3年ぶりの東京、上野公園で花見、常宿の山谷にも変化の波(125)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年4月28日】3月28日の夜行バスで上京、旧友たちとの久々の再会を主目的に、ついでに桜やショッピングも楽しむことにした。

40年の歴史に幕を閉じた「ホテルニュー紅陽」の跡地には、10階建てのマンションが建設中だった。愛顧した常宿の在りし日の姿を思い描き、胸が詰まった。

先月知人の講演会に愛知県名古屋市を訪ねたとき、その流れで上京しようかと考えたのだが、ちょうど週末にぶつかり、宿が取れないため断念、出直すことにしたのだ。どうせなら、桜シーズンに合わせて3月下旬がよかろうと動き出したが、30年以上愛顧してきたJR高速バスが4月から停止されると知って慌てた。

そればかりか、運賃が従来の2倍に跳ね上がっており、しかも花見シーズンのせいか意図していた26日の日曜、翌27日の月曜も満席で取れない。しょうがなしに火曜、28日に指定(片道6600円)、帰りは31日(片道8000円)にせざるを得ず、3、4日のつもりが2泊3日に縮まってしまった。

宿だがやはり、この10年愛顧してきた南千住の外人宿、「ホテルニュー紅陽」がコロナ禍で2021年9月に閉業、電話予約しようとしたら繋がらず、ネットで調べてわかったことだが、少なからずショックを受けた。

往時、山谷のドヤ街で建設現場の肉体労働者の簡易宿舎として隆盛を極めた安宿群は2002年のFIFA(国際サッカー連盟)日韓ワールドカップ以来、外国人旅行者向けのシェアハウスとして早変わり、私も友人からその情報を得て、それまでの東小金井の外人宿「アップルハウス」(月極で当時6万円から7万円だった)から、河岸変えしたのだった。

当時、3、4軒試して最終的に落ち着いたのが、ホテルニュー紅陽(1981年創業、往時の宿名は「浅草宿泊所」)で、スタッフがとにかく親切だった。今は台湾の5つ星ホテルで勤務するアメリカ産まれの英語がネイティブ並みのボビーさん(日本人、妻は台湾人)や、ご主人がフランス人で仏・英語と堪能な由美子さん、時にイスラエル人スタッフも混じえて、フレンドリーな接待、インド在住の息子が訪日したときも、共にお世話になった。

隅田川が近く、大通りからはスカイツリーの伸び上がる雄姿が仰げ、浅草も近距離、なんと言っても日比谷線が通っているので、上野や秋葉原、銀座に行くにも便利で、過去14年の在京歴で東京に友人の多い私には、年2度の帰国時における再会の拠点として重宝したものだ。

既に取り壊されたというニュー紅陽の跡地も見たかったし、気を取り直して、界隈の別宿「ほていや」(同郷の福井県人による1925年創業の老舗、詳細は末尾)に電話予約を入れた。ちなみに、ほていやは私が山谷で最初に試した宿で、馴染みがあった。幸いにも29日、30日の水・木と空いており、部屋代は1泊3000円、ネットで予約するより安かった。

宿も決まり、チケットも購入、当日は意気揚々と自室を後にした。市バス停近くの桜が満開で、思いがけず街灯に浮き上がる夜桜の美しさを堪能できたが、前日ぎりぎりまで、無料開放の兼六園や、金沢城で7分咲きの地桜を既に愛でていた私でもあった。

今年の開花は早く、東京は既に満開、着く頃には散っているのではと懸念されたが、一夜明けて東京駅日本橋口に早朝到着した私を、街路脇の桜が出迎えてくれた。散りかけてはいるが、まだ充分鑑賞に耐えうる。八重洲口に出て、高速バス乗り場の待合室で洗面やトイレを済ませ、自販機で温かい缶コーヒーを買ってバスの始発を待った。

ところで、3年3カ月ぶりに乗った夜行バスは混んでいて、その名も「グランドリーム号」は、コロナ禍で廃止された格安の「青春ドリーム号」(片道3000円から4000円)に比べると、個別の席でカーテン付き、プライバシーが保てるようになっていたが、足元が狭く、いまいち、ただリクライニングシートのクッションはよく効いていた。運賃が跳ね上がったのは、コロナ禍に燃料高が追い討ちをかけたのだろう。

宿の受付けが開く9時に合わせて、都バスに乗り込んだ。一律210円、南千住車庫行きで、ルートは車窓から眺めるのが楽しい浅草経由で(スカイツリーも見える)、30数分で泪橋に着く。

上野公園の桜を見るのは十数年ぶり。散りかけていたが、ぎりぎりセーフ、ただ人出の多さに参った。金沢以上に、外国人観光客の姿が目立ち、コロナの終焉を実感した。

乗り込む前、大通りの対面、はすかいにあった八重洲ブックセンターを思い、ああ、あと3日で閉店なのだなぁ(1978年創業で2023年3月31日閉店、44年の営業に幕)と、感慨にふけった。拙著「インド人には、ご用心!」(三五館、2012年)を平棚に置いて大々的に宣伝してくれた書店の厚意が感謝とともに蘇る。

晴れがましさと誇りの入り交じった気持ちで1番目立つ棚に何冊も並べられた、アニメキャラが表紙の「インド人には、ご用心!」に感嘆して見入り、記念撮影をしたものだった(同店によると、再開発事業に伴う、2028年度竣工予定の超高層大規模複合ビルに再出店計画というので、5年後の復活に期待したい)。

予約した宿・ほていやに行くには、泪橋のひとつ手前の清川2丁目で降りたほうが近いような気がしたが、かつての常宿・ニュー紅陽の跡地を見たかったので、いつも通りにそこで下車した。ちなみに「泪橋」の由来は、昔ここに川と(今は暗渠)橋があり、この橋を渡って小塚原(こづかっぱら)形場へとしょっぴかれる罪人がここで家族との別れを涙を流して惜しんだことに由来する。

ホテルニュー紅陽の跡地には、ビニールシートで覆われた高いビルが建設中だった。写真を撮ったあと、建設作業員に訊くと、10階建てのマンションが建つとのことだった。売却したのかと思いきや、元のオーナーによるものと言う。

なにがしかの感傷に浸りながら、その場を後にし、裏路地から回り込んで表に出、直進して見慣れた小ビルへ。コロナ禍中、よく耐えて生き残ったものだと感慨を覚えながら、ほていやの受付けへ。

オーナーの老爺ではなく、中年女性がチェックイン手続きをしてくれ、2泊6000円(ニュー紅陽より若干割安)と税込なのに感激した。しかも3階の女性専用フロアの部屋は既に清掃済みとかで、16時チェックインのところをすぐ入れてもらえた。

3畳の部屋はベッドと、テレビ、冷蔵庫、暖房付き。共同シャワーとトイレだが、煎茶、玄米茶や水、湯飲み放題のマシンがあり、電子レンジも備えられている。荷物の整理をして、WiFiを繋げようと宿専用のパスワードを入れたが、なかなか繋がらず、格闘の末、食料の買い出しがてら、1階のスタッフに問い合わせると、今再始動中なので、もう少しあとでトライしてと言われた。宿に隣接して格安スーパーがあり、そこで朝食のパンや昼食用の弁当を買い込んだ。

東京・上野のアメ横をお上りさんよろしくぐるぐる回って、やっと手に入れたスーツケース。店のショーケースに飾られたショッキングピンクはひときわ目立ったが、最初はどぎつすぎて買うのを躊躇ったものの、値段の安さに負けた。

部屋に戻って、持参したインスタントコーヒーを入れてパンを食べ、歯磨きした後1時間程仮眠、シャワーを済ませ、弁当を食べて上野に出た。上野公園の桜は散りかけていたが、まだ見頃、難は、桜を見に来たのか、人を見に来たのかわからないくらい混雑していることだ。

桜のトンネルを往復してどっと疲れた。アメ横でスーツケースを買いたかったので(前の波形アルミ製は鍵が壊れ、ボディがひび割れ、買い替えどきを余儀なくされていた)、交番で訊いて向かったが、前は確かずらりと並んでいたはずの鞄屋、店頭によりどりみどりの旅行鞄、トランクなどが超安値で置かれていたはずなのに、いっかな見つからない。

あたかもお上りさんよろしくぐるぐる界隈を3周ほどした果てに、ドトールが目に付いたので、さすがに疲れて入った。前に友人と待ち合わせた駅前の2階のあるドトールとは違うが、方向音痴の私には、その店は見つけられそうにないので、そこに入った。

アメリカンを飲んで一服後、日数もないことだし、再度スーツケース探し、やっとビッグカメラの隣に2軒の鞄屋を見つけ、うち1軒で1万7000円だかが7700円に値引きされていたショッキングピンクのトランク(ボディはプラスチック製)を買った。

「アメリカントゥリスター(American Tourister)」とかいう銘柄だ(ちょっと昔買ったサムソナイトに似てるなと思ったら、あとで調べて30年代=1933年の老舗て、既にサムソナイトの傘下=1994年にあると判明)。色がきついが(前のは淡いピンクだった)、大幅値引きされてお得だし、店員にベルトコンベアで運ばれてきたとき、すぐ自分のものだと見分けやすいと言われ、それもそうだと納得、決めたのだ。

一旦宿に戻ってスーツケースを置いて、隣のスーパーでナポリタンを買い、そそくさと夕食を済ませたあと、20時に女友達と待ち合わせた中目黒に早めに向かった。名にし負う目黒川の夜桜をひと目見るつもりが、当駅は大混雑、上野公園の2倍くらいの人出で、あまりの凄まじさに花見は泣く泣く断念、待ち合わせのGT(ゲートタウン)タワー(地下2階地上25階、2002年4月開業の複合施設)地階のスターバックスへ。

アメリカンをオーダーし、混んでいる店内の席取りをしてまもなく、女友達が顔を見せた。3年3カ月ぶりの再会を喜び、話が弾む。お互いにまだマスクは着けたままだ。今も現役の編集者である彼女(元出版社の後輩)とは、近況報告のほかに、本の情報交換、沢木耕太郎の「天路の旅人」(新潮社、2022年10月)を勧められた。

目黒考二(1946-2023、ペンネーム・北上次郎の文芸評論家でエッセイスト、2000年まで「本の雑誌」の発行人)主宰の読書会に長年所属している彼女は、主宰者の急死(本年1月19日)について語り、悼みつつ、入稿前で仕事が詰まっていたが、私とも会えるときに会っとかないとと、無理して時間を捻出してくれたのだった。

互いに歳を重ね、その思いは私にもあり、今回の上京も、コロナ禍で妨げられた旧友たちとの交流復活が主目的、ついでに桜やショッピングも楽しもうと決めたものだった。都落ちした私は、海外に出るにも、これから関西空港や中部国際空港経由が多くなるはずだし、東京に行く機会は急減するだろう。それを思うと、繋がりを取り戻すためにも1度行っておこうと思ったのだ。

昨年3月インドから戻ったときは、まだコロナの最中で、友人たちと再会することは躊躇われ、新幹線で直帰したため、1年以上が過ぎてコロナが下火になったこの機会を逃さず、みなに会っておこうと思ったのである。疫病流行で繋がりが失われる昨今、田舎の友人たちとも1回会ったきりで、親族ぐらいしか会食の機会がなかったこの1年、私の中で繋がりたいとの欲求が強くなっていた。思い切って出てきてよかったと、彼女の元気そうな顔を見ながら思った。

※エコノミーホテルほていやについて
関東大震災(1923年)後の復興期に「ほていや」は罹災者を収容する木賃宿として山谷に誕生。戦後復興期の1950年には木造2階建ての簡易旅館として今の建物の裏の3メートル道路に玄関があった。

創業者は、福井県足羽郡福田村(現福井市)出身で、1900(明治33)年、20歳の時に単身上京し東京大相撲の高砂部屋へ入門、大関初代朝潮の指導を受けながら大緑仁吉(おおみどり・にきち)の四股名で関取となった第8代年寄大山親方(1880-1954)である。

プロの力士の傍ら明治期から浅草山谷で副業の瀬戸物業を営んでいたが、1923(大正12)年の関東大震災と1945(昭和20)年の東京大空襲と22年間に2度も被災し全財産を失った。が、震災後は罹災者を収容する木賃宿を、終戦後は製材所などを興し、息子達と共に再び戦災で住むところを失った罹災者や外地からの引揚者などを収容する事業に協力することになり、これが「ほていや」の旅館業に至ったルーツだ。

ちなみに、ホテルニュー紅陽とは、兄弟宿ともいうべき浅からぬ因縁があり、外国人が苦手だった紅陽支配人がほていやに回すなどしていたらしい。ほていやは、姉ふたりが海外在住で、姉の知り合いの旅行者を1990年代頃から泊めていた、いわば、山谷で最初に外国人を泊めた宿で、日雇い労働者の街・山谷のイメージアップにも貢献した。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年4月25日現在(CoronaBoardによる)、世界の感染者数は6億8218万4415人(前日比1万9902人増)、死亡者数が685万4936人(17人増)、回復者数は6億1610万7055人(1万2211人増)。インドは感染者数が4489万8893人、死亡者数が53万1345人、回復者数が4430万1865人、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0658万0794人、死亡者数が115万9313人、回復者数は1億0448万7016人、4月24日現在の日本は感染者数が3365万1990人(前日比4091人増)、死亡者数が7万4389人(676人増)、回復者数が2173万5849人(ダイヤモンド・プリンセス号を含む、676人増)。編集注は筆者と関係ありません)