東京で新旧友と懇談、皇居の桜見物も、最後の深夜バスに落涙(127)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年5月23日】3月29日に3年ぶりに上京して、第2日目は、旧友3人との久々の再会、あと1人は最近知己を得た人と初顔合わせすることになっていた。

皇居の乾門が一般解放され、初めてやんごとなきお方の領地に足を踏み入れた。中はさすがに広大で、一般客は三々五々敷地内を散策、丹精された松や桜、堀を堪能した。

10時に新宿の紀伊国屋書店前で、ISF(独立言論フォーラムhttps://isfweb.org/)の編集長で、鹿児島大学名誉教授の木村朗さんと待ち合わせ、椿屋という木村さん御用達のレトロな雰囲気が素敵な喫茶店にいざなわれて、ごあいさつがてら1時間ほど歓談させていただいた。

木村さんとは、私が銀座新聞ニュースにアップした書評記事(https://ginzanews.net/?page_id=59251、寺島隆吉著「コロナ騒ぎ謎解き物語」全3巻=あすなろ社)が縁となって、今年の1月同記事関連の動画インタビューを作成していただくことになった経緯があった(前編https://isfweb.org/post-14070/、後編https://isfweb.org/post-14074/)。本年1月のことで、寺島さんを介してもたらされたご縁だ。

木村さんは沖縄、鹿児島(本宅)、東京と3カ所に拠点をお持ちで、東京には毎月末にいらっしゃるとのことで、ちょうど月末上京することになったついでに、ごあいさつさせていただくことにしたのである。大変気さくな方で、初対面同士の緊張感はあまりなく、自然態でお話ができた。

靖国神社の第1鳥居は巨大で、圧倒された。柱は高さ25メートル、直径2.5メートル、横木は長さ34メートル、重さ100トンという、日本最高・最大級の大鳥居だ。震度7の地震や風速80メートルにも耐えしのぶ、耐用年数1200年という超優れもの。

私個人は新宿には長年来ておらず、歓談前後にざっと周ったが、歌舞伎町のシンボル的アーチ看板、赤の「歌舞伎町一番街」(1969年設置、高さ8.3メートル、幅8メートル)が往時とデザインが変わっていて、ちょっとショックを受けた(記憶違いかと後で調べて、2013年に従来のデザインを踏襲しつつも、老朽化に伴う改修工事で、埋め込み電球は環境配慮からLED600個に変わり、上部取り付けのソーラーシステムは停電時対処、また緊急車両を通しやすくするためにアーチ全体の高さを0.5メートル高くしたとのこと)。

突き当たり奥にはTOHOシネマズ新宿(新宿区歌舞伎町1、新宿東宝ビル)という巨大ビル(コマ劇場跡地の新宿東宝ビルは地上30階の超高層複合ビル、8階から30階はホテルグレイスリー新宿)が立っており、意表をつかれた。いつのまにできたのだろう。昼間ということもあったのだろうが、往時私が知っていた歌舞伎町とは、変わり果てたように思え、少し寂しかった。

夜になれば、歓楽街としての活気を取り戻し、全盛期の名残も見せるのだろうか。なんだか味気ない思いで後にした。ほかにも、見慣れぬ高層ビルが建っており、変貌ぶりに感慨深いものがあったが、唯一伊勢丹だけは、老舗の貫禄、レトロなビルを堂々ひけらかしていた。

紀伊国屋も中には入らなかったが、外観はあまり変わらず、昔この地階に「カトレア」という喫茶店(オタクご用達のマンモス喫茶)があったっけと思い出した。ほんと、昔は待ち合わせというと、紀伊国屋前というのが定番だったが(渋谷ならハチ公前)、今も変わらないのだろうか。往時、向かい側の通りの一角に「鈴屋」という若い女性向けの服飾専門店があり、よく乙女チックな服を買ったことを思い出した(鈴屋は1909年創業、1954年よりSUZUYAブランドの婦人服専門店、1960年代から1970年代には日本のファッション界をリードするも、1997年一時倒産し、その後再建)。

新宿センチメンタルジャーニーを終えたあと、総武線で飯田橋に向かい、ドトールで軽食を済ませ、旧友Fのオフィスに向かった(Fにはいつもお昼をご馳走になっていたが、コロナ下会食は避けた)。

Fとは移住前からのかれこれ、35年に及ぶ旧い付き合いである。海外赴任者向けのサービスをネット展開するビジネスのほか、「ザ・タイガース」(1960年代末期一世を風靡したGS=グループサウンズの人気No1バンド)でドラムを担当していた瞳みのるのマネージャー業務(オフィス22世紀https://www.hitomiminoru.com/info/company.html)も請け負っている。Fは80歳間近とも思えぬ若々しさで、相変わらず元気にオフィス業務をこなしていた。よき相棒ともいうべき会計事務全般を一手に請け負うT女も同席していて、3人でひととき歓談した。

14時からは門前仲町で元同僚と再会、喫茶店を梯子して久々に歓談、夕方からは有楽町で銀座新聞ニュースの編集長と会ったが、方向音痴の私は待ち合わせ場所に行くのに迷って焦った。

旧友たちはみな元気で、コロナ禍という世界的疫病の流行を挟んだ翳りは見せなかったが、じっくり話し込めば、それぞれ何かしらはあったのだと思う。ただ、3年3カ月が過ぎたことを感じさせぬ、相変わらず元気な顔を見せてくれたことがうれしかった。

今回、先方の都合で再会叶わなかった3人の知友も含め、神奈川の叔父やインドの宿の元お客さん・在留邦人仲間など、まだまだ会いたい人はたくさんいたが、短期滞在ではこのくらいが精一杯、またの機会(あるのか?)を待つしかない。

千鳥ケ淵の菜の花と桜、黄とピンクのハーモニーが美しく、ボートで愛でる客も多数いた。

3日目は完全自由行動、9時30分と早めにチェックアウトして、一昨日上野のアメ横で買ったおニューのスーツケースにひとつにまとめた荷物を預けたあと、いざ皇居へ。ちょうど一般開放していたのだ。この機会を逃さず、日本人に産まれて初の皇居探訪と洒落込むことにした。

Fには、入口のところで行列を作って待っていると混雑ぶりを脅かされていたが、日比谷線で1本だし、夜の出発まで間があるので、ひるんで行かないのは惜しい。

日比谷で降りて、駅員に訊いて皇居近くの出口に出て(B6をD6と聞き間違えて地下通路を行き戻り、かなり歩いた)、皇居外苑を横手に過ぎて乾(いぬい)門へ。果たせるかな、確かにかなりの人数が行列を作って並んでいた。しかし、そんなに待たずに列はどんどん進み、セキュリティチェックを済ませたあと、思ったよりすんなり中に入れた。

広大な敷地に丹精された桜を愛でながら散策、お堀や石垣、さまざまな木々・植物が植わった広大な庭園を写真を撮りながら進み、道が尽きて門を出ると、右手に地下鉄の竹橋という標識が現れたが、私は武道館経由で千鳥ケ淵や靖国神社に向かう道標に従って、車道を渡り、直進した。しばらく歩き続けて千鳥ケ淵に出たが、まず靖国神社に参拝することにした。政治的には、いろいろ物議を醸している神社だが、春うらら、境内の桜を楽しむ家族連れの姿が目立つた。

私は、鳥居の巨大さに圧倒された。今まで訪ねた神社の中では最大級、桜も美しく咲き誇っている。本殿にお参りして、社内の展示(英霊の遺書などが展示された遊就館)は、時間がないのでパス、来た道を戻って千鳥ケ淵の花見へ。

聞きしに勝る、ここは素晴らしい花見スポットだった。上野公園の桜よりずっとよかった。上野の散りかけでいまひとつ満足度が足らなかった私の不足感を充分満たしてくれた。

堀を取り巻くように桜並木がずらり、桃色の天蓋、桜トンネルを抜けながら、対岸の桜で彩られたピンクの土手、池に浮かぶ何艘もの花見ボート、桜三昧ロードを巡って、感嘆の息とともに戻り、九段下の地下鉄駅まで降りて、南千住に戻った。

駅の北口を出て少し行ったところにあるサイゼリヤでワンコインランチ(ハンバーグにしたが、小ライスで50円引き+セットドリンクバー100円で550円)、案内された1番奥の窓際の4人がけテーブルからは、スカイツリーがよく見え、最高だった。サイゼリヤ南千住店は穴場なのだ。

スカイツリーを仰ぎ見つつ、ゆっくりランチを楽しみ、花見疲れを癒したあと、少し歩いた先にあるLaLaテラスに入っているしまむらや、ダイソーでショッピング、宿に戻ると、18時過ぎ、隅田川の夜桜をひと目見たかったが、ジャズの流れるラウンジが心地よすぎ、臀が上がらない。

旅行者が残していった本棚の本を物色したりしているうちに時は過ぎ、都バスの時間まで30分、隣のスーパーでナポリタンを買い、インスタントコーヒーとともに食べ、夕食後預けてあった荷物を引き上げ、買い物袋を中に納め、準備が整うと、バス停に向かった。

夜行バスの発車時刻は21時20分、まだ時間はあるのだが、せっかちな私は早めに出ることにし、東京駅には90分前に着いた。結局、隅田川の桜は逸したが、何年か前に川べりの満開の桜を堪能したのでよしとした。

東京と金沢間の最後のJR高速バスが3番乗り場に入る。私の席は最前列。これがよかった。カーテンで仕切れば、バスのファーストクラスだ。足元のスペースはゆったりしているし、寛げる。片道8000円と高かったけど、それだけの価値はある。ラストのJR高速バスだから、どうしても乗りたかったし、記念撮影もしたかった。1番前だから、それ以下の席よりスペースはあると思ったが、予想以上だった。ゆったり寛いで過ごした。

東京駅八重洲口から、早朝金沢駅に到着したJR高速バス「グランドリーム」。3月いっぱいで金沢と東京間の夜行バスは廃止されるため、これが最後なので記念写真を撮った。

早朝6時30分に金沢駅に到着。バスを降りて、荷物を引き上げる前に記念写真を撮った。「GRAN DREAM(グランドリーム)」と銘打たれた車体を撮り、丸い後尾を見せて去っていくバスに手を振りながら見送った。
「さようならあ」

まなじりに涙が滲む。できることなら、また復活してほしい、そして前以上に大きな夢を見させてほしい。青春はとうに卒業した私に、青春ドリームでなく、グランドリーム、成熟した年齢にふさわしい深い大きな夢を見せてもらいたい、海外への冒険に旅発つことを夢見る私に。

戻ってきたとき、グランドリームの大きな懐に抱えられ、郷(さと)まで運ばれたい。またいつか乗れることを祈って、私は海外帰りのような真新しいスーツケースの横で、いつまでも手を振り続けた。

※外伝・TOKIOオマージュ
地方出身者の東京体験は何ものにも代えがたく、大都会「トキオ」(1980年のヒット歌謡曲「TOKIO」は沢田研二のスーパーシティ・東京讃歌、歌詞は糸井重里)に憧れて大学から社会人として勤務するまで14年間在京した私にとって、人生のアルバムの欠かさざるページとなっている。

今さら東京でもないだろうとJターンした私は体験者の傲慢で見下しがちになることもあるが、東京学校で学んだことが血肉となってわが人格形成に役立ったことは否めず、遠くなった今だからこそ、東京郷愁に胸を熱くし、青春を駆け抜けた一時期がよみがえり、たまに大都会の空気を吸うと、やはり東京はいいなあと、エキサイティングな日本のキャピタルに刺激とスリリングを覚えるのである。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年5月18日現在(CoronaBoardによる)、世界の感染者数は6億8415万9699人(前日比4万4396人増)、死亡者数が687万0855人(291人増)、回復者数は6億1764万0554人(3万6592人増)。インドは感染者数が4498万3152人、死亡者数が53万1794人、回復者数が4443万9965人、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0684万7862人、死亡者数が116万3555人、回復者数は1億0484万2489人、日本は感染者数が3380万4284人、死亡者数が7万4707人、回復者数が2172万5924人(ダイヤモンド・プリンセス号を含む)。編集注は筆者と関係ありません)