【ケイシーの映画冗報=2025年1月30日】「室町無頼」は15世紀後半の室町時代中期の話です。うちつづく飢饉や疫病により、一般の人々は過酷な生活をおくっていました。その一方で、京都では室町幕府と有力な寺社、各地の守護大名(戦国大名の原型)、そして朝廷という4つの勢力が、民の窮状には、なんの施策もなさず、権力の維持と享楽の日々を過ごしていました。

1月17日から一般公開されている「室町無頼」((C)2016垣根涼介/新潮社(C)2025『室町無頼』製作委員会)。制作費は10億円で、興行通信社によると、17日から19日の初週は観客動員数が11万人、興行収入が1億5401万円で7位、24日から26日の2週目で10位にランクされている。先行上映を含めた21日までの累計成績は観客動員数12万人、興行収入1億8000万円を突破している。
京の都の警護を任ずる武装集団の頭目である骨皮道賢(ほねかわ・どうけん、演じるのは堤真一)は、僧兵に捕らわれていた没落武士の子孫という才蔵(演じるのは長尾謙杜=ながお・けんと)を拾い上げます。かれは気持ちと勢いはあるものの、武人としての技量はまだまだ、という若者でした。
才蔵と道賢のまえに、1人の人物があらわれます。蓮田兵衛(演じるのは大泉洋)は、道賢の昔なじみですが、いまは放蕩無頼の身なれど、武術の達人にして智略もある好漢です。道賢から才蔵を文字通り“買った”兵衛は、才蔵の将来を見込んで1年間、武術を修業させました。
なにものにも縛られない兵衛は、民が虐げられるいまの世を変革するため、ひそかに大きな策略をめぐらせていました。京の町を徒党を組んで襲い、借金の証文を焼き払うことで、取り立てから解放しようというのです。その仲間には才蔵をはじめ、兵衛の想いに意気を感じた人々が集うのでした。
その策略を知った道賢も動きますが、権力側の腰は重く、自力での鎮定を覚悟する道賢。かつて友であった両人はお互いの感情と人生をかけ、刃を携えて対峙することになるのでした。
原作は、直木賞作家の垣根涼介による小説で、垣根は本作について、こう述べています。
「室町時代を題材とした小説自体がほとんどありませんし、応仁の乱(編集注:1467年から1477年まで続いた室町時代最大の戦乱)前夜とも言える土一揆の話を小説にしたのはおそらく僕が初めてのこと」
たしかに武家社会が成立し、元寇というおおきな対外戦争のあった鎌倉期と、戦乱のつづいた戦国期にはさまれている室町期は、ドラマティックな出来事があまり起きていないイメージがあります。
とはいえ、連綿と歴史は流れていたわけで、監督・脚本の入江悠も、「調べれば調べるほど、室町はとても興味深い時代です。まだ封建主義など社会構造が固まる前で、ある意味なんでもありの時代」(いずれもパンフレットより)と、混沌とした世界観の魅力を語っています。
その一方で、「室町時代は一般的に知られるヒーローがいないので、おそらく僕が生きている間には2度と映画化されない気もします」と、達観すら感じさせるコメントも出されています。
たぶん、これは入江監督の意図的な志向だと想像するのですが、本作のBGMのおおくが、いわゆる“時代劇風味”の和奏ではなく、西部劇、それもハリウッド産ではなく、イタリアなど、ヨーロッパで多作された“マカロニ・ウェスタン”の要素が感じられました。
同様に、本作ではポイントとなるタイミングで“風”が流れ、ときには砂塵が舞うという情景が映し出されます。これも日本的な感覚というより、西部劇の乾いたイメージが含まれているように見受けられました。
また、才蔵が武術の修業にはげむシーンでは、かつての香港映画における、カンフーの修業のようなケレン味のあるギミック(仕掛けや工夫)が出てくるといった、圧政に苦しむ民の窮状とはおもむきのことなる場面も散りばめられ、重苦しいだけの作品とはなっていません。
その一方で、京の町で一般的だった蒸し風呂(この時代の風呂屋は、飲食や宿泊、いろいろな娯楽を楽しめる場所でした)が、兵衛と道賢の関わりに大きな接点となっていたり、寺社が僧兵という独自の武力をもち、高利を農民たちからきびしく取り立てていたという、およそ救済からはかけはなれた集団もいたことなど、観客に時代性を印象づけさせる部分もちりばめられています。
深夜の山々から、一揆勢の持つ多くのたいまつが、ゆらめきながらいくつも出現するクライマックスへの流れは、ダイナミックな時代の動きが映像表現としてスクリーンに広がり、闇と炎の様式美から、本流のような民と権力との激突まで、一気呵成に押し寄せてきます。
これこそ、本作のエネルギーと歴史の一面が重なった瞬間といえるのではないでしょうか。実際の「寛正の土一揆」(かんしょうのつちいっき、1462年)の情景ではないのでしょうが、想像の翼を広げることもまた、映像作品のもつ魅力の大きな要素なのだと、再確認させる一作といえるでしょう。次回は「野生の島のロズ」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。