インドから2年3カ月ぶり日本、金沢市内散策楽しむも自宅で疲れ癒す(99)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2022年6月17日】3月14日夜、夢にまで焦がれた金沢駅に降り立ったというのに、私は淡々としていた。イメージの中でやっと辿り着いたと小躍りしたり、感涙したりのシミュレーションを散々していたせいか、現実には感動はさしてなく、淡々としていたのだ。

金沢市の繁華街・香林坊にある格安イタリアン「サイゼリヤ」のランチ(9種あり一律500円)は、節約者には超オススメ。味もなかなかいける。

すぐに乗り継ぎのバスがやって来て、飛び乗ったが、席に着いてから、ありゃ金沢駅のガラスドームも見なかったなと振り返り、車窓越しに鼓門(つづみもん)がライトアップされているのがよぎったが、その先の透明なドームは見えなかった。

19時30分過ぎの街中は、「まん延防止等重点措置」が敷かれているせいもあろう、閑散としていた。2年3カ月ぶりで下車駅の名をど忘れしたが、すぐ浮かんできて、信号待ちの間、運転手さんに確認して、間違いないとわかり、ほっとした。バス番号は覚えていたし、私の記憶力もなかなか捨てたもんじゃないと思った(バス代は10円値上がりして230円だった)。

途上、行きつけだったスーパーで食料を少し買い込んだ。閉店は20時30分、店内はがらんとしていた。半額に値下げされていた握り寿司のパックを買い、明日のパン、インスタントの味噌ラーメン、缶ビール、つまみに柿の種やちくわ、ごぼう天を買い込んた。

マンションの自室の鍵を開けるとき、うまく鍵穴に合致せず、焦ったが、やっと開いてほっとした。イメージの中でのシミュレーションでは、ガチャリと音を立ててすぐ開いたのに、現実とはこんなものかと苦笑した。電気は通っているので、ブレーカーを押し上げて、明かりのついた中に入る。

床や洗面所に黒いかけらのようなものが点々と落ちていて、まず掃き清めたあとの拭き掃除から始めた。ひと息ついた後、缶ビールを開けて1人祝杯、冷たくなった握り寿司を頬張りながら、やっと帰ってきたと、実感を噛み締めていた。

テレビを見ないラジオ党の私は、スイッチを入れて、懐かしい日本の番組が流れるのを耳にしながら、さすがに疲労を覚え、早々に床に入った。ジェットラグの名残か、まだ夢見心地で本当に日本に帰れたのか半信半疑でふわふわしていた。

翌日は早速、金沢の街中に出た。人出は少なく、閑散としていた。まず「香林坊」の銀行で通帳記入して残高を確かめた後、武蔵のエムザの2階に入っている100円ショップに向かい、そこから近くの図書館を周り、ランチタイムに間に合うべく来た道を戻り、109の4階に入っている「サイゼリヤ」(格安イタリアン)に2年3カ月ぶりに入った。

しいのき迎賓館のギャラリー室や地下で無料展示されていた、能登のキリシマツツジ。盆栽は枝ぶりが見事で、鮮烈な緋色が目を惹いた。

店内は15時前という時間帯のせいだけでなく、がらんとしていた。たいていが、ばらばらの席で黙食、離れた席で女高生らしき2人組が会話しているくらいだ。入口には、テイクアウトの看板が大きく、出ていた。

窓際の2人がけ席に座って、500円ランチのオニオンソースハンバーグ定食と、ドリンクバー(ランチタイムは100円)をオーダー、やっと火の通った温かい日本食を食べられ、好物のハンバーグに満足した。

「サイゼリヤ」のハンバーグが好物の息子にも、写真を送って、「Yummy(うまそう)」との返事をもらった。

1時間30分後出て、3階の「ユニクロ」を物色、買うつもりはなかったのだが、特売の素敵なトレーナーとTシャツを見つけたので衝動買いしてしまった。グルガオンのインド・ユニクロ店でも、息子のジャケットその他を買ったが、高かった。本場日本のユニクロは安い。

それから、お気に入りのしいのき迎賓館へ。大正期の瀟洒な旧県庁舎は、築98年の最古のコンクリート建築で有形登録文化財、前庭には堂形のしいのき雌雄2本がそびえ、館名の由来となっているのだ。

前面は歴史ある建造物を残しているが、反対側はガラス張りのモダンな造りで、金沢城に面していて緑麗しい城下公園の外堀(跡)が一望のもとに見渡せる。3階の一室はコミュニティルーム(交流サロン)で市民は出入り自由、椅子とテーブルが置かれ、作業にはもってこい、私はいつもここでフリーWiFiのネットサーフィンを楽しんだり、家族や友人にメールを送ったり、静けさの中でのデジタルタイムを送っていた。

1階の2ギャラリー室では、定期的にフリーの催しが行われていたものだが、「まん防」中、展示もさすがにないだろうと思ったら、意外にも漆器展(石川県立山中漆器産業技術センターの卒業課題作品)と、キリシマツツジ展をやっていた。漆は朱塗りの器が素敵で、素人製作とはいえ、みな力作でなかなかの出来栄えだった。

能登のキリシマツツジの目が覚めるような緋色には、感激した。ツツジがこんなに真っ赤なんて、新発見で、盆栽の枝ぶりも見事な紅ツツジにスマホのカメラを押す手が止まらなかった。

銀行ついでの、ほんの下調べのつもりが、フルに観光の真似事をしてしまった。快い疲労で帰路に着いた。

2年3カ月ぶりに金沢市内の街並みを探検して以降は、春が近いとはいえ、寒い日が続き、1度徒歩30分の図書館に行ったきり、普段はスーパーや犀川べりの散歩と、外出は極力控えていた。特にまん防解除後の3連休は密を避けて、避寒とまだ取れないコロナ下帰国の疲れを癒すため、ステイホームに甘んじた。

何より実家のある福井に帰って墓参りを済ませたかったが、福井は人口の割に陽性者数が多く、収まるまでは動かない方がよさそうだった。

〇ミニコラム/晩年の旅

近頃、旅本にはまっている私、ふらりと彷徨したい気持ちが、2年以上のインドの隔離生活で昂まっているせいもあろう。

最近、読んだ紀行文では、「旅人よどの街で死ねるか、男の美眺」(伊集院静著、集英社、2017年)、「旅の力」(沢木耕太郎著、新潮社、2008年)、「ヒマラヤに呼ばれて」(さとうまきこ著、ヒカルランド、2018年)がよかった。

年内にスペイン(Espana)を旅したいと夢見ている私は、伊集院本にあった、スペインは奇跡の起こる街との説に、なぜ自分がかの地に焦がれるのか、理由の一端がつかめたような気がした。

願いを叶えるという黒いマリア像(バルセロナ=Barcelona=の北西61キロにあるモンセラット=Montserrat)や、北部の巡礼の道(カミーノ)について触れられており、それまでバルセロナ以南の周遊、同地のサグラダファミリア(Sagrada Familia)大聖堂はじめタラゴナ(Tarragona)、バレンシア(Valencia)、グラナダ(Granada)、そしてジブラルタル海峡(Strait of Gibraltar)を渡ってモロッコ(Morocco)北端に足を伸ばすコースに惹かれていた私の目を、北部に向けさせた。

北のバスク(Basque)地方は、スペインとフランスの国境を走るピレネー山脈(Los Pirineos)の西側、険しい山岳地帯と美しい海岸線から成り、文化と産業の中心である代表都市ビルバオ(Bilbao)や、「ビスケー湾の真珠」といわれる美食の街サンセバスチャン(San Sebastian)、ピカソ(Pablo R.Picasso、1881-1973)ゆかりのゲルニカ(Guernica)などがある。

ヘミングウェイ(Ernest M.Hemingway、1899-1961)著「日はまた昇る」(The Sun Also Rises、1926年)の舞台となったパンプローナ(Pamplona、有名なサン・フェルミン祭=Fiesta de San Fermin、牛追い祭の描写あり)には以前から行ってみたいと焦がれていたし、北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)へと至る高名な巡礼路もあり、北もよさそうだ。

沢木耕太郎はその著で、大ベストセラーとなった「深夜特急」(1・2が1986年、3が1992年、新潮社)にまつわる創作秘話を明かす過程で、旅についての考察、自論を展開する。曰く、その年でなければできない旅、年齢にふさわしい旅がある、旅は自分の背丈がどれほどのものか教えてくれる、背丈を高くしてくれるのも、困難を切り抜けていく中での旅であるなど、さすが旅のエキスパート、洞察力に富んでいる。

旅は背丈を超えて人を成長させる、困難を切り抜けた経験が人を変えるとする、「深夜特急」の著者ならではの旅論は説得力があった。

晩年、ポルトガル(Portugal)のひなびた漁村サンタクルス(Santa Cruz)に長居した檀一雄(1912-1976)についても触れられており、国外に終の住処を求めた作家に改めて、感慨を馳せた(「火宅の人」(1975年、新潮社)はわが愛読書だ。なお、沢木には、檀の未亡人(檀ヨソ子、1923-2015)の観点から書いた「檀」(1995年、新潮社)がある。

若い頃のような旅はできないが、晩年には晩年の旅の仕方があるのではなかろうか。インドで止まってしまった旅の再開、34年も外地で定住の真似事をしてしまったが、新たな新天地求めての旅が始まろうとしている。それは、終の住処を探し求める旅、いわば死出の旅に似ているかもしれない。イベリア半島の涯(はて)で、理由なき旅のいわれが見つかるかもしれない。

※後日読んだ、「作家の愛したホテル」(伊集院静、日経BP社、2009年)も美しい写真入りで、お薦めリストに付け加えておく。
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からインドからの「脱出記」で随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2022年6月5日現在、世界の感染者数は5億3195万9145人、死者は629万9668人(回復者は未公表)です。インドは感染者数が4318万1335人、死亡者数が52万4701人(回復者は未公表)、アメリカに次いで2位になっています。編集注は筆者と関係ありません)。