【モハンティ三智江のフィクションワールド=2024年8月20日】
<序>
「おーい、アンナー、来てみぃー、大傑作ができたでぇ」
1階奥の茶室から、同居人の上ずった喚声が響く。リビングの英国製アンティークテーブルで、愛用のニコンのレンズを磨いていた私はとっさに手を止め、カメラを首にぶら下げると、男の機嫌を損ねないよう茶室に走った。
引き戸を開けると、絵筆を手にしたまま、銀髪を振り乱した男が、異様に瞳を爛々と輝かせながら、仁王立ちしていた。家人が入ってきたのを認めると、さっと襖の前から立ちのいて、「どや、すごいやろ」と、一対の白い表装に描き撲った絵を見せた。
室内は饐えたアルコール臭に澱んでいた。畳の隅には空のウィスキーボトルが転がっている。一気呵成に描きあげたあとの昂揚未だ冷めやらぬ面持ちの男はもどかしそうに、私の背をぐいと押すようにした。右側には、鴨居に項を引っ掛けた、だらんと人形のように垂れ下がった人物像が褐色の濃淡のタッチで描かれていた。
いわゆる「首吊り」は、私が15年近く同居する年長の男のモチーフでもあったが、さすがに等身大で目前に突きつけられると、生々しくて目を背けたくなる。しかし、私を絶句させたのはそれではない、左側の絵の方だ。
あたかも生首が転がり落ちたかのようなおどろおどろしさ、ごろんと頭部のみが剥き出しに描かれた自画像の方だった。蓬髪を振り乱し、老醜を晒した土気色の顔は幽鬼同然、まぶたが垂れて悲痛に歪んだ面持ちをしている。男の未来を暗示するかのようで、不気味で、背筋がぞっと逆撫でされる心地だった。
絶望に喘ぎながら、立ちすくんでいると、
「何しとるんや、はよ撮ってくれや」と、せっつかれる。
私はかろうじて自らを奮い立たせると、半ば義務のようにレンズを振り向けた。シャッター音が不気味に静まり返った茶室に響き、狂気の澱(よど)む空間にこだまする。
その刹那、レンズを覗く目が胸奥に突き上げる塊でうっすら曇った。まつげをしばたたかせながら、涙をこらえていると、
「どや、すごいやろ、俺の最期の自画像や。遺作を描(か)いたからには、これでいつ死んでも悔いはないわ」と昂揚した面持ちでうそぶく。
「絶筆」と宣言してはばからない同居人の昂ぶった神経、尋常でない精神が恐ろしくてならない。遺書のつもりで、こんな凄絶な絵を描いたのか。それではもういけない、断じていけない、こんな形で私を遺していくなんて、あまりに残酷すぎる・・・。
(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)