【銀座新聞ニュース=2025年9月9日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は9月10日から16日まで「第7回現代加賀九谷焼作家展」を開く。
また、日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)も9月10日から16日まで本館5階の「和食器/クリエーターズテーブル」(03-3274-8935)で「現代加賀九谷焼作家展」を開く。
丸善ジュンク堂書店と日本橋三越、現代加賀九谷焼実行委員会(加賀九谷陶磁器協同組合、九谷焼伝統工芸士会)が共催するイベントで、日本の色絵陶磁の代表的な「九谷焼(くたにやき)」は江戸時代前期、九谷村(現石川県加賀市)で生まれ、360年を超える歴史と、現代に続くさまざまな絵付け様式がある。
今回は丸善・日本橋店と日本橋三越で、次世代を担う若手作家たちの多彩な作品と、揺るぎない重鎮の作品を幅広く展示販売する。また、丸善・日本橋店では北陸新幹線「加賀温泉駅」の駅舎に設置されている、九谷焼大皿の実物大タペストリーを特別展示する。
一方、日本橋三越では青泉窯(せいせんがま)の再生プロジェクトとして、「型打ち技法」によって制作された新作を展示販売するとともに、受注も受け付ける。受注した白磁の作品は納期が約3カ月、白磁に絵付けした作品は納期が約6カ月になる。
丸善・日本橋店側の出品者は加賀九谷理事長で、同連合会副理事長、九谷焼伝統工芸士会会長の山本篤さん、2019年に創造美術展で最高賞、大賞を受賞している日本伝統工芸士の福田良則さん、山本篤さんの兄で、加賀九谷陶磁器協同組合理事長、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会副理事長の山本長左さん、九谷焼伝統工芸士の宮本直樹さん、2020年に第22回日本伝統工芸士会作品展で大船渡市長賞を受賞した、九谷焼伝統工芸士の堀江祐夫子(ゆうこ)さん。
九谷焼伝統工芸士の三浦晃禎(てるただ)さん、日展評議員、2009年、2010年に伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞し、小松美術作家協会理事長の3代浅蔵五十吉さんの長女で、九谷焼伝統工芸士の浅蔵一華(かずか)さん、九谷焼伝統工芸士の宮越(宮腰)徳二さん、石川県水墨画協会理事長で、九谷焼伝統工芸士の佐藤剛志さん、日本陶芸美術協会会員、九谷焼伝統工芸士の石冨俊二郎さん。
赤絵細描作家で伝統工芸士、福島武山(ぶざん、1944年生まれ)さんの娘の福島礼子さん、手描きの「花詰技法」に魅せられた若手九谷焼作家の鈴木朋子さん。また、蒔絵の伝統工芸士で山中塗の針谷絹代さんが特別出展する。
日本橋三越の出品者は九谷焼伝統工芸士名工の山本芳岳(ほうがく)さん、2017年に第40回伝統九谷焼工芸展で保存会技術賞を受賞した北出太郎さん、九谷焼伝統工芸士の三ツ井達也さん、山本篤さんの子息で九谷焼伝統工芸士の山本高寛さん、九谷焼伝統工芸士の前田昇吾さん。
山本芳岳さんの次男で2016年に第39回伝統九谷焼工芸展で奨励賞、2017年に石川県伝統産業技術奨励賞を受賞している山本浩二さん、山本芳岳さんの3男で2015年に第38回伝統九谷焼工芸展で保存会技術賞、2018年に石川県伝統産業技術奨励賞を受賞している山本秀平さん、九谷焼伝統工芸士の林美佳里さんの8人。
会期中、丸善・日本橋店には山本篤さんが、日本橋三越には山本高寛さんが在廊する。、
ウイキペディアなどによると、九谷焼は石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器で、大聖寺藩領の九谷村(現石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、加賀藩の命により、藩士の後藤才次郎(1634-1704)を佐賀・有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年ころ)、藩の殖産政策として、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりとされる。
しかし、約50年後(18世紀初頭頃)突然、廃窯となり、窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあり、1号窯、2号窯と呼ばれる2つの連房式登窯と、19世紀に再興された吉田屋窯の跡が残っており、この間に焼かれたものは、現在「古九谷(こくたに)」と呼ばれている。
古九谷の廃窯から、約1世紀後の1807(文化4)年に加賀藩が京都から青木木米(1767-1833)を招き、金沢の春日山(現金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。
同じ頃、能美郡の花坂山(現小松市八幡)で、新たな陶石が発見され、今日まで主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、1819(文政2)年に磁器を、1820(文政3)年に陶器を、それぞれ移入禁止にした。
1832(天保3)年ころに小野窯に陶匠として招かれる、寺井村(現能美市寺井町)生まれの九谷庄三(1816-1883)は能登の火打谷(現志賀町)で、「能登呉須」と呼ばれる顔料を発見し、後の九谷焼に多大な影響を与え、1840(天保11)年ころに故郷に戻り、寺井窯を開いた。ヨーロッパから入った顔料を早い時期から取り入れ、彩色金欄手(さいしょくきんらんで)を確立し、「庄三風」と呼ばれる画風は後にヨーロッパに輸出される九谷焼の大半に取り入れられることになる。
明治時代に入り、九谷焼は主要な輸出品となり、1873(明治6)年のオーストリア・ウィーン万国博覧会などの博覧会に出品されると同時にヨーロッパの技法も入り込んだ。1872(明治5)年ころから型押しの技術が九谷焼にも取り入れられ、1892(明治25)年ころから、獅子を始めとする置物の制作が盛んとなり、大正時代になると型が石膏で作られるようになり量産化が進んだ。
また、明治維新による失業士族の授産施設として1872年に誕生した金沢区方開拓所製陶部は、砂子吉平(生没年不詳)、初代諏訪蘇山(1851-1922)らの参加を得て成果を上げ、1876(明治9)年には「石川県勧業場」と名を改めた。1887(明治20)年に金沢工業学校(現石川県立工業高校)が開校し、次代の陶芸家が育成されるようになった。
現在、九谷焼は陶器と磁器があり、上絵付けを九谷でしたものを「九谷焼」と呼んでいる。陶器は原料が陶土(粘土)で、温かみがあり、全体に厚くぽってりした感じで、指ではじくと、鈍い音がする。一方の磁器は原料が陶石(石の一種)で、白く堅い感じがあり、薄くて軽くて丈夫で、指ではじくと「チン」と金属質の音がする。
また、茶わんの「わん」の漢字は「苑」の「草かんむり」のない字と「皿」を合わせる、「石」と「宛」を合わせる、「土」と「宛」を合わせる、「木」と「宛」を合わせる4種類があり、「皿」を合わせた「わん」は基本的にフタがない茶碗をさし(後世にはフタ付もある)、「抹茶わん」などに使われている。「石」の茶わんはフタ付の磁器、「土」の茶わんは素焼きでフタ付の器、「木」は木製のフタ付の漆器をさしている。
加賀九谷陶磁器協同組合によると、「青泉窯」は1868(明治元)年に加賀市栄谷町に初代北出宇与門(うよもん、1855-1928)が興した「北出窯」で、その後、北出塔次郎(とうじろう、1898-1968)、北出不二雄(ふじお、1919-2014)らを輩出したが、2014年の不二雄の死後、休止状態にあった。しかし、2017年に加賀九谷陶磁器協同組合や地元有志により現代における加賀九谷焼文化の発信基地として再生プロジェクトがスタートした。
青泉窯の施設(登り窯、ろくろ室、絵付け室)や、150年の歴史の中で蓄積された100数点にのぼる「型打ち技法の型」を活用し、技術の継承を図るとともに、若手人材育成の場とし、新しい九谷焼の発信基地として再活用するプロジェクトという。
「AIによる概要」では「型打ち技法」とは、陶芸においてロクロで成形した素地を型に被せて叩き、型の形や文様を写し取る成形方法のことで、組食器のような一揃いのうつわを作る際に用いられ、磁器の製造が始まった17世紀初期から行われてきた。
丸善の開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)。日本橋三越は10時から19時。いずれも入場は無料。また、会期中にスタンプラリーを開き、両会場のスタンプを2つ集めると、先着300人に「九谷焼オリジナルファイル」をプレゼントする。丸善は会場受付でもらえる。三越は本館5階のクリエーターズテーブルでもらえる。
