【ケイシーの映画冗報=2024年11月7日】数日前、学生時代の恩師の訃報に接しました。演劇科の学生でしたので、ギリシャ悲劇からシェイクスピア、能狂言や歌舞伎まで、一応は触れています。
ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、1564-1616)の「この世は舞台、人はみな役者」(戯曲「お気に召すまま」)や江戸期の戯作者である近松門左衛門(ちかまつもんざえもん、1653-1724)の「芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜の間にあるもの也」といった一文は、いまも鮮烈に憶えています。
この“実と虚”を作品の根幹に据えたのが本作「八犬伝」といえるでしょう。滝沢馬琴(筆名は曲亭馬琴、1767-1848)が読本(小説)として記した「南総里見八犬伝」のストーリー、絵師である葛飾北斎(1760-1849)や家族との交流のなか、馬琴が自作を仕上げていく「実」の部分に、安房国(あわのくに)里見家への怨嗟と、それを打ち払うために結ばれた8人の剣士が躍動する「八犬伝」という「虚」の部分が互いに挿入されていく展開で物語は動いていきます。
江戸時代(1603年から1868年)後期、読本作者として知られる滝沢馬琴(演じるのは役所広司)は、旧知の絵師である葛飾北斎(演じるのは内野聖陽)に、新作「八犬伝」の構想を語って聞かせます。
その北斎が筆を走らせ、登場人物を活写することで、馬琴のイマジネーションが刺激され、「八犬伝」の世界はさらなる広がりを見せていくことに。「八犬伝」の部分では、それぞれの“珠”を持ち、名前に“犬”の字を持つ8人の剣士が、運命に導かれて結集し、やがて宿敵である里見家を呪う怨霊との決戦に向かうことになります。
じつに28年にわたった「八犬伝」の執筆中、馬琴は一人息子が夭逝(ようせい)し、女房にも先立たれ、自身も視力を喪うといった辛苦に見舞われます。
それでも、「物語も自身も正義を貫く」と、「八犬伝」を続けようとする馬琴を扶(たす)けたのは、息子の妻であったお路(みち、演じるのは黒木華=はる)でした。
物語の中で本懐を遂げた8剣士。作品を仕上げた馬琴には何が去来するのでしょうか。江戸後期に成立した馬琴の「八犬伝」は、完結する前から歌舞伎の演目となり、現在のように著作権もない時代ということもあり、翻案や原典の一部を引き抜いた作品がいくつも生み出されています。
本作の原作である「八犬伝」は山田風太郎(1922-2001)の小説で、映画と同様に「馬琴の実」と「八犬伝の虚」が交互に展開するストーリーですが、この作品の以前に「忍法八犬伝」という作品も著しています。
本作の「八犬伝」が、馬琴のオリジナルに則っているのに対し「忍法八犬伝」では、珠を奪った女忍者と8剣士が忍法を駆使して争うという、本家を大胆に脚色した、エンターテイメント性を重視した快作となっています。
とはいえ、本家の「八犬伝」が重苦しい物語ということはなく、当時としては娯楽性が高く、また一部には歴史上の人物や史実を配しながら、個性豊かな8剣士ら登場人物のキャラクター像は、のちのさまざまな作品に取り入れられ、「勧善懲悪、正義が勝つ」という、単純ながら正当なストーリーも相まって楽しめる作品であり、だからこそ、今日でも魅力的な“素材”なのです。
本作はケレン味たっぷりの8剣士のアクションと、馬琴や北斎ら、江戸の市井に生きた人物が活写されるという、まったく異なるコントラストで構成されていますが、とくに印象に残ったシーンがあります。
歌舞伎の「東海道四谷怪談」を観た馬琴と北斎が、その舞台下の奈落で、作者である4代目鶴屋南北(1755-1829、演じるのは立川談春)と邂逅(かいこう)し、戯作についての意見を交わすのですが、「正しいものが勝つ」という馬琴に対して正反対の論を述べ、作品に差し入れているという南北。さらに北斎にも、彼なりの視点があります。
監督・脚本の曽利文彦も語っています。
「“ものづくりの醍醐味”が詰まっているというか・・・。(中略)南北の言葉も、馬琴の言葉も、北斎のスタンスもすごく刺さるんです」(パンフレットより)
「虚と実」には、割り振りや線引きはあっても、正解などはないのでしょう。それでも「書かずに、描かずに、表現せずには」いられないのが作品を生みだす要諦(ようてい)だと、実感させる、屈指の名シーンとなっていました。次回は、「レッド・ワン」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。
編集注:ウイキペディアによると、「南総里見八犬伝」は江戸時代後期に曲亭馬琴が48歳から76歳までに著わした長編小説、後期読本で、1814(文化11)年に刊行が開始され、28年かけて1842(天保13)年に完結した、全98巻、106冊の大作である。、48歳から76歳に至るまでの後半生を費やした。
物語は室町時代(1336年から1573年)後期を舞台に、安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた8人の若者(8犬士)を主人公とする。共通して「犬」の字を含む名字を持つ8犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣が身体のどこかにある。関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集する。
明治に入ると、坪内逍遥(1859-1935)が「小説神髄」(1885年から1886年)において、8犬士を「仁義八行の化物にて決して人間とはいひ難かり」と断じ、近代文学が乗り越えるべき旧時代の戯作文学の代表として「八犬伝」を批判しているが、このことは、当時「八犬伝」が持っていた影響力の大きさを示している。逍遥の批判以降「八犬伝」の評価は没落していくが、1970年代から1980年代にかけて復権し、映画や漫画、小説、テレビゲームなどの源泉として繰り返し参照されている。
長大な物語の内容は、南総里見家の勃興と伏姫・八房の因縁を説く発端部(伏姫物語)、関八州各地に生まれた8犬士たちの流転と集結の物語(犬士列伝)、里見家に仕えた8犬士が関東管領・滸我公方連合軍(史実世界の古河公方連合軍)との戦争(関東大戦、対管領戦)を戦い大団円へ向かう部分に大きく分けられる。