満身創痍の過去を想起させるも、どこか楽しげな「龍虎武師」(359)

【ケイシーの映画冗報=2023年1月19日】前回でも触れた“どんなスタントも自分でこなす”トム・クルーズ(Thomas Cruise)は、近作「ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(Mission:Impossible Fallout、2018年)で、ビルに飛び移るシーンで右足首を骨折しますが、そのカットが本編に使われています。

現在、一般公開中の「カンフースタントマン 龍虎武師」(C)ACME Image (Beijing) Film Cultural Co.,Ltd)。

危険なスタントを演じるスターの嚆矢(こうし)は、現代でも活躍する香港映画出身のジャッキー・チェン(Jackie Chan)でしょう。かれも「レッド・ブロンクス」(Rumble in The Bronx、1995年)の撮影中に右足首を骨折しますが、患部を固定したギプスにスニーカーを描いたカバーをかぶせ、撮影するという荒技で乗り切ります。トムにも、その前例が影響しているのかもしれません。

香港映画の存在を世界に知らしめたブルース・リー(Bruce Lee、1940-1973)や、ジャッキー・チェン、そして本作のコメントを多く残しているサモ・ハン(Sammo Hung)らの生み出した“香港カンフーアクション”が、どのように成立したのか。ウェイ・ジェンツー(Wei Junzi)監督が100人ちかい関係者に取材し、多くの映画作品の映像とともに撮影現場の実像を伝えるドキュメンタリーが本作「カンフースタントマン 龍虎武師」(2021年、龍虎武師 Kung Fu Stuntmen)です。

かつての香港映画のアクションが中国古来の京劇にあることは知っていましたが、その根幹が、1930年代の中国大陸の混乱期に香港へわたってきた人々で、かれらがその技術を香港で伝授したことが原点だということは、本作で知ることができました。

1960年代に舞台興行としての京劇が下火となり、その技術をもったメンバーが映画界に入ったことで、見栄えのする華麗なアクションが香港映画に見られるようになります。1970年代の前半に世界中を席巻したブルース・リーのブームにより、いっそう香港映画のアクションは注目されますが、ブルース・リーの死とともにカンフー映画は下火となってしまうのです。

それを変えたのが、ブルース・リーと戦った(「燃えよドラゴン(Enter the Dragon、1973年」)サモ・ハンやジャッキー・チェンの活躍でした。ふくよかな容姿からは想像もできないスピーディーな技を見せるサモ・ハンや、正当なカンフーの技術を土台に、コミカルな動きを取り入れたジャッキーの作品はヒットし、世界的な“ブルース・リー後”のカンフー映画ブームを起こすのです。

香港で製作されるカンフー映画は激増し、スタントマンたちは仕事に恵まれるようになりますが、と同時に、差別化のためにスタントへの要求は高まっていくのでした。

8階からプールに落ちるシーンが撮られると、9階から炎の中に飛び込む。階数は低くても地面にクッションのない場所に落ちたり、蹴られた演技をしながら数階下のスケートリンクに落ちる(氷上なので衝撃はそのまま)といったぐあいで、競い合うようにシーンの激しさと危険度は増していくのでした。

「血も汗も、涙も流した。本当に命懸け。他とは次元が違う。だから香港アクションは魅力的だった」と、当時の状況を語るサモ・ハンですが、「香港のスタントマンにとってもっとも危険な時代」といわれた1980年代、サモ・ハンのチームが特に危険な撮影だったとされています。

「自身が傑出していると、他者にもそれを求める」ことはどこの世界にもあるのですが、香港のスタントマンにとっては、とくにそのレベルが高かったのでしょう。

「死を恐れない彼らも、やっばり死ぬのは嫌でしょう。でも私は、全員の能力を細かく把握している。やってもらう限りは、彼ならできるという確信はあった」

とはいえ、ケガは日常茶飯事、激しい打撃で記憶や意識を失うことも頻繁にあったというきびしい時代を、いまでは“いい年齢”になった面々が語るのですが、手の動きが鈍かったり、脚を引きずるように歩く姿は、過去の満身創痍の環境を想起させます。それでありながら、悲壮感や禍根を見せるようなことはなく、過酷な記憶であるはずなのですが、どこか楽しげですらあるのでした。

1997年の香港の中国への返還が、かの地で独自の発展を遂げたそれまでの香港映画を本質的に変えてしまいました。かつては東洋一の映画産業を誇った香港映画界にその面影は残っていません。サモ・ハンも認めるように、「香港映画そのものも衰退した。新たなカンフースターも出てこない。でも、いつも希望は持っています。あしたはきっと、良くなるだろうと」(引用はすべて2023年1月13日付読売新聞夕刊)

個人的に一番好きな香港映画は昨年に本稿で取り上げた「男たちの挽歌」(A Better Tomorrow、1986年)です。英題の「よりよい明日」は、そのころから香港映画人のテーマだったのでしょうか。次回は「レジェンド&バタフライ」を予定しています。(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。