傍流のSFで、アカデミー7冠を獲得した破天荒な「エブエブ」(364)

【ケイシーの映画冗報=2023年3月30日】1967年のハリウッド西部劇「戦う幌馬車」(The War Wagon)の劇中、ガンマンが仲間と打ち合わせに2人の東洋(中国系)の女の子を連れてきますが、「英語ができない」設定でセリフはありませんでした。現代では問題となる映像表現でしょう。

現在、一般公開中の「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」((C)2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.)。

じつは、19世紀中盤から進められた北アメリカの大陸横断鉄道の線路建設には、中国からの出稼ぎ労働者が数多く(一説に約2万人)、従事していたとされていますが、近年まで、その存在はあまり知られていませんでした。アメリカ合衆国は移民の国であることは周知のはずですが、事実の認識には欠落もあるのです。

本作「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(以下・エブエブ)」( Everything Everywhere All at Once)は本年のアメリカ・アカデミー賞で11部門にノミネートされ、アジア人(男女とも)で初の主演女優賞をミシェル・ヨー(Michelle Yeoh)が獲得し、演技面では助演の男優賞、女優賞を制し、作品としても作品賞、監督賞、脚本賞を受けています。編集賞もふくめ7冠というのは、快挙といえるでしょう。SFコメディアクションという、ハリウッドでは傍流とされるジャンル作品での栄誉というのも特筆されます。

アメリカでコインランドリーを経営する中国系移民のクワン家では、エヴリン(演じるのはミシェル・ヨー=Michelle Yeoh)は、きびしい経済状況のなか、懸命に働いていました。駆け落ちして結婚した、気は優しいが頼りない夫のウェイモンド(演じるのはキー・ホイ・クァン=Ke Huy Quan)や、大学を中退してしまったひとり娘のジョイ(演じるのはステファニー・スー=Stephanie Hsu)ともギクシャクしており、人生に疲れ切っているという風情です。

2023年の第95回アカデミー賞で主演女優賞(アジア人女性初)、作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、編集賞の計7部門で受賞し(演技部門における3冠達成は、1951年の「欲望という名の電車」と1976年の「ネットワーク」に次いで3度目)、史上もっとも多くの賞を獲得した。アカデミー作品賞を受賞した初めてのSF映画でもある。興収は1億635万ドル(約138億円)に達している。

家族で国税事務所に赴き、女性のベテラン監査官のディアドラ(演じるのはジェイミー・リー・カーティス=Jamie Lee Curtis)と対峙していると、ウェイモンドが“別人”となり、格闘技の達人として戦い始めます。あっけにとられるエヴリンに“別人の夫”は「自分は他の宇宙から来た」と語り、“マルチバース(多元宇宙)”が消滅の危機に瀕しており、それをふせげるのが“この宇宙のエヴリンだけ”と説明します。

“バース・ジャンプ”によって別次元の自分を知ったエヴリンは自分と自分の家族を守ることを決意しますが、対峙する敵“ジョブ・トゥパキ”の正体を知り、苦悩することになるのです。

本作で作品、監督、脚本の3部門で栄誉に輝いたダニエル・クワン(Daniel Kwan)とダニエル・シャイナート(Daniel Scheinert)は、“ダニエルズ(Daniels)”と呼ばれますが、血縁はでなく、同じ大学という縁で結ばれ、ミュージック・ビデオの仕事からスタートしました。

ダニエルズ監督コンビの長編1作目が「スイス・アーミー・マン」(Swiss Army Man、2016年)で、「万能ナイフのような死体で、漂流者が無人島を脱出する」という、「文章で記すと荒唐無稽」な作品でした。

長編2作目の本作でも、その破天荒さはヒート・アップしている感があります。「別宇宙の自分とリンクして能力を得る」には「常識外のヘンテコな行動」が必要ということで、その豊富なアイディアには脱帽しかありません。まさに「映像で、実在の俳優ならでは」のコミカルなシーンが矢継ぎ早に繰り出され、魅了されます。

エヴリン役のミシェル・ヨーはマレーシア出身の中国系で、まず香港映画界でカンフーアクションの達人として活躍、ハリウッド進出の1作目が007シリーズの第18作「トゥモロー・ネバー・ダイ」(Tomorrow Never Dies、1997年)で、アジア系でメインのヒロインというのは快挙でした。

しかし、その後は低迷も経験しています。アジア系ということで、演じるキャラクターが固定されてしまうのです。これは、夫のウェイモンドを演じたキー・ホイ・クァン(ベトナム系中国人)もですが、芸名を変えた過去があります。東洋系をイメージさせないことで出演の幅を広げる意味があったとされます。

本作でメインの登場人物で東洋系でないのは、税務職員役のジェイミー・リー・カーティスなのですが、彼女も父親のトニー・カーティス(Tony Curtis、1925-2010)はユダヤ系のマリノリティ(社会的少数者)です。

前回の「フェイブルマンズ」(The Fabelmans、2022年)も同様でしたが、マイノリティには、さまざまな軋轢が生じてしまうのでしょう。出生や人種を自分でかえることはできません。ですが、そこであきらめる必要はないのです。ミシェル・ヨーのアカデミー賞での受賞スピーチがそれを物語っています。
「私のような見た目の少年、少女にとって、これは希望と可能性の光だ。夢は実現する」(3月13日付「読売新聞」朝刊)。

次回は「シン・仮面ライダー」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。