小池真理子「月夜の森の梟」、夫に捧げる軽井沢挽歌(書評編、106)

(著者がインドから帰国したので、タイトルを「インドからの帰国記」としています。連載の回数はそのまま継続しています)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2022年8月30日】朝日新聞に連載当時(土曜版の別刷「be」で2020年6月から2021年6月末まで)から話題になっていた小池真理子さんの、亡き夫・藤田宜永さん(よしなが、1950-2020)に寄せる追悼エッセイ「月夜の森の梟」(小池真理子著、朝日新聞出版、2021年)を読んだ。

朝日新聞に掲載された当時から反響を呼んだ小池真理子さんの、亡き夫・藤田宜永さんを偲ぶ慟哭の追悼文学「月夜の森の梟」(朝日新聞出版、2021年)。

実はインドで隔離中に、ネット(朝日新聞デジタル)で無料公開されていた同著の何編かは読んでいたので、中身はある程度想像はついたが、全編(52編)通して読んでみると、予想以上のできばえで、完成度の高さに深い感銘を受けた。

というのも、私が、福井出身、軽井沢在住の藤田宜永さんと、藤田家の当主である叔父(母屋、宜永の家は分家)を介して一面識があり、深い付き合いではなかったが、年に数回メールや手紙を交わす間柄だったからだ。私にとって、同郷の私淑する作家が亡くなったのはショックだった。それも、夫を亡くして2カ月後に。

作家同士で切磋琢磨しあってこられた真理子さんも書いておられるように、伴侶に先立たれる経験は、個々人によって違うし、夫婦の関係も百人百様だが、真理子さんと宜永さんの関係は、私にはとても羨ましく思われた。なんでもとことん話し合う濃密な関係、それだけに喧嘩も派手だが、結局は別れられない。

余命を宣告され、まったく違う時間の質に投げ込まれてしまったと著者は書くが、本人たちにとっては、ひどく残酷な時間でも、極限状況の中で、夫婦の絆はいっそう深まったのではなかろうか。夫との間にそうした時間は持たず、あっという間に死なれてしまった私から見れば、羨望の念すら抱く。

藤田夫妻(事実婚が長かったが、11年前に入籍)だからこその夫婦のあり方、ひとつ屋根の下に2人の作家が暮らすことを可能にした特異な絆、出会うべくして出会った宿命のパートナー、彼らに比べると、わが夫婦関係の未熟さ、恬淡と過ぎてしまった、コミュニケーションの希薄さには忸怩たるものがある。が、私自身、結婚に激しさは求めてなかったし、日本語をまったく解せぬ、文学のぶの字も知らぬ外国人夫は、一緒に暮らして楽な相手だった。

しかし、伴侶を亡くすという体験は、いかなる夫婦関係であろうとも、最大のストレスには変わりなく、それだけに、著者の哀しみや辛さ、孤独感も、同じ体験者としてひしひしと染み入るものがある。死を目前にした作家の夫は文学や哲学への興味も薄れ、ただ恐怖と不安に怯えるが、その様子が、生々しく、ある意味冷徹な同士作家の目で描かれる。

藤田本家の当主である叔父に、小池真理子さんから謹呈された「月夜の森の梟」のカバーの折り込みには、「謹呈」の文字が。なお、挿画は横山智子さんによるもので、朝日デジタルではブルーを基調としたカラー原画が覗ける。雪山や樹氷、森の生き物か描かれた挿し絵は、本文中の軽井沢(佐久)の美しい自然描写とマッチしている。

個人的に宜永さんを知っていた私には、夫君にまつわるさまざまなエピソードが面白かった。曰く、「ジュネ藤田」という芸名でシャンソンの弾き語りをしていた作家以前、フランス語がペラペラで歌がうまい、自己流でピアノ(著者注.ピアノを嗜む真理子さんが軽井沢の自宅に購入したもの)をマスター、折に触れ鍵盤を叩き歌っていた、動物好きで野鳥の死骸を埋めるための穴をスコップで掘った、ママゴト遊びのような夫婦生活を楽しんだ、作家業に疲労困憊したときは、死んだことにしてあとはみんなお前に任せられたらなあとうそぶき、編集者が催促に来たら、隠れると言ったこと、が、今は死んだ振りじゃなくて、ほんとに死んじゃった、もういいかい、まあだだよ、帰ったから、もういいよと言っても、夫はどこからも出て来ない、この下りを読んだとき、私自身、夫の死後ひと月してインドに帰って、彼がどこかに隠れているような気がして、ついソファの後ろを探し回ったりしたことを思い出した。

もういない、ノーモアということが信じられなかったのだ。私は死に目にもあえてなかったし、亡骸も目にしてないし、葬儀にも参列叶わなかった。限りなくバーチャルだったのだ。ただ遠いところに出かけているだけ、かねてより洩らしていたカイラス山巡礼に行っているのだと、自分で思い込もうとしたこともあった。

悲哀と孤独と、透徹した自然描写の美しさ、秀作だ。単なる追悼集ではない、文学まで高められた、垢のついた言葉だが、珠玉のエッセイ集である。誰もが避けえない伴侶の喪失体験、既に通過儀礼を済ませた人も、まだの人も、ぜひこの書を読んでもらいたい。詩のような言葉が連ねられた、美しい追悼集、亡き夫に贈る挽歌だ。

※一言/未だ喪失の深さにもがき、抜け出ていないかのような著者を、自らに重ね合わせて愛おしく思う。
私にとっては、夫の死(享年68)、敬慕する作家の死(享年69)と、二重のショックに打ちのめされた2019年11月22日から2020年1月30日、改めて再体験させられ、胸が痛み、切なくなるような、藤田家当主叔父への未亡人作家からの謹呈本だった。

〇こぼれ話/宜永先生と私

福井市在住の叔父が叔母の検診がてら7月4日に来沢、午後繁華街・香林坊で2年半ぶりに再会した折のこと、かねてより頼んであった小池真理子さんの喪夫エッセイ、「月夜の森の梟」を持参してもらった。

ここで、藤田家当主である叔父と、2020年1月他界した福井市出身の直木賞作家、藤田宜永さんとの関係について触れさせて頂くと、同姓から類縁が想像できるかもしれないが、叔父が本家の当主、藤田さんの父親(故人)が分家にあたり、叔父夫婦は藤田宜永&小池真理子ご夫妻とは何度かの面識があり、季節ごとの贈り物や書状を交わす仲であった。叔父は藤田家の墓守でもあるため、実家にはほとんど寄り付かなかった故人作家も、叔父に亡くなった両親の墓守も頼んでいたようだ。

そういう縁で、私も叔父を介して宜永先生と面談の機会が授けられたことがある。2017年6月24日、福井県立図書館の講演会に帰福されたとき、叔父と共に駆けつけ、憧れの作家先生に個人的に初の面談がかなったのである。

先生の第1印象は、鮮やかなブルーのジャケットとサングラス、黒い石のペンダントがお洒落で、美声の持ち主、偉ぶらない気さくな方でもあった。饒舌ぶりから、文壇の明石家さんまと呼ばれていたと知ったのは、後のことだった。

そのとき、先生から作品が出来たら、送ってくれていい、読みますからと親切に申し出られたにもかかわらず、既に1度厚かましく送り付ける非礼を働いていた私は、2度不躾を行う気にはなれず、そのままになってしまった。

面談以前から、先生に私淑していた私は、下手な小説を送りつけて厚かましく批評を請うたり、自費出版した父の伝記小説(「車の荒木鬼」)の帯の推薦文を書いて頂いたりしていたのだ。

年に数度、そのような形で交流があったため、肺がんに侵されていたとは露知らなかった私のショックは測り知れなかった。県立図書館の控え室で初めてお目にかかったとき、肺気腫とは聞いていたが、腫瘍は後に発見されたようだ。15、6歳から吸っていたハイライト3箱が命取りになったという。我が亭主も、11歳から喫煙、中年から晩年にかけて増えてショートホープに似た強い味の煙草(wills flake)を4、50本、加えて飲酒癖、元々高血圧だったことが祟って、健康悪化、死因は心筋梗塞だった。

肺がん末期で死に瀕していると知っていたら、亡くなられるひと月前にメールを頂いたとき、夫の不幸に打ちのめされていたとはいえ、すぐに返事を書いただろう。結局、私が返事を送ったのは、死後1日たってからのことで、本人は既に亡き人だった。

自分の不幸で精一杯で、最期の最期にまたしても無礼を働いてしまったことが、深く悔やまれた。

崇敬する同郷作家までも喪い、二重のショックの中で、私は前代未聞のパンデミックに巻き込まれ、2年以上の隔離生活を現地で強いられる。独房の囚人のような生活、喪に服するには好都合とはいえ、異国で未知の疫病に怯える生活は苛酷だった。

頼れる伴侶がそばにいたらと何度も思った。その反面、肺をやられていた夫は、パンデミックを生き抜けなかっただろうとも、思った。コロナ前に、苦しまずに逝けて幸いだったのかもしれない。私にとっての嵐のような歳月だった。

2022年3月半ば、やっと冬の時代から解放され、春の足音が近づく祖国の土を踏むことが出来た。

それから4カ月、私の心に本格的な春は訪れず、未だ迷いのさ中にある。私にはもう、どこにも帰る場所がない。夫は私の錨、港だった。夫がいたから、私の帰りを待ってくれる人がいたから、度重なる一時帰国の後でも、律儀にかの地に帰っていったのだ。

糸の切れた凧みたいに、私は漂う、ふらふらと。これからどこへ行けばいいのか、どうすればいいのか、皆目わからない。依存心の強かった人妻は突然、独りになったのだ、ぽんと虚空に放り出されたのだ。強制終了。

私はさまよい続ける。糸が繋がれる地、人を求めて。まだ何も見えない。暗中模索、行き暮れたウィドウフッド、生きている限りは、希望を追い求めて新天地へ。スペイン・バルセロナへ、いざ!七夕祭りの短冊に願いを書いた。夢が叶いますように、祈りが届きますようにと。イベリア半島の涯(はて)で、懐かしい人が待っているかもしれない。

〇直木賞夫婦作家のお薦め図書

●藤田宜永さん
〇「愛さずにはいられない」(新潮文庫、2021年、単行本の初版は2003年)。郷里福井をはじめ東京を舞台にした青春自伝小説。実母との確執や、逃れるように上京した高校生活中の同棲や女性遍歴が、赤裸々に描かれる。死後復刻版の解説は小池真理子さん。
〇「菜緒と私の楽園」(文藝春秋、2017年)

●小池真理子さん
〇「青山娼館」(角川書店、2006年)
〇「死の島」(文藝春秋、2018年)。安楽死がテーマの作品に登場する末期ガンの男性主人公(69歳)が夫君の宜永さんに重なるが、この渾身の力作が書かれた時点では、まだガンは発覚していなかった。期せずして同じ死亡年齢といい、不吉な符合で、まるで3年後の夫の死を、無意識下で悟っていたかのようだ。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からインドからの「脱出記」で随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2022年8月22日現在、世界の感染者数は5億9675万1677人、死者は645万5057人(回復者は未公表)です。インドは感染者数が4434万8960人、死亡者数が52万7368人(回復者は未公表)、アメリカに次いで2位になっています。編集注は筆者と関係ありません)。