M84で池田満寿夫版画展、東洋の美、はっとり所蔵品から

【銀座新聞ニュース=2024年7月27日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル、03-3248-8454)は7月29日より9月7日まで池田満寿夫版画展「はっとり・よしをコレクション」を開く。

Art Gallery M84(アートギャラリーエムハッシー)で7月29日から9月7日まで開かれる池田満寿夫版画展に出品される作品「Peacock(ピーコック)1981」(@Masuo Ikeda)。

作家、映画監督も務めた画家、版画家の池田満寿夫(1934-1997)の版画展で、池田満寿夫の版画や写真などを収集している日本有数のアートコレクターでもある「共進工業」の社長のはっとり・よしをさんのコレクションから選定した1968年の「靴の裏側」(1969年に第8回国際版画展ユーゴスラビア芸術アカデミー賞受賞作)」から1991年の「動物の祭り」までの約32作品を展示する。

Art Gallery M84(アートギャラリーエムハッシー)は、主に写真作品を展示するギャラリーだが、今回は作品を創作するとの観点から池田満寿夫の版画作品 (ドライポイント、アクアチント、メゾチント、ソフトグランド、リトグラフ、エッチング)を展示販売する。

池田満寿夫は絵や版画を手がけ、陶器も作り、その上、小説によって芥川賞をとり、江戸時代中期の浮世絵師、東洲斎写楽(生没年不詳)の浮世絵を探求、舞台も映画も作り、テレビにも多く出演した。しかし、この多才ぶりに対して日本の美術界は遠巻きに見、生前から正当な評価を受けていたとはいえず、版画、陶芸などについての本格的な評論は生前も、死後も数少ない。

池田満寿夫の版画作品が評価されるようになったのは、東京国際版画ビエンナーレ展で日本人審査員は全く評価しなかったが、ドイツ人の美術評論家で、元ニュルンベルク近代美術研究所長のヴィル・グローマン(Will Grohmann、1887-1968)が「ここに東洋がある。日本の能面に通じる簡潔な美がある」と〝東洋の影〟を指摘して絶賛した。そのドライポイントを主にした版画が、1966年のベネチア・ビエンナーレ版画部門で評価を受け、アメリカに招聘され、イーストハンプトンにアトリエを構えた。

ウイキペディアによると、池田満寿夫は1934年2月23日に旧満洲国奉天(現遼寧省瀋陽)生まれ、1945年8月に万里の長城の張家口で終戦を迎え、12月に母の郷里長野市に帰国、1951年に第1回全日本学生油絵コンクール(毎日新聞社主催)でアトリエ賞、東京藝術大学を3度受験するも不合格、1955年に11歳年長の下宿の娘・大島麗子と結婚した(その後、離婚せず)。

1957年に第1回東京国際版画ビエンナーレ展公募部門で入選、1960年に詩人の富岡多恵子(1935-2023)と同棲し(約8年間)、第2回東京国際版画ビエンナーレ展招待出品で文部大臣賞(1962年に第3回で東京都知事賞、1964年に第4回で国立近代美術館賞)、1961年に岩波書店「世界」にカットが採用され、以後、岩波書店「図書」や「朝日ジャーナル」をはじめ新聞各紙にカットが掲載され、第2回パリ青年ビエンナーレ展で版画部門優秀賞を受賞した。

1965年に第6回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展で入賞(1969年も)、1966年に中国系アメリカ人画家リラン・ジーさんと出会い、その後、ロサンゼルスで同棲を始め(1968年から1979年まで)、第1回クラクフ国際版画ビエンナーレ展で入賞(1970年も)、第33回ベネチア・ビエンナーレ展版画部門で国際大賞、1967年に芸術選奨文部大臣賞、ドイツへ留学、ヨーロッパ各地の工房で版画を制作、1970年に第17回アメリカ国内版画展(ブルックリン美術館)で入賞した。

1977年に小説「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞、1979年に映画「エーゲ海に捧ぐ」で初監督、イタリアロケでバイオリン奏者の佐藤陽子(1949-2022)と出会い、恋愛関係に発展し(佐藤陽子は1973年から1979年まで外務省の岡本行夫=1945-2020=と夫婦)、1981年に映画「窓からローマが見える」を監督し、1982年に東京から熱海市海光町へ転居、1983年に静岡県下伊豆町の岩殿寺窯で初めて作陶、テレビドラマ「大奥」の演出を担当した。

1986年に国立国会図書館新館ロビーに大型タピスリー・コラージュ「天の岩戸」を設置、埼玉県狭山市新庁舎に陶壁を設置、熱海市下多賀にガス窯と電気窯を備え、版画用プレス機も設置した「満陽工房」を開設した。1987年にテレビドラマ「必殺仕事人ワイド 大老殺し 下田港の殺し技珍プレー好プレー」に出演、1989年に相模鉄道6000系「アートギャラリー号」のデザインを手がけ、1993年に増穂登り窯の敷地内に自ら考案した薪窯「満寿夫八方窯」を築窯、1997年に最後の陶作品「土の迷宮」シリーズを焼成した。

日刊スポーツ新聞(1997年3月9日付)によると、1997年3月8日0時ころに佐藤陽子が帰宅し、その直後、伊豆地方で地震があり、驚いた犬たち8匹が池田満寿夫の足に絡みつき、前のめりに転倒、そのまま意識を失った。佐藤陽子が救急車を呼び、池田満寿夫を病院に搬送したが、そのまま急性心不全により死去、享年63歳。

「gurung」の池田満寿夫に関する総まとめによると、池田満寿夫は版画作品だけで生涯に1000点以上、陶芸作品も3000点以上残している。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)。入場は800円。日曜日は休み。