(著者がインドから帰国したので、タイトルを「インドからの帰国記」としています。連載の回数はそのまま継続しています)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2022年9月30日】8月20日、福井市春江町の斎場で執り行われた知人の葬儀に参列した。会場となったセンター「ソートフル春江」は実は、昨年10月9日に亡くなった母の葬儀が行われたところでもあった。コロナ禍で危篤時はおろか、葬儀に参列も叶わなかった私だが、母の葬儀の様子も遡りがてらシミュレーションでき、感慨深かった。

2011年に上梓した我が亡父(俗名・荒木重男)の伝記小説「車の荒木鬼」(プイツーソリューション)には、竹馬の友かつ共同経営者の故人(俗名・北出篤)が登場、2人で始めた自動車整備会社(福井モータース、福井市)が高度経済成長の波に乗って急躍進を遂げる様が描かれる。前身は優秀な整備士であった故人は社長から会長と、95歳まで現役、後継者(荒木家次男)の後見役としても自販会社を盛り立てた。
金沢市から長弟の車で向かったが、生憎雨天、故人が住み慣れた娑婆を離れがたく、嘆き悲しんでいるような気がした。感染急拡大の折、参列者は遺族はじめ縁者・勤務先関係者の20人程度で、読経(浄土真宗)や焼香など、儀式は1時間ほどでつつがなく終了し、出棺となった。
棺に安置された故人に、祭壇の花が参列者によって手向けられ、白い蘭に埋もれた故人は、穏やかな死に顔で棺に次々に埋められていく高貴で香り高い花の山の中で幸福そうに笑んでいた。ひのきの蓋が閉められ、色とりどりの花に埋もれた美しい亡骸は、霊柩車の後部から安置された。
日本でのお葬式は、父の死以来、42年ぶり、当時と比べると、隔世の感がある。お葬式もショー化し、マニュアル通りに進められるプロセスに違和感がなくもなかったが、簡素な分、重さはなく、故人が98歳という大往生を遂げたことからも、涙とは無縁に近いいい儀式だった。
父の葬儀は菩提寺で営まれ、重々しく厳か、何人もの僧侶が永代経という高額な読経を唱え、花輪も昔ながらの大きなもので、公人だっただけにびっしり会場を埋めつくし、壮観だった。拝殿に飾られた花の祭壇も見事だったが、棺を花で埋める最期の儀式はなかったように思う。畳敷きの正座での焼香客に、遺族代表(母の代わりの喪主)の私は、和の喪服姿で一人一人に、終了後丁重にあいさつのお辞儀をしたことを覚えている。
伝統に則った仏式の厳かな寺葬に比べるど、今どきの告別式は和洋折衷、参列者は簡易椅子に座って、遺影ディスプレイの掲げられた花の祭壇を前に、儀式の一部始終を見守ることができる。小さな簡易式仏壇の前でお経を唱える僧侶も重々しく厳かというよりは、どちらかと言えばカジュアルな雰囲気だ。
父の共同経営者だった故人(俗名・北出篤)は、盟友でもあった父の2倍の人生を生き、95歳まで現役、紆余曲折はあったものの、仕事が生き甲斐のよき人生を送った。お盆に見まかったことといい、迎えに来た御先祖さまに引導を渡されたと解釈すると、最期まで恵まれた生涯だったと思う。生前お世話になった私は恭しく合掌して、故人の冥福を祈った。
ちなみに、今回の祭壇の花代は100万円、42年前、父の慰霊にあげてもらった永代経は150万円なり。葬式も物入りだ。今、香典返しは商品券、特大サイズのお弁当が海老フライ&茹で海老・鳥の唐揚げ・ホタテ、あゆの塩焼き、かれいの煮付け・里芋やタケノコ、かぼちゃの煮物、卵焼き、かまぼこ、なます、くるみの佃煮、きゅうりのキューちゃんなどおかず満載と小梅つきごまかけご飯、デザートが3色団子、ルビのグレープフルーツ1片等々、超ゴージャス。
今まで食べた仕出し弁当中ベスト、隔離ホテルでまともな和食弁当出せと毒づいていたけど、5カ月後に達成されたわけだ。しかし、精進料理でなくていいのか、海鮮てんこ盛りだった。
蛇足ながら、インドで行われた亡夫の葬儀はコロナ前だったため、3日連続大盛況、参列者は700人を超え、会食を楽しんだ。インドでは、お葬式はあまり湿っぽくなく、新調した衣服を親族や僧侶に贈る習慣もあり、喪主の長息が金に糸目をつけず、ホテルオーナーにふさわしい豪勢な式で天界へと見送ったものだ。
〇戦時下の苦難に耐え、つつましく生きる人々を描いた「世界の片隅に」
8月11日、石川県金沢市の繁華街・香林坊の広坂通りにある旧県庁舎、大正期の瀟洒なビルディング「しいのき迎賓館」で、星空の下でのシネマ(ナイトシネマウィーク)を楽しんだ。
ライトアップされた旧石川県庁舎、しいのき迎賓感ではギャラリー展示ほか、さまざまな催しが行なわれ、夏休み中のナイトシネマウィークもその一環だ。
最終日の出し物は5年前にヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督、2016年)。題名だけは知っていたが、観たことはなかったので、ネットで軽く下調べして出かけた。
原作は、マンガ家のこうの史代で(「漫画アクション」(双葉社、月2回刊)に2007年から2009年に連載)、2016年11月に公開され、2019年12月までロングラン(1133日連続の史上最高、累計動員数210万人、興行収入27億円)のミニシアター系としては異例のヒット作品となった(国外60地域でも上映)。
第90回キネマ旬報日本映画ベストテン第1位並びに日本映画監督賞、第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞、第59回ブルーリボン賞監督賞、第67回芸術選奨文部科学大臣賞、チームとして第65回菊池寛賞など、数々の受賞歴がある。
しいのき迎賓館の裏の広場には、大スクリーンの下手に、簡易椅子が間隔を開けて並べられ、開演を待っていたが、観客は思ったより少なく、混雑を予想していた私は拍子抜け、コロナ急拡大の折、悠々と前席で観られてかえってよかったが、肝心の映画も期待を裏切らず、とてもよかった。
画面の白布にしわが寄って映像が少し見にくく、色がぼけているのがいまいちだったが、次第にのめり込んでいき、大東亜戦争時のアメリカB52機の呉市への爆撃シーン、機銃掃射は臨場感溢れる迫力があり、実際に空襲を体験した人は怖かったろうなと実感、最大音量の爆音に怯え、画面の防空壕に避難している主人公たちと一緒になって恐怖感を味わった。
2021年10月に亡くなった母がかつて、福井県春江町江留中の実家の屋根から、福井市内が空襲で真っ赤に燃え上がるのを目撃したと漏らしたことを思い出し、今さらながらに、大変な時代だった、16歳の思春期にある女学生は、どんな思いでふるさとの市街が焼けるのを見ただろうかと、その折の母の恐怖や悲しみ、絶望が、爆撃画面とともに蘇り、切なく迫ってきた。
戦時下にありながら、つつましく生きる市井の人々がよく描けている。終戦記念日を前に、このヒューマンタッチの平和を声高にでなく、静かに訴える映画を鑑賞できたことは、意義があった。
★ディテールメモ
〇あらすじ
昭和19(1944)年、広島市から軍港のある呉に18歳で嫁いだ主人公のすずが戦時下の困難にあっても、配給食を工夫を凝らして水増しして煮炊きしたり、たくましく生き抜く様を描く。幼い姪が爆死し、右手を失っても(作中主題曲はコトリンゴの「みぎてのうた」)、趣味の大好きな絵を描くことを止めず、明るく健気に生きる姿が共感を呼ぶ。
原爆下の広島の廃墟と化した街の様子も描かれるが、あからさまでなく、呉にいた主人公家族は、空がピカッと光る様や、キノコ雲の様子などでほのめかされ、すずが広島に帰省したときは、生き残った姉が身を寄せていた祖母宅で原爆症で床に就く様子などが描かれる。
〇こぼれ話
映画制作にあたって、2015年3月からクラウドファンディングを開始、5月末までに目標の2000万円をはるかに超える3912万1920円を集め(47都道府県の3374人の支援者は、金額共々過去最高)、「クラウドファンディングで制作費を調達したフィルム」と報道されることもあったが、実態は制作に関わるスタッフの確保や、支援者や配給会社向けの宣伝用フィルムを作成するために使われたらしい。なお、映画の終わりのクレジットには、支援者の長い一覧名が感謝の意をこめて、続く。
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からインドからの「脱出記」で随時、掲載します。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。
2022年9月26日現在、世界の感染者数は6億1555万5415人、死者は653万8190人(回復者は未公表)です。インドは感染者数が4457万5473人、死亡者数が52万8562人(回復者は未公表)、アメリカに次いで2位になっています。編集注は筆者と関係ありません)。