丸善日本橋で「ノクシカタ刺繍」展、馬上美恵子がバングラ支援

【銀座新聞ニュース=2025年6月4日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は6月4日から10日まで3階ギャラリー特設会場で「フェアトレード・ロシュン2025 平和をつむぐノクシカタ刺繍」を開く。

丸善・日本橋店で6月4日から10日まで開かれる「フェアトレード・ロシュン2025 平和をつむぐノクシカタ刺繍」のフライヤー。

一般社団法人「フェアトレード・ロシュン」(042-396-3063)を主宰する馬上美恵子(まがみ・みえこ)さんは長年、バングラデシュの女性自立支援に取り組んでおり、現地の女性が制作した「ノクシカタ刺繍」の作品を展示販売する。

「ノクシカタ刺繍」はバングラデシュで1000年以上の歴史を持つ刺繍で、手織りの柔らかい木綿布を数枚重ね合わせ、全体に縫い(刺し子)を施した手刺繍という。その手法をバック、インテリアグッズ、ウェアなどに使っている。

福猫屋によると、「ノクシ」はデザイン、「カタ」は布という意味で、ノクシカタは、元々は使い古したサリー(インド文化圏の女性が着る民族衣装)などの布を何層にも重ねて縫い合わせ、刺し子を施して布団カバーや肌がけにして再利用するというリサイクルの技術から生まれた。

ノクシカタの特徴は、さまざまな色でモチーフの刺しゅうを中央、四隅、縁の順で施し、その後に布と同じ色の糸で空いた部分をびっしりと縫い込んでいく点にある。ノクシカタのモチーフには、ベンガル地方の女性を取り巻く世界が使われている。

昔は、サリーなどの糸もノクシカタの刺しゅう糸としてすべて再利用されていたが、現在では、手間がかかるため、糸までは再利用していない。現在でもバングラデシュの家庭では母親が自分の家族のために、ノクシカタを作り、そのノクシカタの伝統的な刺しゅうの技術は、母から娘へと受け継がれている。

1971年のバングラデシュ(旧東パキスタン)の独立後に、貧しい女性の収入向上のための仕事として、ノクシカタの製品作りがNGOによって始まり、今ではバングラデシュのフェアトレードをにとって欠かせないアイテムとなっている。

ウイキペディアによると、バングラデシュ(バングラデシュ人民共和国、People’s Republic of Bangladesh)は、イギリス領インド帝国の一部からパキスタンの飛地領土(東パキスタン)を経て独立した。英国連邦加盟国のひとつである。国名のバングラデシュとはベンガル語で「バングラ」がベンガル(人)を、「デシュ」が国を意味し、合わせて「ベンガル人の国」となる。

元々はインドの一部であったが、インドが1947年にイギリスから独立する際にイスラム教徒とヒンドゥー教徒との対立が深まり、イスラム教徒地域が「パキスタン」として独立した。その際、現在のバングラデシュに当たる地域は「東パキスタン」と呼ばれ、パキスタンの一部であった。しかし、パキスタン本土から1000キロ以上も離れていること、イスラム教以外の文化的結びつきが薄かったことから、分離独立運動がおこり、内戦(1971年のバングラデシュ独立戦争)やインドの介入(第3次印パ戦争)を経て、1971年にパキスタンから独立した。

国内最大の都市は首都のダッカであり、他の主要都市としてチッタゴン、クルナ、ラジシャヒがある。バングラデシュは南アジアにおけるイスラム圏国家の一つである。バングラデシュの人口は1億6630万人(2022年現在)で、都市国家を除くと世界でもっとも人口密度が高い国で、人口は世界第8位。人口の99%がベンガル人で、ベンガル語が公用語で、英語も官公庁や教育機関で使用されており事実上の公用語とされている。また、イスラム教が89.7%、ヒンドゥー教が9.2%。

豊富な水資源から米やジュートの生産に適しており、かつて「黄金のベンガル」と称された豊かな地域であった。ムガル帝国(1526年から1858年)の時代には経済的に一番豊かな州の一つであり、イギリスによる植民地支配期には英領インドでもっとも早く西欧文化の影響を受け、西欧化・近代化の先頭に立っていた地域である。しかし、インフラの未整備や行政の非能率から、現在はアジアの最貧国に属する。2000年の統計では全人口の75%が農村で暮らし、近年は労働力の豊富さや賃金水準の低さにより、諸外国の製造業の進出が著しい。スマホなどは輸出のほか、バングラデシュ国内市場向けにも生産されている。

世界銀行によると、2021年のバングラデシュのGDPは2852億ドル(1ドル=110円換算で約31兆円)であり、国連による基準に基づき、「後発開発途上国」と位置づけられ。2016年時点で人口の24.3%が貧困線以下となっている。海外援助により橋や鉄道などの大規模インフラを整備、安価な労働力を強みに外資誘致を進め縫製業の海外輸出も進み、2011年以降はGDP成長率は概ね6%から8%で推移し、1人当たりGDPは3倍に上昇し、2026年には貧困国に相当する「後発開発途上国」から脱する見通しとなった。一方で、縫製業以外の産業育成が遅れて雇用機会が少なく、高等教育を受けた者の失業率は12%(2022年現在)、15歳から24歳の未就業・未就学者は約4割に達している。

また、多くの井戸が元来地層中に存在したヒ素に高濃度に汚染され、新たな問題となっている。全土の44%、5300万人が発がんを含むヒ素中毒の危険に晒されていると考えられている。

馬上美恵子さんは1956年茨城県水戸市生まれ、1977年に日本農業実践学園生活部(栄養科専攻)を卒業、1978年から「国際農友会」の海外派遣農業研修で1年間、アメリカ・カリフォルニア州で学び、1979年から1980年の1年間、日本農業実践学園経営部(栄養指導員)に勤務、1980年から1982年まで茨城県常北保育園で栄養士として勤務、1983年から1986年まで青年海外協力隊家政隊員としてバングラデシュ農村開発局(Women’s Development Project)に勤務、1983年6月から久家道子(本名・五十嵐道子、1931-2019)とバングラデシュにてノクシカタ刺繍を通して交流、1986年から1988年まで女子栄養大学の足立己幸(みゆき)教授の食生態学研究室研究生として国際栄養学などを学ぶ。

1987年から1997年までバングラデシュと日本の交流を目的として、バングラデシュ料理教室「スタジオロシュン」を主宰、1987年から「フェアトレード ロシュン」を主宰、1990年に「国際ソロプチミスト(Soroptimist International、1921年に設立された女性の国際奉仕団体)水戸」より、バングラデシュ女性の地位向上・経済的支援活動に対して感謝状を授与され、1991年から1996年まで「日本・バングラデシュ文化交流会ロシュン」を設立、運営、1996年12月から2014年までNGO「日本・バングラデシュ文化交流会」を設立、運営(2014年12月に退会)、「ノクシカタ刺繍」により農村女性の経済的自立支援・保健衛生・学校給食普及活動と持続可能な学校給食開発をバングラデシュ政府初等教育省と取り組む。

2004年から現在まで「ノクシカタ刺繍教室」を開講、バングラデシュの「ノクシカタ刺繍」の普及、支援の輪を広げる目的で日本全国にて「ノクシカタ刺繍」体験教室の活動を始める。2005年3月にロシュンが製作するバングラデシュ伝統ノクシカタ刺繍「ラオーデザインストール」で中野区中小企業診断士会会長賞を授与、2015年1月からバングラデシュ農村女性地位向上・経済的自立支援活動として「ロシュン社会貢献活動 (RSCP for Bangladesh)」を推進、2016年1月に一般社団法人「フェアトレード・ロシュン法人」として登録、 2016年9月に第1回日本人製作バングラデシュ ノクシカタ刺繍作品展を開催している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)。