セリフなしの浮世離れも、楽しめる「サイレントナイト」(418)

【ケイシーの映画冗報=2025年4月24日】今回は「サイレントナイト」(原題:Silent Night、2022年)です。2021年のクリスマス・イブ。ギャング同士の抗争によって放たれた銃弾が、幼い男の子の命を奪ってしまいます。目の前でわが子を喪ったブライアン(演じるのはジョエル・キナマン=Joel Kinnaman)は、はげしい怒りからギャングの車を追いかけ、数人を斃すことができましたが、逆襲され、喉を撃ち抜かれてしまいます。

4月11日から一般公開されている「サイレントナイト」((C)2023 Silent Night Productions,Inc.All Rights Reserved)。作品は「R15+」(15歳未満は鑑賞できない)に指定されている。

病室で目覚めたブライアンは自分が声を喪ったことを知り、大きな喪失感をおぼえますが、妻のサヤ(演じるのはカタリーナ・サンディーノ・モレーノ=Catalina Sandino Moreno)の助けもあって、リハビリをやりとげ、自宅に帰ってきます。

ところが、我が家はブライアンの感情を強く揺さぶります。わが子との想い出が沸き上がり、すさんだ感情を爆発させてしまうのでした。やがてサヤも離れていき、ブライアンは復讐を決意するのでした。最終的な目標は自分の声を奪ったギャングのボスであるブラヤ(演じるのはハロルド・トレス=Harold Torres)、そして、期日はわが子を喪った1年後のクリスマス・イブ。

たったひとりで壮絶な戦いにのぞむブライアン。聖夜に繰り広げられる復讐譚の結末は。本作の監督であるジョン・ウー(John Woo、1946年生まれ)は、香港出身の映画監督で、監督としてのキャリアは50年というベテラン。香港、台湾、中国、そしてハリウッドでも監督作を残している、希有な映画人ともいえます。

その作品はごく一部をのぞいてアクション・シーンがふんだんに盛り込まれ、1986年の監督作「男たちの挽歌」(A Better Tomorrow)で大々的に披露された2梃拳銃による乱射シーンは、その画面映えする情景から、他の映像作品にも一気に伝播していきました。

他にも“男同士の友誼”や“奪われた、喪ったものを取りもどす復讐劇”そして、“教会での銃撃戦”、“舞い飛ぶハト”といった“ジョン・ウー印”ともいえる情景や設定は、「バイオレンスの詩人」や「アクションのマエストロ(巨匠)」とまで評されるウー監督ですが、ここで新たな挑戦を試みています。

それは主人公であるブライアンから“声を奪った”ことでしょう。これまでもウー監督は主人公に“聴力障害”(「ウインドトーカーズ=Windtalkers」2002年)や“視覚過敏”(「ブラックジャック=Blackjack」1998年)といったハンディ・キャップを与えることがありましたが、今回の主人公は声を奪われます。

それだけではなく、ほかの登場人物もセリフは絞り込まれ、最小限度の音声表現となっています。むしろ、ラジオやテレビの放送、そして飛び交う無線の声のほうが言葉として発せられるのです。

「セリフのない映画を作るのはとても難しい。(中略)音と映像を駆使し、言葉ではなく映像で語るんだ。これは決して簡単な作業ではない」と語るウー監督。たしかに“奇をてらった”設定にも見えますが、俳優陣にとっては、ある意味でエネルギッシュな、稽古場のような撮影だったのではないでしょうか。

「セリフなしで映画を作ることは、自分自身の中に新たなスタイルや“言語”を見つける挑戦を課すということだ。(中略)セリフを発するのは簡単な方法だが、それがない場合、俳優は目や表情を使って感情を伝えなければならない。難しい挑戦だったはずだが、彼らはこの機会を楽しんでいたと思う」

このウー監督の言葉を補完するように“無声”の主人公ブライアンを演じたジョエル・キナマンはこうコメントしています。
「セリフのない役はとても大変だった。主人公がどんな人物なのか説明したり、物語を進めたりするのにセリフはとても重要だ。(中略)でも、舞台での演技経験が役に立ったと思う。舞台では全身で感情を表現することが求められるから」(いずれもパンフレットより)

その一方で、削ぎ落とされた部分も見受けられます。重傷を負ったブライアンが、わずか1年でギャング団を相手にできるような戦闘力を身につけるのは、やはり現実との乖離を感じます。犯罪者集団の情報を入手するのもかなり平易で、状況がブライアンに有利に傾いているのは確かです。

では、そうした部分が作品の面白さを減じているのでしょうか?個人的にはそうは思いません。なによりも平和な日々と家族を1発の銃弾で奪われた主人公の衝動的な活劇は、現実世界では難事だとしても、映像作品としての評価は異なります。およそ、物語という存在は、どこか“浮世離れ”していないと成立は難しいのですから。

次回は「サンダーボルツ*」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。