の乗客は思ったより少なかった。1列置き、1座席空けての指定シート、ひとつ置いて隣の窓際の席には日本人らしき男性が座っていた。かなりの時間をかけて、機体はやっと舞い上がった。揺れはほとんど感ぜず、そのうち防護服と手袋・マスク着用の乗務員による飲み物サービスが始まった。

白ワインをオーダーし、持参のグルガオン(Gurgaon)のスーパーで買ったスナック類の袋を開けて、クロワッサンやケーキ、ポテトチップスを摘みにひと口、人心地つく。インド航空の辛い機内食は食べれないので、自前で食料品を調達することをちゃっかり忘れない私だった。

3月11日からの3日間隔離の政府指定宿泊施設は、成田空港から専用シャトルバスで10分の、「マロウド・インターナショナルホテル成田」、13階建て801室という大型ホテルだった(既にインドからの帰国者は隔離不要となった)。

夕食はベジタリアンをオーダー、ふすま粉で作る薄っぺらいインド製パン、チャパティだけは食べれるかと口にしたが、下の包みの辛いカレーが染み込んでいて駄目だった。持参食料で補う。

就寝時間になって、ガラ空きの機内の前ふたつの3人シート席で眠れないかと窺っていたところ、乗務員からOKサインが出たので、これ幸いと移った。濃厚接触の問題からも、席を移動しない方がいいだろうと一瞬よぎったが、ええい、ままよ、睡魔には勝てない。

ふた晩興奮してよく眠れていないのだ。横になって少しでも仮眠しないことには、成田空港で待ち受ける長時間にわたるハードな手続きを持ちこたえられそうもない。近くの席で咳込む音や、ズーズー鼻をすする音が響き、ヒヤリとしたが、疲労困憊、目が自然に塞がった。

何とか眠れてブレックファースト、唾液検査の1時間前の歯磨き、飲食はタブーだが、午前6時30分で問題なさそう。さすがに朝食は普通のパン、卵などで食べられた。いくつかの書類が渡されたが、必要書類は記入済みでファイルにまとめてあり、イエローの健康カードと税関の申告だけ書き込んだ。

機体が高度を下げ、いよいよ着陸体勢た。やはり直行便は速い。眠ってる間に到着だ。窓際でないので、2年3カ月ぶりに着地した成田空港の様子はよくわからなかったか、薄曇りで寒そうだった。

乗客が少ないので、降機もスムーズ、トイレも機内で済ませてあったが、通路を長いこと歩いて然るべき待機場所に着いたのは、私がびりっけつのようだった。

まずそこに3、4カ所ある日本人専用窓口(外国人は隣接する別の窓口)で陰性証明書、誓約書、質問表のチェックをされるそうだが、かなり長く(多分1時間以上)待たされた。
やっとパスして、唾液検査に向かう途上でスマホに必要アプリがダウンロードされているかチェック、パスポート番号などの詳細を書き入れていなかっので、係員に記入してもらう。

回り込んだ次の地点でアプリによる健康チェックのやり方を教わり、MYSOSの今現在の位置確認のため、隔離ホテルに着いたら、家のモチーフの当該アイコンをプッシュするように指示された。

さらに進んで細い通路の奥が簡易検査コーナー、採取器具を渡され、仮設ブースのひとつに入り、壁に貼られた梅干しやレモンの写真を見ながら、ロート越しに口中に溜まった唾を4、5回流し込んだ。隣の人はもう少しと言われ、奮闘していたが、私は1回でパス、指定待機席の番号を渡され、通路を回り込んだ奥の簡易椅子に。小さいペットボトルが床に置かれていた。

ここでの待ち時間が長かった。2時間かそれ以上待ったと思う。やっと番号が呼ばれ、通路を過ぎて奥の窓口に行くと、ピンクの鷲をあしらった小さな紙を渡され、陰性と言われた。ほっとして、やっとイミグレーション、あとは荷物受け取りと段取りはコロナ前のいつもと同じだ。

税関で隔離ホテルについて尋ねると、出口を出れば、係員が待機してすぐわかるようになっていると言われ、カートを押して見慣れた空港施設に出ると、確かに係員が待ち受けて、列に並ばされた。

前の列にインド服、クルター・ピジャマ(インドの代表的な男性用民族衣装)、長い丈のシャツにルーズなズボンのペアを纏った70代くらの日本男性がいた。どうやらインドを旅した帰りのようだ。こんなご時世にインドに行くなんて、よっぽどの愛好家、旅慣れた感じだった。

ここでの待ち時間がまた長かった。立っているのか辛くなって、カートの縁に腰掛けた。20人くらい集ったところで奥の座席に移動させられ、さらに待った。やっとバスの用意が整ったようだ。2時間近く待たされて、15分ほどで着いたホテルはなかなかの威容のビルディング、後で調べて「マロウド・インターナショナルホテル成田」とわかった。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からインドからの「脱出記」で随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2022年5月23日現在、世界の感染者数は5億2561万1048人、死者は627万7241人(回復者は未公表)です。インドは感染者数が4313万8393人、死亡者数が52万4459人(回復者は未公表)、アメリカに次いで2位になっています。編集注は筆者と関係ありません)。