森岡書店と文房堂で戸田吉三郎展、無印で森岡店主と宮本武典対談

【銀座新聞ニュース=2022年11月4日】絵本などを制作、出版する戸田デザイン研究室(文京区小石川2-17-6、03-3812-0955)と森岡書店(中央区銀座1-28-15、鈴木ビル、03-3535-5020)は11月15日から20日まで、時代に埋もれた裸婦の画家・戸田吉三郎回顧展「これは裸婦か、哲学か。」を開く。

戸田デザイン研究室と森岡書店が11月15日から20日まで共催する戸田吉三郎回顧展「これは裸婦か、哲学か。」のフライヤー。

また、11月24日から29日まで文房堂ギャラリー(千代田区神田神保町1-21-1、文房堂ビル、03-3291-3441)でも同じ戸田吉三郎回顧展を開く。

生涯、裸婦を描き続けた洋画家の戸田吉三郎(1928-2016)が亡くなって6年、フランス・パリ留学(1953年から1955年)後に、美術界の潮流や評価に背を向け、山小屋に籠もって哲学書を読み、黙々と裸婦を描き続けるという暮らしを自ら選び、自らの作品についても語らず、このため作品の制作年号を追うことも難しい画家だ。

戸田デザイン研究室と森岡書店では戸田吉三郎の作品について「山々のように雄大な空気を帯びた裸婦から漂う静けさと温かみ。粗い線で描かれた女たちから立ち上る生と死の気配や痛み。戸田吉三郎は世間のものさしで物事をとらえる危うさと格闘し、裸婦を通して真理を追求しようと試みた求道の画家」としている。また、美術評論家の米倉守さんは戸田吉三郎の裸婦について「媚態がない」と評している。

戸田デザイン研究室は戸田吉三郎の実弟で、デザイナー、51歳で絵本作家にもなった戸田幸四郎(1931-2011)が創設者で、現在は戸田幸四郎の子息の戸田靖さんが代表を務めている。

戸田吉三郎は1928年山形県尾花沢市生まれ、10代で師範学校に通い、柔道に励んでいたが、大東亜戦争により学徒勤労動員され、神奈川県・金沢八景の軍事工場に赴き、17歳で終戦を迎え、1951年に東京美術学校(現東京藝術大学)を卒業、在学中より裸婦をテーマとした油絵を描き、裸婦画の大家として知られる寺内萬治郎(1890-1964)に師事し、1953年にフランス・パリに留学し、1955年に帰国し、山小屋にこもり、創作に専念し、裸婦を描いた。

画商で福島コレクションで知られた福島繁太郎(1895-1960)の支援を受けて、福島繁太郎が銀座に開いた「フォルム画廊」で毎年個展を開いた。自らの作品についても一切、題名をつけず、説明も省き、2014年に刊行した「戸田吉三郎画集」でも解説や制作年代、作品名もなく、「作品がすべてを語る。観る者が感じたことがすべて」という考えを貫いた。

会期前の11月9日19時から無印良品銀座(中央区銀座3-3-5)の6階「ATELIER MUJI GINZA(アトリエ・ムジ・ギンザ)」で東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻準教授で、今回のキュレーターを務めた宮本武典さんと、森岡書店店主の森岡督行(よしゆき)さんによる対談「画布と裸婦:戸田吉三郎が遺したもの」を開く。参加費は無料で、事前申し込み制(https://www.muji.com/jp/ja/event/event_detail/?selectEventId=4666)。

宮本武典さんは1974年奈良県奈良市生まれ、1999年に武蔵野美術大学大学院を修了、タイ・バンコクの海外子女教育振興財団に勤務し、武蔵野美術大学パリ賞受賞によりフランス・パリのシテ・インターナショナル・デ・アーツ(パリ国際芸術都市)で研究、帰国後、原美術館学芸部アシスタントを経て、2005年に東北芸術工科大学教授・主任学芸員、2019年に角川文化振興財団クリエイティブディレクター、「角川武蔵野ミュージアム」(埼玉県所沢市)の開館を準備し、2021年に東京藝術大学テクニカルインストラクターを経て、同大学美術学部絵画科油画専攻准教授。

森岡督行さんは1974年山形県生まれ、1998年に神田神保町の一誠堂書店に入社、2006年に茅場町にて「森岡書店」として独立、2015年5月には銀座に移転して「森岡書店 銀座店」をオープンした。

開場時間は森岡書店が13時から19時(最終日は18時)。文房堂ギャラリーが10時から18時30分(最終日は17時)。いずれも入場は無料。