帰国後父の命日に墓参、水蟹に舌鼓、金沢港に独船が初寄港(124)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年4月14日】3月21日のお彼岸は、44年前(1979年、享年51)に他界した父の命日だった。昨春、帰国してからは、2021年のコロナ下、危篤の母と最期の対面や、葬儀参列が叶わなかっただけに、墓参り並びに1周忌と母を特定した法事が続いたが、久々に冥土の父にもごあいさつすることにした。

「和びさび」で供された水ガニは、大ぶりで中の身もびっしり。ステンレスの掻き出し匙ですぽりと抜け、食べやすい。越前ガニは福井の名物、思いがけず、3月に何十年ぶりかに故郷の海の幸を堪能できた。

日帰りで福井在住の次弟の車で足羽山(あすわやま)の西墓地に連れて行ってもらおうと思っていたら、当日は祝日ということもあり、長弟夫婦も同行することになり、どうせなら前夜福井に泊まって名物の水ガニ(脱皮してまもない甲羅の柔らかなカニで、別名「若ガニ」ともいい、水分を多く含んで瑞々しいためこの名がある)を堪能して、翌朝墓参りしようということになった。

長弟の車で20日夕刻、金沢を発ち、18時30分前に「ホテルフジタ福井」(福井県福井市大手3-12-20、0776-27-8811)にチェックイン、同ホテルには昨年4月の墓参り時1泊していたが、快適度は今いちだった。旅行支援で半額の3500円で泊まれ、2000円のクーポン券もついてきたが、シングルの部屋が使い勝手が悪く、福井では割と名の通ったホテルが予想外によくなかったことにガッカリしていたのだ。

私の不満を聞いていた次弟は、セミダブルの部屋を用意してくれており、どうせ今回も大したことないけど、まぁ1泊だし我慢しようと覚悟していた私には、前回とダンチの満足できる仕様に驚喜した。フジタには、皇族もお泊まりになっているわけだが、納得の高級感漂う内装、というわけでホテルフジタの印象はいっぺんに塗り替えられた。12階の部屋からの郷里の夜景は美しく、部屋は広めでセミダブルベッド、テレビ&冷蔵庫完備のカウンターとイスのほかに、窓際の絨毯敷きスペースに丸テーブル&チェアが設(しつら)えられ、ゆったり寛(くつろ)げた。

夕食は、次弟が愛顧している居酒屋「和びさび TONYA(トンヤ)」(福井県福井市問屋町1-166、050-5262-8907)に予約が入れてあった。郊外の店の玄関に入ると、調理用のイカや真鯛が泳いでいる水槽があり、カウンターのほかに、掘りごたつ式のテーブル席が隣とついたてで仕切られ、何ボックスとしつらえられていた。

デザートの水ようかんは福井名物、子どもの頃、冬でも食べていたことを思い出す。水ガニもよく亡母が買ってきて茹でていたと次弟は言うのだが、その記憶はすぽりと抜け落ちているのに、甘ったるくて柔らかい水気たっぷりの冷羊羹の味は今も舌に残る。

コース料理にメインの水ガニふた皿と、続々ご馳走が運ばれてくる。ちなみに、水ガニは、高級食材の越前ガニ(2022年は初競りで1杯310万円)に比べると安値(成熟ガニの4分の1程度)でしかも食べやすく、ズボズボ身が抜けるので、ズボガニともいい、一般的なズワイガニに比べると、実入りは8割ほどだが、手頃な価格から県外にはあまり出回らず、ほとんどが地元で消費される。身が殻から抜けやすいため、食べるのに苦労はなく(専用のカニスプーンで掻き出せば、するりと身が抜ける)、シーズン最後の美味を堪能できた。

むつの西京焼き(甘みが強く白い京味噌、特製西京味噌に漬け込んだ焼き魚)も追加、生ビール、赤・白ワインの各ハーフボトル、いちご酎ハイと酒類込で1人9000円は、得意客の次弟を立ててのマスターの大判振舞ゆえだった。

コースメニューは付き出しの新鮮な日本海の幸の刺身の小皿を始め、ガーリック鶏とじゃがいものホイル焼き、めずらかな牛と野菜の箱蒸し、小女子(こうなご)とネギ入りチーズピザ、彩り豊かな蒸し鶏中華サラダ、野沢菜のいなり寿司、水ようかん(福井の名物)&バニラアイスのデザートまで、どれもボリュームたっぷりで、総勢5人はテーブルからはみ出しそうなご馳走の山に舌鼓を打った。メインのカニを筆頭に完食、美食は5人の口に収った。

金沢港クルーズターミナルの屋外から仰いだドイツ国籍のクルーズ客船「AMADEA(アマデア)」。端正な船だが、品位ある中にも異国情緒が漂う。

翌朝は一同墓参り、足羽山の西墓地はお彼岸ということもあり、先祖の墓参りに訪れた家族連れの姿が目立った。そちこちの墓前に手向けられた新しい花の色鮮やかさが目を打つ。

3基の墓石を水で浄めた後、ろうそくと線香に火をともし、金沢から持参した花を手向け、真ん中の父母の遺骨が収まった1番大きな墓に地酒の福正宗200ミリリットルカップ(金沢市石引町産)を、日本酒好きだった亡父を想い捧げた。私にとっては、去年母の命日に2週間遅れで訪ねて以来、5カ月ぶりだった。快晴に恵まれ、汗ばむほどの陽気だったが、山桜のつぼみはまだ固かった。

〇トピックス/金沢港クルーズターミナルに外国船が初寄港

3月10日、ラジオから耳寄りな情報が流れてきた。本日、ドイツ国籍の客船が初めて、金沢港クルーズターミナル(2020年6月新設)に寄港するというのである(2019年9月29日のダイヤモンド・プリンセス号以来3年6カ月ぶりで、クルーズターミナルでは初の受け入れと後で判明)。

すわと思い立って、機会を逃さず見学に行くことにした。繁華街・香林坊でランチを済ませたあと、徒歩で金沢駅まで行き、西口から出る、15時15分発の市バスに乗って、30分程でクルーズターミナルに到着(片道290円)、これで3度目の訪問だ。昨年6月に再訪したときは、にっぽん丸が目当てだった。

クルーズターミナル行きバスの乗客の中には、金沢市内の観光を済ませて、港に戻るらしい外国人も数名混じっていた。

まず、建物に入らず、外から遠目に客船を望む。白に水色のラインが入った端正なデザインだが、異国情緒が香る。それから、屋根が日本海の波をかたどったガラス張りのモダンなターミナルビルに入って、裏口から出て、壮麗な威容を誇る外国船を間近に仰いだ。

船体に銘打たれた「AMADEA(アマデア、神に愛される女性の意)」という名前がエキゾチックだ(2万9008トン、全長192メートル、乗客約500人)。最頂のファンネル(煙突)には、こがねの太陽に向かって飛翔する白いカモメの絵が描かれており、旅心をそそった。

アマデアのファンネル(煙突)は、ゴールデンイエローの太陽に向かって勇壮に羽ばたく白いカモメ、私もこのカモメのように飛び発ちたいと焦がれた。

中に戻り、2階の室内展望室へ。カウンター式になっており、革クッションの低い丸椅子に座って、全面ガラス窓の向こうに、でんと居座る外国客船を愛でたあと、屋外デッキに出た。風がまだ冷たい中、展望デッキから見上げる大型客船は迫力があり、寒さも忘れて見入った。

出港は18時30分と聞いていたので、最後まで見送るつもりで(最終バスは19時10分)、粘った。2時間30分余り、写真を撮ったり、サンセットタイムには、沈む夕日が船体に反射してこがね色にきらめく様を堪能したり、灯がともった客船はノスタルジックな叙情をそそり、いつまで見ていても飽きなかった。

陽が落ちていよいよ出港のときが近づくと、1階に降りて(寄港がないときは開いている左手のCIQエリア(Customs=税関、Immigration=出入国管理、Quarantine=検疫)は簡易ボーダーで仕切られていた)、裏の通用口から大型船を間近にする接岸地まで出て、寒さもものとせずお見送り。ターミナル関係者に手渡されたポキッと折ると光る使い捨てサイリウムライト(色とりどりだが、私のは青だった)を振りつつ、別れを惜しんだ。詰めかけた県民の中には、子ども連れも多く、誰しもが、外国客船の初寄港に興奮してはしゃいでいるように見えた。

歓送の楽団が、太鼓や三味線を鳴らしてソーラン節、船のバルコニーには外国人乗客が数珠に連なり、欄干にもたれながら、和楽の熱演を楽しんでいた。大きく腕を振っている人もいる。やがて、こちらの蛍光ライトに応えて、彼らも明るいLEDライトを盛んに回し始めた。

緋色のライトアップに照らされたアマデアは出港目前、大勢の県民が見送る中、テレビ中継の女性アナの姿も。

金沢港の加賀五彩のライトアップで、紅(くれない)から青みがかった紫、グリーン、ゴールデンイエローと変幻する様は美しく、虹彩(こうさい)にきらめく船はロマンを掻き立てた。低階のダイニングルームと思われる灯りの点った窓々から、肉の焼ける香ばしい匂いが心なしか、漂ってくる。見送る側でなく、見送られる側になりたいと、胸をつく郷愁の中、強い憧憬に焦がれながら、思った。

金沢港の心のこもった歓送に御礼のアナウンスで応えたあと、美麗な灯の煌(きら)めきに包まれた客船はゆっくりと、岸を離れていった。宝石で着飾ったような船の後尾が遠ざかっていくのを、泣きたいような感傷に浸りながら、豆粒のように小さくなるまで、いつまでも、いつまでも見送った。次の寄港地は新潟と聞いた。

※「AMADEA(アマデア)」はかつて、日本郵船の子会社・郵船クルーズが所有していたクルーズ客船・初代「飛鳥」で、2006年にドイツのフェニックス・ライゼンに売却されバハマ船籍となり、アマデアと改名された(ラグジュアリーに改装された客船は、バルト海中心に就航)。

外国客船による国際クルーズはコロナ禍で停止していたが、昨年11月に業界団体が策定したコロナ対策指針を契機に、政府は受け入れ再開を決めた。金沢港には今年、国内外の40隻が寄港する見込みとか。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年4月6日現在(CoronaBoardによる)、世界の感染者数は6億7919万8937人、死亡者数が682万3658人、回復者数は6億1389万0688人。インドは感染者数が4470万9676人、死亡者数が53万0848人、回復者数が4416万6925人、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0612万2305人、死亡者数が115万3986人、回復者数は1億0384万1824人、4月6日現在の日本は感染者数が3350万0042人(前日比8562人増)、死亡者数が7万4029人(27人増)、回復者数が2172万2879人(ダイヤモンド・プリンセス号を含む、809人増)。編集注は筆者と関係ありません)