丸善日本橋で藝大院保存修復出身の狩俣公介、須藤和之ら4人展

【銀座新聞ニュース=2022年11月22日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は11月23日から29日まで3階ギャラリーで狩俣公介さんら4人による「雪月風花ー院展新鋭作家四人展」を開く。

丸善・日本橋店で11月23日から29日まで開かれる「雪月風花ー院展新鋭作家四人展」のフライヤー。

今回は東京藝術大学大学院保存修復教室出身で、日本美術院院友の狩俣公介さん、慶應義塾大学非常勤講師で日本美術院院友の須藤和之さん、同じく日本美術院特待の並木秀俊さん、同じく日本美術院院友の松村公太さんの4人が出品する。

ウイキペディアなどによると、「公益社団法人日本美術院」は1898年に岡倉天心(1863-1913)が東京美術学校(現東京藝術大学)を排斥されて学校長を辞職した際に、自主的に連座して辞職した横山大観(1868-1958)らが岡倉天心の計画する美術研究の構想に賛同し、同年7月に美術研究団体としての「日本美術院」を東京・谷中大泉寺(谷中初音町)にて結成したのがはじまりとされている(1952年に東京都の文化史蹟に指定され、現在、岡倉天心記念公園として岡倉天心先生旧宅趾・日本美術院発祥之地碑が建てられている)。

同年10月に落成開院した日本美術院は日本絵画協会と連合して「日本美術院展覧会(院展)」を開き、以後、日本絵画協会と合同で春秋2回、絵画展覧会を開催するも、1900年秋季の展覧会が最盛期で、以後、資金の欠乏、院の内紛、綱紀の乱れなどが原因で徐々に沈滞するようになった。

1905年に茨城県・五浦海岸へ別荘(六角堂)を建設した岡倉天心は、1906年に第1部(絵画)と第2部(彫刻)を改組し、第1部を五浦海岸へ移転させたが、当時、岡倉天心はフェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853-1908)の紹介でボストン美術館中国・日本美術部に入っており、五浦とボストンを往復するうちに日本美術院への興味を失っていった。また、第2部は国宝修理も行うことから1914年に「美術院」と改称し、1965年に「財団法人美術院」となり、2013年に「公益財団法人美術院」となった。

1910年に岡倉天心がボストン美術館中国・日本美術部長として渡米すると、日本美術院は事実上の解散状態となった。1914年に文展(文部省美術展覧会)に不満を持つ横山大観や下村観山(1873-1930)らは、1913年に岡倉天心が没したことを契機に、その意志を引き継ぎ、谷中上三崎南町に研究所を建設し(現在公益財団法人「日本美術院」がある)、日本美術院を再興した。

現在、日本を代表する日本画の美術団体として活動を継続している。日本美術院には日本画のほかに洋画部(1920年9月に脱退)と彫刻部(のち「彫塑部」と改称し、1961年2月に解散)も加わったが、現在は日本画のみになっている。

日本美術院展覧会(院展)は、1914年10月に日本橋三越旧館で「日本美術院再興記念展覧会」を開き、これが現在、東京都美術館で9月に開かれている日本美術院展覧会(院展)の第1回展にあたり、1944年、1945年を除き、毎年秋に開催されてきた。

日本美術院展覧会を開催できなかった1945年11月に「日本美術院小品展覧会」が日本橋三越で開かれ、こちらは第2回展から毎年春に開かれることになり、1959年に「日本美術院春季展覧会」と改称され、1970年からは「春の院展」として現在まで毎年開かれている。1958年5月に日本美術院は財団法人化され、2011年4月に公益財団法人化され、2014年に再興100周年を迎えた。

狩俣公介さんは1978年千葉県生まれ、2002年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、2004年に同大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画を修了、修了制作が東京藝術大学買上げ、2007年に同大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画後期博士課程を修了、博士(文化財)学位取得、東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画の教育研究助手、2008年から2010年まで同大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画助教、2011年から2017年まで同大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画非常勤講師、2012年から2021年まで女子美術大学美術学科日本画専攻非常勤講師を務めた。

2002年に再興第87回院展で初入選(2011年第96回で奨励賞、2012年第97回で奨励賞、2019年第104回で奨励賞)、2003年に第58回春の院展で初入選(2011年第66回で奨励賞、2019年第74回で奨励賞、2020年第75回で奨励賞)、2012年に前田青邨顕彰中村奨学会「第1回中村賞」などを受賞している。

須藤和之さんは1981年群馬県生まれ、2005年に多摩美術大学絵画学科日本画専攻を卒業、2007年に東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画を修了、修了制作が東京藝術大学買上げ、2010年に同大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画博士課程を修了、博士号を取得、博士審査展でお仏壇のはせがわ賞特別賞、現在、慶應義塾大学非常勤講師。

2006年に第3回前田青邨記念大賞展で奨励賞(2008年に入選)、再興第91回院展で初入選(2009年から2019年まで連続入選)、第62回春の院展で初入選(2007年、2009年、2010年、2014年、2016年、2020年に入選)、2008年に有芽の会で日本更生保護協会理事長賞、2012年に第63回群馬県美術展で初入選(2013年にS賞、2014年に奨励賞、2015年に県議会議長賞、2016年に奨励賞、2017年に県知事賞、2018年に入選、2019年に準会員賞)、2013年に群馬銀行創立80周年記念作品で「群馬の四季」を制作している。

並木秀俊さんは1979年千葉県佐倉市生まれ、2003年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、2004年に第89回再興院展で初入選(以後、毎年入選)、2008年に同大学大学院美術研究科保存修復博士課程を修了、2010年に春の院展で奨励賞(2011年に奨励賞、外務大臣賞、2012年、2014年、2019年年に奨励賞)、2010年に有芽の会で日本更生保護協会理事長賞、院展で奨励賞(2016年、2018年に奨励賞)、同年に天心記念茨城賞で江戸川区文化奨励賞、2012年に有芽の会で法務大臣賞、現在、東京藝術大学arts&science LAB.准教授、愛知県立芸術大学非常勤講師。

松村公太さんは1978年愛知県生まれ、2001年に金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科日本画専攻を卒業、2005年に東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画修士課程を修了、修了制作がサロン・ド・プランタン賞、中部大学買上げ、2006年にシルクロード文化財保護フェローシップ(日本サムスン主催)で中国北京研修、2007年に東京藝術大学19年度博士審査展で制作が同大学保存修復日本画研究室買上げ、2008年に同大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復日本画博士課程を修了、博士号を取得した。

2005年に再興院展で初入選、2006年に春の院展で初入選、2008年から2011年まで東京藝術大学教育研究助手、2011年から2015年まで同大学非常勤講師、特別研究員を務めた。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。