(インドへの一時帰国から日本に戻ってきましたので、タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2024年9月20日】久々に旅ルポを2回シリーズでお届けする。2月に一時滞在のインドから戻って以降、4月の息子来日に伴う広島、岡山、五箇山(富山県)の同行、5月の岐阜、6月の新潟・佐渡への独り旅と、楽しみながらも、報告している暇がなかった。
7月に入って気温が急上昇、暑くなる前に京都経由で丹後に行こうと思っていたが、ずるずる日延べするうちに混雑する夏休みシーズンに入り、機会を逸してしまった。さて、どうする、旅の虫はうずいているし、と考えて、手っ取り早く京都を再訪することに決めた。
当初の予定では、金沢から高速バスで京都に入り、そこからさらにバスを乗り継いで天の橋立てに行き、電車で丹後まで足を伸ばし、久美浜を見る予定だったが、海水浴シーンに入り、タイミングがズレてしまったのだ。とにかく、インド顔負けの猛暑なので、長時間の移動はなるたけ避けたい。京都ならバスでダイレクトに行けるし、見逃した鞍馬寺(くらまでら)にも足を延ばせる。
ちなみに、京都は2年ぶり。前回は、母の納骨に西本願寺を親族ともに訪れて、ついでに私独り延泊し、比叡山延暦寺にバスで向かい、3時間余り徒歩で境内の寺社を巡拝したものだった(横川は遠すぎてパス)。折りよく、祇園祭の後祭で、過去に見たことはあったが、合間を縫って再見できそうだ。
7月23日、10時20分発の高速バスで金沢駅を出発、到着は15時過ぎで、ホテルのチェックインには好都合、京都ファンの私はワクワクと、JRバスに乗り込んだ。最前列の特等席だが、4月の息子来日時利用した近鉄バスの方が、若干安いし、車体も新しく、最前列の席もレッグスペースがゆったりあってよかったような気がした(切符は窓口で買えずネット越しのモバイル乗車券になるが、早朝出発なのが難)。
途中、休憩した南条サービスエリア(福井県)で降りると、冷房バスからオーブンに投げ込まれたような熱暑、現地の酷暑が思いやられた。案の定、烏丸口に到着し、降りた途端あまりの暑さにクラクラ、キャリーバッグを転がしながら、とりあえず冷房のきいた喫茶店に逃れることにした。お気に入りの駅前コーヒーチェーン「ベローチェ」は15時過ぎの時間のせいか、思ったより混んでいなかった。ポテトサンドとアイスコーヒーをオーダーしたが、コーヒーは350円で以前より値上がりしていた。
ここで涼みながら、日差しが和らぐ夕刻まで待機、駅から15分ほど歩いたところにある、「京都シティガーデンズホテル」(京都府京都市南区東九条河西町4、075-681-8885)に向かうことにした。炎天下、荷物を転がして、テクテクとGoogleマップをチェックしつつ、初めてのホテルに向かうのはしんどいと思ったのと、京都に来たからにはまず、「ベローチェ」の洗礼を浴びたかったのである。
結局、その日は喫茶店でダラダラするだけで終わってしまい、お祭りを見ることもなく、ホテルにチェックインしたのが19時過ぎ。2泊で1万円ちょっとだったが、京都シティガーデンズは、小綺麗なビジネスホテルで、1階カウンター奥には、簡易チェア&テーブルセットも何脚か置かれ、コーヒー、煎茶・ほうじ茶、スープ、水の温冷が無料で飲めるようになっていた。
翌朝、近くの鴨川を見たあと、ネットでチェックしたお祭りが見れる場所へ徒歩で繰り出す。京都タワーの脇の烏丸通りを直進、蝉時雨の降る並木道を東本願寺を過ぎて30分ほど歩いた辺りで、祇園祭の花笠巡業に出くわした。11時からスタートだが、お目当ての山車は見当たらない。以前見たことがあるし、暑いので、駅に戻り、バスで「高雄」に遠出することにした。
紅葉の名所として名高い高雄は初見だが、渋滞もあって1時間以上かかった。何度も京都には行って見尽くしたと思っていたが、あまりに山奥なので、びっくり。時間もかかったし、運転手さんにいつ着くのかと途中で聞いたほどだ(こんなに遠いところなのにもかかわらず、市バスの一律料金230円なのがありがたい)。
下車して、道標に沿って坂道を下ると、清滝川(きよたきがわ)にかかった丹塗りの小橋、高雄橋が見えてきた。辺りは鬱蒼と生い茂った緑に覆われた山間、橋を渡って、脇の路地を行くと、右手に旅館や飲食土産物店、左手に白い水飛沫をあげる渓流が見えてきた。
緑に囲まれた涼し気な川沿いには、川床(かわゆか)料理店の外座敷、板敷にゴザの敷かれた座席が連なって現れたが、時節外れで客はひとりもいなかった。青もみじを愛でながら、さらに進むと、吊り橋の向こうに料理屋が現れ、ミニバスで訪れたお客さんが三々五々渡っていた。私も渡りたかったが、店の専用橋らしく断念。さらに渓流に沿って進みながら、盛夏には格好の涼しい散策を楽しんだ。
ここが紅葉の名所というのも納得、真夏の今は色づいてないが、青々としたもみじが渓流に垂れかかる様が美しく、また別の意味で目の保養である。今来た道を戻って、橋のたもとの先の坂道を上がり、標識のある神護寺(じんごじ)参道へと石段を登り詰めた。
サンダル履きで来たことを後悔するほど、石段はつづら折りに延々と続き、登っても登っても目指すお寺にたどり着かないのに閉口した。年配の参拝客の中には、棄権した者もいた。私は休み休み登り、やっと楼門が見えてきたときはほっとひと息、潜ると、広い境内が開けていた。大師堂など、いくつかの堂宇を過ぎて、由緒ある堂々たる威容の古刹(こさつ)、金堂へ。中にあがると、いかめしいお顔の薬師如来木像が祀られており、恭しく拝礼した。
そもそもは、和気清麻呂(わけの・きよまろ、733-799)が紅葉の名所高雄に創建した高雄山寺(たかおさんでら)が始まりで、河内の神願寺と合併し「神護寺」と改称されたという(824年)。以後、最澄(767-822)も法華経の講義に入山したり、特に唐より帰朝した弘法大師・空海(774-835)が真言密教を広める前に一時住まわれたことで(大師堂)知られる。
広々した境内の柵からは鬱蒼とした緑に覆われた山並みが見渡せ、別天地の霊気に漲(みなぎ)り、足の痛みも忘れる絶景だった(ここから、かわらけ=土器=を投げると厄除け祈願も可)。
帰路のバスは四条烏丸行きで、終点で下車し、街中を散策した。四条通りのアーケードは、赤と白の提灯で飾られ、お祭りムード。時間があれば、駅から出る市バスに乗って源光庵(げんこうあん)まで行きたかったが、すでに16時前、断念して、明日午前に回すことにした。ドトールがあったので、入って休憩、夕刻からお祭りのパレードがあるらしく、通り沿いには人がびっしり集っていた。
アイスコーヒーを飲んで、足の疲れを癒したあと、外に出ると、通りの向こうから神輿(みこし)が飛び出してきたが、路地を曲がり奥に消えてしまった。山車(だし)をひと目見たいのだが、現れそうにないので、徒歩でホテルまで戻ることにする。
四条河原町は京都の繁華街としておなじみだが、四条通りの発展ぶりには驚かされた。有名ブランド店やデパート、チェーン店が軒を並べている。途中、洒落た本屋にぶつかり、大垣書店とあったので、入ってみた。
児童書コーナーで「おとき話の幻想挿絵」(パイインターナショナル刊)という豪華本が棚に展示されていたので、広げてみて、繊細で美しいヨーロッパの古き良き時代の挿絵画家のロココ風作品に魅了された。写真に撮って、帰宅したら図書館で借りようと思った(8月11日現在、貸出書として手元にあり)。
ホテルの斜交いのローソンでお弁当や明朝のパンを買い、ロビーでスープと共に食べたあと、部屋へ上がった。お湯につかったあと、右足をチェックすると、薬指が腫れて痛かった。スニーカー持参なので、明日は履き替えて観光だ。
歩けるか心配だが、なんとかなるだろう。明日は、午前の源光庵と、午後の鞍馬寺の強行軍だ。帰りのバスは今朝、駅の高速バスセンターで買った(行きの4000円に比べ、夜行は5000円)。金沢行き23時59分発のミッドナイト・エクスプレスは、朝の6時過ぎ到着予定だったが、残り2席と言われ、少し焦ったものだ(大阪始発のせいもあったろう)。
室内のカーテンを引くと、黒いシルエットを描く山の上に丸く白い月が出ていた。駅に比較的近いホテルながら、眺望は京都の自然を愛でられ、悪くない。高雄の観光疲れもあって、寝付きの悪い私だが、すぐに寝入った(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。