ベヒシュタイン東京で青柳いづみこ、高橋悠治がトークと演奏

【銀座新聞ニュース=2023年6月3日】ベヒシュタイン・セントラム・東京(千代田区有楽町1-5-1、日比谷マリンビル、03-6811-2935)は6月17日に青柳いづみこさんのCD発売を記念して、高橋悠治さんとのトーク・コンサート「2人のフランツ」を開く。

ベヒシュタイン・セントラム・東京で6月17日に開かれる青柳いづみこさんのCD発売を記念した、髙橋悠治さんとのトーク・コンサート「2人のフランツ」のフライヤー。

音楽家でピアノ奏者の青柳いづみこさんが3月7日にCD「シューベルトの手紙」(ALM Records、3300円)と4月8日にCD「仮面のある風景 F・クープラン作品集」(タカギクラヴィア、3300円)を発売したのを記念して、作曲家でピアノ奏者の高橋悠治さんとベヒシュタインのピアノ(Bechstein EN280)を使用してトークと演奏会を開く。

タイトルの「2人のフランツ」はシューベルトの名前が「フランツ(Franz)」で、フランス語読みでは「フランソワ(Francois)」となり、クープランの名前も「フランソワ(Francois)」なので、そこからとっている。

「シューベルトの手紙」は1828年に31歳10カ月で夭逝したオーストリアの作曲家、シューベルト(Franz Peter Schubert、1797年1月31日-1828年11月19日)の晩年のピアノ独奏曲と連弾曲を集めたアルバムで、解説によると、青柳いづみこさんと高橋悠治さんのコンビならではの立体的な響きが織りなす連弾「幻想曲 D 940」、青柳いづみこさんによる詩情に満ちた「4つの即興曲 D 899」、反復と変奏の美学「ロンド」、ドラマティックな小品「アレグレット」愛らしい「子供の行進曲」などをベヒシュタインのピアノで、「透明かつ雄弁な、ときに激しく軋るような音で2人の表現を支える」としている。また、ジャケットは長谷川睦さんの版画、解説は堀朋平さん。

収録されているのは「ロンド イ長調 D 951(連弾)」(Rondo in A major、D 951(4Hands、1828年)、「アレグレット ハ短調 D 915」(Allegretto in C minor、D 915、1827年)、「4つの即興曲 D 899」(4Impromptus、D 899、molto moderato、egro1827年)、「4つの即興曲 D 899」(Allegro)、「4つの即興曲 D 899」(Andante)、「4つの即興曲 D 899」(Allegretto)。

「幻想曲 ヘ短調 D 940(連弾)」(Fantasie in F minor、D 940(4Hands)、1828年、Allegro molto moderato)、「幻想曲 ヘ短調 D 940(連弾)」(Largo)、「幻想曲 ヘ短調 D 940(連弾)」(Allegro vivace)、「幻想曲 ヘ短調 D 940(連弾)」(Tempo I)、「子供の行進曲 D 928(連弾)」(Kindermarsch、D 928(4Hands)、1827年)の全10曲。

「仮面のある風景F.クープラン作品集」はフランス・パリに生まれたフランソワ・クープラン(Francois Couperin、1668-1733)がパリの教会やヴェルサイユ宮殿などでオルガン奏者、クラヴザン奏者として活躍しており、使用楽器はローズウッドのボディを持つ1887年製のニューヨーク・スタインウェイで、資料では「曲によって変わる表情、豊かな倍音、弱音の表現力のすばらしさなど、クラシック黄金時代の幕開け、ロマンティシズムとエンターテインメントが共存していた時代を彷彿とさせる深い味わい」としている。ジャケットは、薄井憲二コレクションからイラストレーターのジョルジュ・バルビエ(George Barbier、1882-1932)の「ル・カルナヴァル」、解説はピアノ奏者で指揮者の大井駿さん。

収録されているのはクラヴサン曲集第3巻第13組曲第1番から第5番」(1722年)、「クラヴサン曲集第2巻第6組曲第5番「神秘のバリケード」(1716年から1717年)、クラヴサン曲集第3巻第14組曲 第1番から第7番、クラヴサン曲集第2巻第8組曲第8番「パッサカーユ」、クラヴサン曲集第2巻第11組曲第1番から第5番、クラヴサン曲集第3巻第16組曲第7曲「レティビル」。ピアノ奏者として、渡邊智道さんが参加している。

6月17日のプログラムは、前半がフランソワ・クープランの曲で、青柳いづみこさんがソロで第6組曲より「神秘のバリケード」と第8組曲より「パッサカーユ」を演奏し、続いて高橋悠治さんがソロで「第14組曲より」を演奏し、続いて2人で「第13組曲より」を連弾する。

休憩をはさんで、後半は、フランツ・シューベルトの曲で、青柳いづみこさんが「即興曲作品90より」を演奏し、続いて2人で「ロンド ニ長調 D951」と「幻想曲ヘ短調 D940」を連弾する。

ウイキペディアによると、「ベヒシュタイン(C. ベヒシュタイン・ピアノフォルテファブリック、C. Bechstein Pianofortefabrik AG)」はカール・ベヒシュタイン(Carl Bechstein、1826-1900)が1853年に創業したドイツのピアノ製造会社であり、創業当初からそのピアノは音楽家たちに高い評価を受けた。ピアノ奏者で指揮者のハンス・フォン・ビューロー(Hans Guido Freiherr von Bulow、1830-1894)は「ベヒシュタインピアノはピアニストにとって、バイオリニストのストラディヴァリウス(Stradivarius)やアマティ(Amati)のようなもの」と評している。

カール・ベヒシュタインはフランツ・リスト(Franz Liszt、1811-1886)の激しい演奏にも耐えられ、かつ繊細な演奏にも対応できるピアノを開発し、「フランツ・リストの演奏にも耐えられるピアノ」として著名となった。リストは「28年間貴社のピアノを弾き続けてきたが、ベヒシュタインはいつでも最高の楽器だった」と述べている。ヨーロッパ各地に支店や音楽ホールを開き、王室御用達となるなど高い名声を誇った。

カール・ベヒシュタインが死去すると、エドウィン(Edwin Bechstein、1859-1934)ら3人の息子が事業を相続し、エドウィンとその妻ヘレーネ(Helene Bechstein、1876-1951)は国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の初期から支援したが、息子たちの相続争いは事業にも悪影響を及ぼし、1929年の世界恐慌でも大きな打撃を受け、ナチス・ドイツが成立すると、ベヒシュタインは「第三帝国のピアノ」と称されたが、大顧客であったユダヤ人が迫害されたことで利益を失った。

戦後はナチス協力者として連合国軍の監視下に置かれ、ドイツの東西分裂で職人の確保も困難となり、スタインウェイ(Steinway)の後塵を拝するようになった。1962年にアメリカのボールドウィン社(Baldwin Piano Company)の傘下に入ったものの、1986年にドイツのピアノ製造マイスターであるカール・シュルツェ(Karl Schulze、1948年生まれ)さんが経営権を買い取り、ドイツ人の手に経営権が戻された。

その後は資本増強を積極的に行い、1997年には株式会社(C. Bechstein AG)となり、資本増強と東西ドイツ統一と共に、ツィンマーマン(またはツィンメルマン、Zimmermann、1884年ライプツィヒで創業)とホフマン(W. Hoffmann、1904年ベルリンで創業)のブランドを傘下に収め、ベヒシュタイングループを設立している。

青柳いづみこさんは1950年東京都杉並区生まれ、祖父がフランス文学者の青柳瑞穂(1899-1971)で、4歳からピアノをはじめ、東京藝術大学音楽学部を卒業、フランス国立マルセイユ音楽院を首席で卒業、東京藝術大学大学院博士課程を修了、1980年に帰国し、東京で初めてリサイタルを開いた。

1989年に論文「ドビュッシーと世紀末の美学」によって音楽学博士、1990年に文化庁芸術祭賞、1999年にエッセイ「翼のはえた指」で吉田秀和(1913-2012)賞、2001年に「青柳瑞穂の生涯」で日本エッセイストクラブ賞、2009年に「六本指のゴルトベルグ」で講談社エッセイ賞を受賞している。現在、日本ショパン協会理事、大阪音楽大学名誉教授、2021年より兵庫県養父市芸術監督。

高橋悠治さんは1938年東京都生まれ、1958年に桐朋学園短期大学作曲科を中退、1960年の東京現代音楽祭でボー・ニルソン(Bo Nilsson、1937-2018)の「クヴァンティテーテン」の日本初演でピアニストとしてデビューし、注目された。1962年に秋山邦晴(1929-1996)、一柳慧(1933-2022)らと実験的演奏家集団「ニュー・ディレクション」を結成し、1963年秋からはフォード財団の助成を得て西ベルリンに留学し、クセナキス(Iannis Xenakis、1922-2001)に師事した。

クセナキス作品を演奏したアルバムで1965年度のフランス・ディスク・アカデミー大賞を受賞、1966年にはロックフェラー財団の奨学金を得てタングルウッドのバークシャー音楽センターで開かれる夏期講習に参加するためにニューヨークへ移住し、ロンドン交響楽団、ニューヨーク交響楽団、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、トロント交響楽団、バッファロー交響楽団などと共演した。

1972年4月に帰国し、1973年に武満徹(1930-1996)、林光(1931-2012)、松平頼暁(1931-2023)、湯浅譲二さん(1929年生まれ)と共にグループ「トランソニック」を結成し、1976年まで季刊誌「トランソニック」の編集などを行った。1978年にはタイの抵抗歌を日本に紹介するため、「水牛楽団」を組織、以後5年間、各地の市民集会でアジアやラテンアメリカの民衆の抵抗歌を編曲・演奏する活動を行い、1980年1月から月刊「水牛通信」を発行した(1987年まで)。

1983年以後は次第にコンピュータとディジタル・サンプラーによる作曲やライブが中心となるが、また室内楽やオーケストラ曲の作品を書いた。1991年から2006年まで、山田流箏曲家、三絃奏者の高田和子(1950-2007)のために、日本の伝統楽器と声のための作品を作曲した。1995年から詩人で、東京大学教養学部教授(2003年から名誉教授)の藤井貞和さんとコラボを始め、1999年には演奏集団「糸」を結成した。2002年からコンピュータによる音響作品の制作を始め、2006年にはニューヨークの現代芸術財団 (FOCA) から助成金を授与された。

時間は14時からで、料金は一般3000円。メール(centrumtokyo@bechstein.co.jp)もしくは電話(03-6811-2935)で申し込む。