丸善日本橋で副島泰嗣・微美子「白磁」展、来場も

【銀座新聞ニュース=2025年7月19日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月23日から29日まで3階ギャラリーで副島泰嗣さんと副島微美子さん夫婦による「白磁展 静かなる風 白く涼やかに」を開く。

丸善・日本橋店で7月23日から29日まで開かれる人間国宝の井上萬二さんの弟子、副島泰嗣さんと副島微美子さん夫婦の「白磁展」に出品される作品。

磁器工房「静風舎」(相模原市藤野町名倉2760-3、0426-87-5235)を主宰し、「白磁」の重要無形文化財保持者(人間国宝)の井上萬二さん(1929年生まれ)に師事した副島泰嗣(そえじま・やすつぐ)さんと夫人の副島微美子(そえじま・みみこ)さんが染め付けを抑え、透明感のある「白磁」の作品を展示販売する。

丸善では「和にも洋にも合う、空間に溶け込むシンプルな白磁は普段使いからおもてなしまで幅広く活躍」するとしている。

ウイキペディアによると、「白磁」とは、白素地に無色の釉薬(ゆうやく)をかけた磁器の総称で、ケイ酸とアルミニウムを主成分とする白色の粘土の素地に、鉄分のない植物灰と高陵石(こうりょうせき、カオリナイト)から精製された透明釉薬を掛け、1350度以上の高温の還元炎で焼き上げて作る磁器の一種。

起源は560年から570年代の北斉(ほくせい、南北朝時代の550年から577年に存在した)に遡るといわれ、青磁の製造技術の完成と共に発展し、北宋(ほくそう、960年から1127年)時代の定窯で、白磁の名品が多く作られるようになった。

1000年ごろ、景徳鎮(けいとくちん、江西省東北部に位置する)にて微量の鉄分を含む釉薬で焼く、青白磁(せいはくじ、影青)が盛んに作られ、東アフリカまで輸出されるようになる。元代(1271年から1368年まで存在したモンゴル人の征服王朝)後半になると、景徳鎮窯では青の染付をあしらった、青花(せいか)の製造がはじまるが、下地は白磁である。

清代(1616年に満州において建国され、1644年から1912年まで、中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝)に入ると、景徳鎮だけでなく各地の窯で白磁の量産が行われ、一般の日用品として広く普及した。

日本に伝来したのは、16世紀ごろといわれ、文禄・慶長の役(1592年から1598年まで)に際し、朝鮮半島から来た陶工によってもたらされたという定説になっているが、それ以前に各地の窯業地で粗製の白磁の生産が試みられている。1616年ごろ肥前国有田の泉山で、白磁に適した地層が見つかり、李参平(り・さんぺい、生年不詳-1655)によって、白磁が製造され定着した。

当時、白磁の技術は、染付の素地として利用されるようになった。幕末の文化・文政年間(1804年から1830年)ころには、白磁や青花は日用品として普及し、明治に入って、京都の3代目、清風与平(せいふう・よへい、1851-1914)が白磁の美を追求してひとつの分野を開拓した。

副島泰嗣さんは1954年佐賀県生まれ、1974年から1976年に佐賀県立窯業試験場ろくろ本科研修生、1976年から1983年に井上萬二さんに師事し、1983年に独立して、東京都小平市に築窯、1989年に神奈川県藤野町に移り、磁器工房「静風舎」を設立している。

副島微美子さんは1955年東京都生まれ、1973年に田中一晃(1933-2002)に師事し、1975年から1979年に窯業試験場ろくろ本科研修生、1979年に有田市で「潯陽窯」で制作し、1983年に副島泰嗣さんとともに独立した。

会期中、毎日、10時から18時(最終日は15時)まで副島泰嗣さんと副島微美子さんが来場する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。