3年ぶり金沢で百万石まつり、地元民が3日間に熱狂(108、旅ルポ編)

(著者がインドから帰国したので、タイトルを「インドからの帰国記」としています。連載の回数はそのまま継続しています)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2022年9月23日】6月3日から5日まで、3年ぶりとの御旗のもとに、石川県金沢市で「百万石まつり」が開催された。金沢市滞在中の私が目撃したお祭りをレポートする前に、百万石まつりのいわれや由来について、簡単に前置きしておこう。

6月3日、百万石まつりの前夜祭として、浅野川に流された灯篭。暗く浮き上がった加賀友禅の草花絵柄が夜の川面を彩り、風趣を醸す。

同祭は、加賀藩の祖、前田利家(1538-1599)が1583年6月14日、金沢城に入城したことにちなんだもので、入城の行列を再現した百万石行列をはじめ、薪能(たきぎのう)、茶会などのイベントが6月上旬の土曜日を中心とした3日間に行われる。

ルーツは、1923(大正12)年に金沢市祭として行われた行事で、1945年まで執り行われ、翌年からGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導で「尾山まつり」として催行、現在の形式になったのは、1952年の金沢市と金沢商工会議所主催の商工まつり第1回とされている。元々は江戸時代に行われていた「百日祭」が起源とされ、その節は行列は3日間かけて行われたという。

新型コロナウイルスの影響で、2020年、2021年と見送られたが、今回、3年ぶりの開催が決まり、熱狂する市民や観光客が沿道を埋め尽くした。協賛の地元紙・北國新聞によると、その数34万人、大盛況に終わった。

〇第1日目(6月3日)
初日は9時、金城霊澤・金澤神社の宮司による霊水汲み取り(お水取り)の儀式、13時から加賀藩祖前田利家と正室お松の方が祀られた尾山神社で献茶式が行われたが、私はいずれもパス、19時からの浅野川の灯篭(とうろう)流しを見るために、夕刻バスで出かけた。

開催地には人が溢れ、こんなに混雑していると思わなかった私はびっくりし、大丈夫かなあとちょっと感染を懸念、人の波を掻き分けて川辺に出た。

6月4日、百万石まつりの初日、沿道で加賀とび梯子のぼり芸を披露する地元消防団。梯子のてっぺんで倒立を繰り広げる若衆に感嘆の声と盛大な拍手が。

既に上流の天神橋から灯篭600挺が流されたらしいが、梅ノ橋辺りで滞っていて、浅野川大橋手前で待つこちらの方になかなか流れてこない。黒子衆が棹で運行をスムーズにしようとするが、のろのろ、30分ほど待って、やっと20挺程の灯篭が群れなして流れて来た。が、灯篭は薄暗く、加賀友禅の草花模様らしい飾り絵も判然としない。もう少し壮麗なものを期待していた私としては、やや期待外れ、こんなもんかと、以後次々流れてきた灯篭をクールに眺めていた。ただし、川の夜景は美しく、周囲の建物の灯りが黒い水面に映り、ライトアップされた大橋との対照が美しく、灯篭流しを引き立てた。

※あとで調べてわかったことだが、火災予防の点から、灯篭の火はLEDが用いられるとのこと、それにしてはやけに薄暗かったなと思い返し、もし本物の火だったら、加賀友禅模様も美しく浮き上がったのではなかろうかと、残念に思った。

後日追加で調べたウィキペディアの「灯篭流し」によると、2018年6月1日、百万石まつりの一環で行われた灯篭流しの1200挺中、火が燃え広がり600挺が焼失、消防車出動で10分後に消し止められ、怪我人はなかったとのこと、過去の火災事例に鑑み、個数を半減し、LEDに変えたものと思われるが、火の情緒に、人工は叶わない。

背中に赤母衣(ほろ)の防具を着けた馬上の武将か、百万石通りを颯爽と行く。

〇第2日目(6月4日)
2日目はいよいよ武将やお姫さまらの行列、14時に金沢駅前広場を出発。中心街に入るのは15時頃かと見積もって、居室を出たのは14時30分、15時過ぎに徒歩で繁華街・香林坊に着いたが、既に大勢の人が沿道を埋め尽くしていた。百万石通りではちょうど、獅子舞が行われていた。少し前方に進んだ日銀前で群衆の隙間を見つけ立位で見学、そのうち加賀とび芸が始まった。

梯子のてっぺんで逆立ちなどの曲芸を披露する若衆に盛大な拍手が送られる。私は百万石まつりを見るのはこれが2度目だったが、加賀とびは初めてで、見応えがあった。やはり、3年ぶりということもあるのだろう、演じる方も、見る側にも気合いがこもっていて、前よりずっといい。前に見たときは、武将に身をやつした衆もだらだら、惰性で歩いている風でいまいち熱が足りなかったのた。

待ちに待った前田利家の正室、お松の方(1547-1617)が車上高座に登場、扮するのは栗山千明。インド在住の私には馴染みない女優だが(ウィキペディアによると、ハリウッドのアクション映画「キル・ビル1」(2003年)に出演していたとかで、そういえばとおぼろげに記憶あり)、あとで撮影禁止の措置(肖像権の問題か)が炎上したようだ。沿道からは、遠目で、撮影も問題なさそうだったから、金沢城での近距離撮影でのことか(末尾の※注参照)。

いよいよ主君の登場。竹中直人(名前だけは知っていた同世代の俳優)扮する利家は白馬の上で、愛嬌たっぷり、サービス精神旺盛に、群衆の歓声に応える。つんと澄ましたお姫さまよりよかった。

午後遅く到着したので、ハイライトを見逃したかと心配したが、1番いいとこだけ見れて、ドンピシャだったようだ。

最後に赤母衣(赤ほろは、矢や石などから防御する甲冑の補助武具で、兜や鎧の背に幅広の赤い絹布を付けて風で膨らませるもの)の馬上武将を見て、以後の踊り流しは立ち疲れたのでパス、しいのき迎賓館で休憩した。行列は今頃金沢城に到着しているだろう。広場で弓矢の演技を披露し、馬上姿もりりしい利家公を盛り上げる入城祝祭が執り行われているはずだが、人出もひどいだろうし、追いかける気力はなかった。

私の待ち望むもうひとつのハイライトは、金沢城の三の丸広場で開かれる19時からの薪能だ。若い頃からお能は割と好きで、東京の劇場で鑑賞したこともあったのだ。

着いたときは、前座の狂言をやっており、酒蔵の盗酒がテーマの狂言「棒縛り」はユーモラスだったが、最後の演目、「胡蝶」が圧巻だった。

蝶の化身の女人が僧に成仏祈願、梅の花のもとで一夜心ゆくまで舞い遊び、在世花に親しみながら梅にだけは縁遠かった心残りを果たす。僧の法華経読誦で、雲の上人の嘆賞した古来の名木との縁(えにし)が結ばれ、胡蝶の精霊は菩薩となる。

かがり火と、天の半月に浮かび上がる臙脂(えんじ)の舞衣装が美しく、幽玄で、加賀宝生流(前田家の5代藩主綱紀(1643-1724)が1686(貞享4)年に遡り、江戸将軍前に能を披露し、以後代々保護奨励に努めた)の醍醐味を味わわせてもらった。

※注 利家・まつの主役の2人の撮影禁止措置は、市民の間で不評を買い、ネットで炎上、市長自ら、契約の詰めが足りなかったと弁明する騒ぎにまで発展した。ネット上の肖像権をめぐるトラブル回避を考慮してのことだったらしいが、公道の行列なのに何故、興ざめだと市民は反発、納得いかなかったようだ。金沢市のホームページで事前に撮影禁止の旨のただし書きや、沿道でも禁止の呼びかけがあったらしいが、私は聞いていなかった。栗山千明は後日、ツィッターで謝罪、一方、竹中直人は、撮影禁止は要請しておらず、沿道でも快く市民の撮影に応じた旨申し開きをした

第3日目(6月5日)
14時前に部屋を出て、金沢城三の丸広場へ。「盆正月」(半世紀に前田利家の嫡子誕生や官位昇進を城下あげて祝った催事を再現)の2回目の催しが14時30分からあるはずだが、いっこうに始まらない。芝の上に敷物を敷いて座る人々が三々五々集い始めていたから、間違いはないようだが、一旦立って、周囲をうろついたりした。

休憩所の裏は食べ物のテントが軒を並べていたり、芝ガーデンはわんぱく道場と銘打って、フラフープや輪投げに興じる幼い子どもたちの遊び場となっていた。シャボン玉がわが顔にぶつかって弾ける。石鹸水をストローで吸い込む少女時代のワクワクした気分を思い起こし、一瞬ノスタルジーをそそられた。

そうするうちにやっと、演目が始まった。加賀の太鼓、ちびっ子たちも熱演だ。が、私のお目当ては鷹狩りの鷹匠、この後かなぁと期待して待ったが、30分ほどで熱演が終わると、すべての催しも終了、どうやら午前中(11時30分)の1回目で鷹匠の実演は終わってしまったらしい。太鼓も悪くなかったが、少しがっかりして広場を後にした。

さて、これからどうしようと考えて、途上の兼六園に寄って行くことにした。お祭り期間中無料開放で、昨夜時間が遅すぎて寄れなかったのだ。いつも無料開放時は夜が多く、ライトアップ庭園ばかり見ていたが、新緑の季節、昼の庭園で緑を楽しむにはもってこいだ。
思ったとおり、日本3大名園の松やもみじ、桜の若葉はめくるめく緑、咲き残りのツツジや、今を盛りのかきつばたの鮮やかな紫も併せて堪能して帰った。

▽おまけの4日目(6月6日)
3日間百万石まつりを堪能した翌日は、雨だったが、金沢港クルーズターミナル(2年前の2020年6月開業)までバスを乗り継いで出かけた。

クルーズターミナルは、4月下旬見学済だったし(前号のルポ参照)、雨天で再訪したくない気持ちもあったのだが、クルーズ船・にっぽん丸がお祭り期間中寄港、昨夜はワンナイトクルーズで地元民を乗せて、能登など周辺の海域を周遊、日本海に沈む夕日と美食を乗客は堪能したらしい。

6月6日午前に金沢港に戻って、夕刻17時には出港、これを逃したら、次のクルーズ船は9月まで寄港予定がない。雨でも、行くしかない。小説の題材にしたいとの思いもあって、祭疲れの体に鞭打って出かけた。

雨だから、かえって風情があるかもしれないとの目論見は当たった。着く頃には細かい雨か本降りになりかけていたが、傘を差しながら目前にする客船は、壮大だった。全長166.65メートル、8階から成る「にっぽん丸」(商船三井客船、定員は最大532人)は、2万2472トンと、クルーズ船では1番小型らしいが、小柄な私にはその威容に感激させられた。

6月6日、金沢港に寄港したクルーズ客船、にっぽん丸。霧雨の中けぶるように浮き上がる美船の威容に圧倒された。

屋根が波をかたどったガラス張りのモダンな建物、クルーズターミナルの中に入って2階の展望デッキ室に行き、目と鼻の先の大型客船を飽かずに眺めた。雨にもやった視界にでんと威厳をもって、港を占拠する美船、にっぽん丸の名にふさわしく、船首に白地に赤い太陽、日の丸旗が雨風を受けてはためいている。日本国の象徴、白地に赤い太陽の、円い紅が目に鮮やかに焼き付いた(あとで調べてわかったことだが、東南アジア青年の船としても使われていたらしい。1974年運行を開始、現在のモデルは3代目とか)。

祭りのあとの平日のため、見物客も少なく、心ゆくまで観察できた。デッキの欄干から身を乗り出して、1人の主婦らしき地元女性が盛んに手を振っている。船の中ほどの乗船中の乗組員がバルコニーから手を振り返していた。私も思わず、手を振った。隣の主婦は、ハンカチを盛んに振り出していた。

「私、にっぽん丸を見送るとき、涙が出てくるのよね」
何か人には言えない思い出があるのだろうか。
「お客さん、乗ってないみたいですね。どこに行くんでしょう」
「釧路みたいよ」

北海道かぁ、行きたい、「密航」という単語がよぎった。お客さんが乗ってないなら、こっそり潜り込ませてもらえないかな。今度は、手を振る側でない、手を振られる側になり、見送られ、なろうことなら洋行の旅へと意気揚々と出たい。

「あ、白い制服のコックさんが見えた。あそこがダイニングホールかな。昨夜のディナーは、日本海の海の幸尽くしで超美味だったらしいよ。さっき乗った人が見送りに来てて、言ってた」

寄港地の旬の食材を活かす伝統料理にワイン、想像しただけで、唾液があふれた。

いざ冒険心をそそるクルーズツアーへ。インドで2年3カ月も苛酷な隔離生活を耐え抜いた身には、それくらいのご褒美はあげてもいい気がした。

やがて、接岸していた船は、ロープを外し、徐々に岸を離れていった。ポーという汽笛、てっぺんの鮮やかな橙色のファンネル(煙突)から白煙が上がっている。長い汽笛信号と、宙にたなびく白い蒸気は、旅愁をこよなくそそる 。カモメが群れをなして、船体の周りを飛び交っている。

いよいよ別れのシーン、クルーズターミナルの関係者7人が傘を差しながら船の前に佇み、盛んに手を振りつつお見送り、近海から沖に出た船は徐々に小さくなり、霧雨の向こうに幻のように掻き消えた。

※後日、にっぽん丸は、富山の射水港から客を乗せて(2年8カ月ぶり)、秋田経由函館に向かったことを知った。

編集注:薪能は夏の夜間に臨時に設置された能舞台の周囲にかがり火を焚いて、選ばれた演目を演じる能楽をいう。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からインドからの「脱出記」で随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2022年9月14日現在、世界の感染者数は6億1035万0074人、死者は651万9987人(回復者は未公表)です。インドは感染者数が4451万6479人、死亡者数が52万8250人(回復者は未公表)、アメリカに次いで2位になっています。編集注は筆者と関係ありません)。