和光で輪島の桐本滉平「漆器」展、花器や再生した輪島塗の椀等

【銀座新聞ニュース=2024年8月2日】国内時計業界第3位のセイコーホールディングス(中央区銀座1-26-1)グループの百貨店、和光(中央区銀座4-5-11、03-3562-2111)は8月28日まで地階「アーツアンドカルチャー」で桐本滉平さんによる新作漆器展を開いている。

和光で8月28日まで開かれている桐本滉平さんの新作漆器展に出品されている作品。

江戸時代から続く輪島塗の「輪島キリモト」(石川県輪島市杉平町大百苅70-5-8、0768-22-0842)の8代目、漆芸家(しつげいか)の桐本滉平(こうへい)さんが能登の自然からインスピレーションを受けた新作の花器や酒器、能登地震で被災した輪島塗の器を再生させたシリーズを展示している。

桐本滉平さんの漆器は、能登の海岸で拾った石や果物から型を取り、漆や布、米、珪藻土などを用いた「脱活乾漆技法」によって作られた造形を特徴としている。今回は「生命の尊重」をテーマにした花器や酒器などの新作を中心に、日常の暮らしで使える器を展示販売している。

新作の器に加えて並ぶのは、今年1月の能登地震で損壊した家屋や工房から運び出した、制作途中であったり傷ついたりした輪島塗の椀を、桐本滉平さんが能登で採取される珪藻土を用いた下地技術の応用で仕上げ、再生させた作品も展示している。

桐本滉平さんはあるインタビューのなかで「私が選ぶ石は、お椀にふさわしい形や均整の取れた形ではなく、純粋に愛しいと思える形の石。人間が意図してできるものではない形に惹かれます」と語っている。

「そもそも能登半島では、数千万年前から地震が繰り返し起こっていました。そのたびに地盤が隆起して、半島が形成されたとも言われています。何万年もの年月をかけて、海底の土や石や岩が隆起して地上の山となり、再び崩れて流れて海へ戻っていく。そんな地球の営みを、この海岸の石は伝えているんです」という。

桐本滉平さんは1992年石川県輪島市生れ、日本大学商学部を卒業、2016年に在学中に文部科学省「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」に採用され、フランス・パリにて漆器のマーケティングを1年間実践し、2018年に「科学やデザインの視点で漆を捉えなおす」をコンセプトにした新たな漆のブランド「IKI(イキ)-by KOHEI KIRIMOTO」を発表している。

帰国後は、父親の「輪島キリモト」の7代目桐本泰一さんの下で漆芸品の販売・企画の経験を積み、2020年に独立し、個人で創作活動をはじめている。桐本滉平さんは漆、布、米、珪藻土を材料とした乾漆技法によって「生命の尊重」をテーマに創作している。また、ディレクターとしても輪島の匠たちと共同創作しており、これまでにオーストリアのバッグブランド「SAGAN VIENNA(サガン・ウィーン)」、フランスのアーティスト「CHARLES MUNKA(シャルル・ムンカ)」、東京のアーティスト「YOSHIROTTEN(ヨシロッテン)」などとのコラボ作品も発表している。

輪島キリモトによると、輪島キリモトは江戸時代後期から明治・大正にかけては輪島漆器製造販売を営み、昭和の初めに木をくることを得意とする「朴木地屋(ほうきじ)・桐本木工所」に転業し、6代目・桐本俊兵衛は、特殊漆器木地をはじめ、家具全般を手掛ける設備を整えた。

現在の7代目・桐本泰一さん(1962年生まれ)は1985年に筑波大学芸術専門学群生産デザインコースを卒業、1985年にコクヨ意匠設計部に入社し、1987年に桐本木工所に入社し、見習いを経て、漆の器、家具、建築造作などの創作をはじめ、2015年に桐本木工所を引き継ぎ、代表に就任した。同年に商号を「輪島キリモト」とし、木地業を生業にしながら、職人と一緒に、木工製品や漆の器、小物、家具、建築内装材に至るまでモノ作りに続けている。

開場時間は11時から19時まで。入場は無料。