【銀座新聞ニュース=2024年9月4日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル、03-5568-1233)は9月4日から17日まで須磨利之による回顧展を開く。
団鬼六(おにろく、1931-2011)の「花と蛇」や沼正三(覆面作家)の「家畜人ヤプー」などの怪作を生み出した日本初のアブノーマル雑誌「奇譚クラブ」や、「裏窓」などのマニアック誌において、編集者として、執筆者として、さらには絵師として、マルチな才能を遺憾なく発揮した須磨利之(1920-1992)の回顧展を開く。
またの名を「美濃村晃・喜多玲子」として知られる須磨利之は、サディズム、マゾヒズム、フェティシズムをはじめとするあらゆる性風俗文化を、物語性に富んだ創作物で発信し、活字や挿画にロマンティシズムを求める読者を魅了した。また、雑誌というメディアを駆使して、今日につながる戦後の大衆文化の隆盛の一翼を担った。今回は原画のほかに、ドローイングや肉筆原稿も展示する。また、一部の原画や複製原画なども発売する。
ウイキペディア、SMペディアによると、須磨利之は1920年京都府京都市生まれ、小学3年生のときに、役者買いをして伯父に激怒された母親が蔵の中で縛り付けられているのを偶然目撃し、あられもない母親の姿に衝撃を受ける。1930年代に京都美術工芸学校を結核で中退、1930年代に日本画家の平井楳仙(ばいせん、1889-1969)に師事した。
1939年に舞鶴の海兵団に志願、1944年に乗船した「北陸丸」がバシー海峡(台湾島南東の蘭島に隣接する小蘭島と、フィリピン領バタン諸島(バシー諸島)最北のマヴディス島との間にある海峡)で沈没したが、助かり、1945年頃に復員、京都の夕刊新聞「京都中央新聞社」の編集記者となり、1947年夏から曙書房に移り、「奇譚クラブ」に挿絵を描いた。
1951年から1953年まで「奇譚クラブ」の編集長を務め、自ら緊縛師として女性を縛ったり、SM小説などを書き、SM写真も撮影した。1954年に退社し、上京し、1956年に久保書店からSM雑誌「裏窓」(後の、サスペンスマガジン)を発行し、自らの絵や小説などを発表した。しかし、警察によって繰り返し発禁処分などを受け、当時の原画などは多くが失われている。
1970年に久保書店を退社し、濡木痴夢男(ぬれき・ちむお、1930-2013)と「あぶプロ」を設立、「あぶめんと」を創刊(同年9月号で廃刊)した。同年に「SMセレクト」の創刊に関わり、1971年に「SMコレクター」の創刊に関わり、1979年5月に脳いっ血で倒れ、1992年3月6日に逝去した。SMペディアでは「昭和SM文化の母」ともいえる存在、としている。
開場時間は12時から19時(土・日曜日17時)まで。入場料は1000円。18歳未満は入場できない。