暴力描写に妥協がないが、映画の面白さが際立つ「ヘルドッグス」(351)

【ケイシーの映画冗報=2022年9月29日】故人なのですが、日本を代表するハードボイルド作家が、こんな文章を残しています。

9月16日に公開され、初週3位、2週目4位と健闘している「ヘルドッグス」((C)2022「ヘルドッグス」製作委員会)。

「ハードボイルドは善も悪もなく、世を支配している既成概念をたたき潰す」

現在の日本で、この一文にぴったりな作品を生み出しているのが、本作「ヘルドッグス」の原作小説「ヘルドッグス 地獄の犬たち」を手がけた作家の深町秋生です。全作を通読しているわけではないのですが、その作中では、警察も犯罪者も徹底して“突きぬけた存在”がメインとなり、正義や司法といった社会的な規範が抜け落ちている“恐ろしくも魅力的な”人物が活躍しています。

警官でありながら、強盗殺人事件を防げなかった出月(いでづき)梧郎(演じるのは岡田准一)は、警察をはなれて、すさまじい戦闘力で非合法に犯人たちを“退治”していました。犯人すべてに制裁を終えたところで、拘束される出月。

拉致したのは警察で、出月は“潜入捜査官”として、関東で勢力を強めている東鞘会(とうしょうかい)に加わり、組織のなかで地位を高め、トップの十朱義孝(演じるのはMIYAVI=みやび)に接近することを厳命されます。

兼高昭吾の名前で東鞘会の戦闘部隊“ヘルドックス”に加わった出月は、無軌道だが実力をそなえた室岡秀喜(演じるのは坂口健太郎)とコンビを組み、優秀なヒットマンとして活躍することで、ついに十朱のボディーガードの一員になります。

その一方で、兼高=出月の存在に東鞘会内部でも不信の目が向けられるようになり、危険視されるように。信頼と背信、愛情や友情がからみあう、そのクライマックスは一体、どう決着するのか。

兼高=出月を演じた岡田准一が本作の監督・脚本である原田眞人と組んだ映画は「関ヶ原」(2017年)と昨年の「燃えよ剣」につづいての3作目となっています。過去の2作品で演じたのが歴史上の人物で、“魅力的な敗者”と評すべき存在なのに対し、本作は現代劇で、悪漢であり、なおかつヒーローでもあるといった二面性があります。

主役を演じた岡田によると、「兼高は、極道潜入捜査官というカオスのなかで生きている男。出会う人との関係性のなかで、正義なのか罪なのか、闇なのか光なのか、生と死、希望と絶望、相反するものを突き付けられていく」(パンフレットより)ということなので、私が抱いた感想もさほどはずれてはいないと感じます。

警官であったという過去をもちながら、戦うときには非情に徹し、鍛えた力と技で相手を完膚なく叩いてしまう兼高=出月の戦いに対して、相棒の室岡は、天性の暴力性(幼少期に凄惨な経験をしている)と、節度というものを感じさせない暴走気味の戦いをみせます。このちがいは、コンビ役であり、本作での格闘デザインもした岡田も意識していたそうです。

「室岡というキャラクターは、技術としてはそれほど上手くないけど(中略)、他の人が躊躇することも躊躇しないから強い」。兼高は「しっかり練習してきたという設定。(中略)ピュアさと強さを併せ持っている」(パンフレットより)

こうした、「コントラストの強さ」は、本作のさまざまな部分に描かれています。近代的なオフィスビルに、現代アートやオブジェが配された東鞘会の筆頭である十朱の会長室は、とてもヤクザの事務所には見えません。ところが、その配下である大幹部の邸宅は、純和風の豪奢なデザインと、ヤクザの典型のような様式で登場します。

また、静謐な環境からいきなりアクションになったり、シリアスなシーンや会話なのに、どこかコミカルな絵づくりになっていたりと、「コントラスト」がつよく意識されます。その最たるものは照明効果でしょう。自然光が積極的に取り入れられているなかで、“闇の深さ”も重要なモチーフとして扱われていることが伺えます。

原作の深町秋夫もこう述べています。「誰の心にも生まれる葛藤や矛盾をエンターテイメントとして表現したくて、警察とヤクザという設定を選んだわけですが、掟が厳しい世界であるほど葛藤も大きい。やっぱりそこに強く惹かれるんですね」(パンフレットより)

バイオレンス描写に妥協がないので、インパクトのある、きびしい描写も見受けられますが、映画自体の面白さには異論はないでしょう。次回は「その声のあなたへ」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。