資生堂ギャラリーで石内都「銀座」展、香水、帽子等象徴

【銀座新聞ニュース=2023年8月28日】国内化粧品業界首位の資生堂(中央区銀座7-5-5、03-3572-5111)は8月29日から10月15日まで資生堂ギャラリー(中央区銀座8-8-3、東京銀座資生堂ビル、03-3572-3901)で石内都さんによる個展「石内都 初めての東京は銀座だった」を開く。

資生堂ギャラリーで8月29日から10月15日まで開かれる石内都さんの個展「石内都 初めての東京は銀座だった」に展示される資生堂の初めての本格的な香水「香水 花椿」(2022年)。

写真家の石内都さんは資生堂の企業文化誌「花椿」のウェブ版「ウェブ花椿」に、銀座の過去と現在について考える「現代銀座考」を連載し、その第2章となる「銀座バラード」(2022年6月から2023年5月まで)では、モノの記憶を映し出す石内都さんの写真から、森岡書店店主の森岡督行さんが物語を紡ぐかたちでうまれている。今回は「銀座バラード」のために石内都さんが撮り下ろした写真から、未発表のものも含む約30点のオリジナルプリントを展示する。また、森岡書店店主の森岡督行さんが企画協力している。

資生堂ギャラリーによると、石内都さんが最初に銀座を訪れたのは、1962年15歳の春で、東京でバスガール(女子車掌)をしていた叔母に、当時流行っていたジャズ喫茶に連れて行ってもらうために訪れた。その後、映画鑑賞や美大時代に画材の購入のため足を運ぶようになり、写真家としてのスタートとなった初期の3部作、「絶唱、横須賀ストーリー」(1977年)、「APARTMENT」(1978年)、「連夜の街」(1980年)の個展を開いたのも銀座だった。

「銀座バラード」では、石内都さんが現在も大切に保管し、銀座を訪れるきっかけとなった歌手のレコード、月光荘で戦時中に製造・販売されていた絵具など、石内都さんの記憶と結びつくものに加え、資生堂の初めての本格的な香水「香水 花椿」、銀座や新橋の芸者から譲りうけた着物に明治時代に芸者衆から愛された新橋ブルー色を用いたスカジャン、銀座寿司幸の蛸引き包丁、ミタケボタンのアンティークボタン、銀座天一の天ぷら、銀座もとじの草履、壹番館洋服店の鋏、銀座ボーグの帽子、資生堂パーラーのオムライスなど、銀座の文化を作ってきた店を象徴する品々を写真に納めている。

写真家として時を重ねるうちに、石内都さんの写真についての考え方は変化し、初期の頃には抵抗を感じていた記録・伝達という写真の役割について、今はそれも受け入れ、写真に対してもっと自由でいたいと思うようになったという。今回、「そのような思いで撮影した品々から、覚えていたい、忘れたくないと思う技術や、伝統、誇りなどを感じとることができるのではないか」としている。

石内都さんは2005年に母の遺品を撮影した「Mother’s 2000-2005 未来の刻印」で第51回ヴェネチア・ビエンナーレの日本代表に選出され、2007年より現在まで続く、原爆で亡くなった人々の遺品を撮影した「ひろしま」が国際的に評価され、近年は国内外の美術館やギャラリーで個展を多数開いている。

2014年には写真界の「ノーベル賞」と言われるハッセルブラッド国際写真賞を受賞し、2015年にはアメリカ・ロサンゼルスのJ・ポール・ゲティ美術館で個展「Postwar Shadows(ポストウォー・シャドウズ)」と題して開き、「ひろしま」がアメリカの美術館で初めて公開され、大きな反響を呼んだ。

石内都さんは1947年群馬県桐生市生まれ、多摩美術大学を中退、1994年にアメリカ・ニューヨークのグッゲンハイム美術館での「戦後日本の前衛美術」展に招待され、2005年にイタリアのヴェネツィア・ビエンナーレの2005年日本代表、2015年にアメリカ・ロザンゼルスのポール・ゲッティ美術館(The J. Paul Getty Museum)にて個展「Postwar Shadows」を開いた。2018年には住居を横浜から故郷の群馬県桐生市に移し、桐生を活動の拠点にしている。

1979年に写真集「APARTMENT(アパートメント)」と写真展「アパート」にて第4回木村伊兵衛賞、1999年に第15回東川賞国内作家賞、第11回写真の会賞、2006年に日本写真協会賞作家賞、2009年に毎日芸術賞、2011年に第60回神奈川文化賞、2013年に紫綬褒章、2014年に日本人としては濱谷浩(1915-1999)、杉本博司さん(1948年生まれ)に次いで3人目のハッセルブラッド国際写真賞、2022年度に朝日賞を受賞している。

開場時間は11時から19時(日曜日、祝日は18時)。月曜日は休み。入場は無料。