ためなががアイズピリ展、銀座で最後の個展、秋に移転

【銀座新聞ニュース=2025年7月10日】ギャルリーためなが(中央区銀座7-5-4、03-3573-5368)は7月12日から8月17日まで「画商 爲永清司が育てたポール・アイズピリ展」を開く。

ギャルリーためながで7月12日から8月17日まで開かれる「画商 爲永清司が育てたポール・アイズピリ展」に出品される「ポリシネルの祭り・サンマルコ広場」。

ギャルリーためながは1969年3月に銀座で開業し、以来56年にわたって多くの画家の作品を紹介してきた。しかし、この夏限りで閉店し、秋には港区南青山の骨董通り(南青山5丁目交差点から東京都道412号線の高樹町交差点まで)に移転し(新住所・港区南青山6-5-39)、スペースを今の3倍に広げる。このため、画廊の創業者、爲永清司(1932-2025)が60年にわたって交流を続け、育てきたフランスの画家、ポール・アイズピリ(Paul AIZPIRI、1919-2016)の個展を開いて、2人の交流に焦点を当てるとともに、初期から晩年の作品まで約35点を展示する。

また、1971年に開業したパリ店、大阪店、2021年に開業した京都店はそのまま運営を続ける。

ギャルリーためながによると、1969年の開廊当時、日本では印象派の絵画は紹介されているものの、「Ecole de Paris(エコール・ドゥ・パリ)」の作家をはじめ、その次の世代のヨーロッパ絵画は未だ認知されていない時代だったという。

爲永清司はそれらの作家の作品を日本の美術館やコレクターにおさめ、同時に現代の作家を発掘して世に送り出すことを何よりの使命とした。そのなかの一人がポール・アイズピリで、1957年のパリでの出会いから親交を深め、1969年の開廊時には契約作家として開廊後初となる個展を開催した。

1991年に爲永清司はパリのポール・アイズピリのアトリエやゲタリー、ボーヴァロンの別荘も頻繁に訪ね、制作のアドバイスを行うなど親交を深めた。

画廊では全店舗で60回以上の個展、3000点以上の作品を国内外に紹介した。「頻繁にアイズピリのアトリエを訪れた爲永清司の導きで作風は豊かに広がり続け、1980年代には濃密な色彩と単純で力強い形象に満ちた画風を確立」した。また、「2000年代の晩年には画面は明るさと軽やかさを増し、人物や自転車が宙を舞う、自由な遊び心に満ち満ちた様式をも開花」した。画廊では「現在アイズピリが得ている世界的な評価は二人の絆の証」としている。

ウイキペディアなどによると、ポール・アイズピリは1919年パリ生まれ、父親がバスク人の彫刻家で、母親はイタリア人、幼少期より絵を描き始め、パリの家具職人を育成する象嵌学校(Ecole Boulle)で学んだ後、1936年にパリ国立高等美術学校に入学し、フェルナン・サバテ(Jerome Guillaume Fernand Sabatte、1874-1940)の工房で学び、1939年に徴兵され、ドイツ軍の捕虜となるも脱走し、1945年にフランス解放後、1946年に「青年絵画展」創立会員で3等賞、サロン・ドートンヌに出展し、新具象主義の作家のひとりとみなされる。

1951年に「若い絵画の展覧会(Salon de la Jeune Peinture、サロン・ド・ラ・ジューヌ・ペインチュール)」に出品し、プリ・ナショナル賞を受賞、1959年ころに陶芸とリトグラフを始め、リトグラフでも人気を得て、シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」などの本の挿絵も作成した。1963年に「国際形象展」に出品、1971年にトゥールでジュマイ賞を受賞、1973年に日本で個展を開催、1980年にフランスで1年間にわたり風景展を開き、1990年に「Espace Pierre Cardin(エスパース・ピエール・カルダン)」(1971年にピエール・カルダン=Pierre Cardin、1922-2020=がパリに作ったホール)で大回顧展を開き、2016年に老衰により死去した。

7月12日16時から18時までオープニングレセプションを開く。

開場時間は11時から19時(日曜日、祝日は17時)。