伊勢神宮を参拝、天照大御神を実感した神秘体験(178)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2026年4月24日】4月2日、兼ねてより参拝を希望していた伊勢神宮(詳細は末尾参照)に日帰りで出かけた。

近鉄名古屋駅から1時間44分で、伊勢神宮の外宮に徒歩で行ける宇治山田駅に着く。その手前の伊勢駅で降りる人も多いが、レトロな宇治山田駅は一見の価値があるので、こちらで下車をおすすめしたい。

「日本人の心のふるさと」と称される2000年以上の歴史を誇る由緒ある古社で、天照大御神(内宮)と、豊受大御神(とようけのおおみかみ、外宮)が祀られている。

まずは早朝7時30分の高速バスで名古屋に向かい(11時19分着)、近鉄名古屋駅から伊勢神宮の外宮(げぐう)へ徒歩で行ける最寄り駅まで行った。2時間弱の14時前に到着した宇治山田駅はレトロな趣きでよかった。

歩いて10分程で、伊勢神宮の外宮に到着。赤や青のカラフルな幡のひしめく入口から広い境内に入り、木の鳥居をくぐって、すくと伸びる杉の大木などの鬱蒼と茂る杜を両脇に参道を進み、奥の拝殿へ。

中の敷地はさして広くなく、白い垂れ幕がかかる正面に参拝者が何人か祈祷の順を待って並んでいた。折柄、風で白い布がふわりとめくれ、中が覗けた。私は名高いお社のあまりの質素さに少し拍子抜けし、これがかの有名なお伊勢様?と、半信半疑のまま、とりあえずご縁がありますようにと、5円玉の賽銭を投じて、儀礼通り、2礼2拍手1礼の祈祷を捧げた。

質素な木造の外観が、弥生時代(前8世紀ころから3世紀ころまで)の高床式穀倉庫が起源とは、その時点では知る由もなかった(末尾の注2参照)。無知な私は、衣食の守護神である豊受大御神が祀られた外宮だからかもと思い、天照大御神が祀られた内宮ならもっと立派かもしれないと思った。

参拝順のしきたりに従って、まず外宮から。古びた木の鳥居から、衣食の守り神、豊受大御神が祀られた茅葺き(かやぶき)屋根が苔むす質素な神殿が覗く。

ただ、垂れ幕が翻り、中が覗いたことに、神様が歓迎してくださっているような気がして、見えないものの存在を感じた。型通り最初に外宮のお参りを済ませたあと、市バス(540円)で内宮へと向かった。外宮より広大な敷地の奥まったところに、予想を裏切るように、外宮で見たのとそっくりの拝殿が配されていた。

しかし、白い垂れ幕が風にめくれ、中が露わになったとき、天照大御神様が同様に歓迎なさってくれているような気がして、恐れおののいた。「岩戸伝説」をふっと思い出す。日本神話古来の輝かしい日の女神様の圧倒的な存在感、目を開けていられないほどまばゆい光輝にひれ伏す思いだった。

見えないパワーに打ちのめされ、これまで数え切れず寺社巡りをしながら、ここまで敬虔な気持ちになったのは初めてのことで、感慨に打たれた。どの神社とも違う、やはりお伊勢様、さすがお伊勢様だけのことはあると、最初にちゃちぃと思った不敬を厳かにお詫びして、不思議な霊的体験に強烈なインパクトを受けていた。

初印象はあまりの質素さに拍子抜けしたのが、辞する頃には、一生に一度あるかないかの貴重な参拝体験と、畏怖のあまり高揚感が湧き上がってきた。

ふらふらした足取りで、門前町のおかげ横丁、両脇に小綺麗な土産物屋や飲食店が立ち並ぶ通りを歩いていく。瓦屋根に板壁、格子戸の風情ある町家が軒を並べる中を、赤福(300年以上の歴史を誇る伊勢名物の餅菓子)や干物、エビ、牡蠣(カキ)の焼き物を売る店頭を冷やかしながら巡るうちに、中程で折れた先が川辺になっていたので、曲がってみた。

外宮からは市バスで内宮へ。天照大御神か祀られた穀倉庫を模した神殿には、白い垂れ幕がかかり、参拝順を待つ善男善女を歓迎するように、白布が風でめくれ、中が露わになり、神秘体験を感知した私は畏怖の戦慄を覚えた。

清らかなせせらぎの五十鈴川(いすずがわ)が穏やかに美しく流れていた。透明な清流には橋がかかり、渡ると、袂から川辺に石段か降りていて、小石の敷き詰められた川原に出でみた。

白っぽい石の川原では、旅行者が三々五々群れて、子供達が水辺で戯れていた。岸辺を彩る桜並木が麗しい。改めて、伊勢の風光明媚さに感激し、神様がこの地を選ばれた理由に納得した。彼方に見える山のみならず、伊勢志摩方面まで足を伸ばせば、美しい海もある。1泊して、海を見て帰るべきだったと、ちょっと後悔した。

おかげ横丁を突き抜けて、大通りに出、途中で人に聞きながら、30分ほどで五十鈴川駅に着いて、そこから近鉄名古屋駅に戻った。20時近くになっていたが、名古屋城の夜桜を見ようと、地下鉄で出かけた。が、名古屋城駅から出てすぐの通りに連なる提灯の灯に赤っぽく浮かび上がる桜の大木は既に、散りかけていた。まだ神秘体験が尾を引く中、ふらふらと界隈を巡ったが、ライトアップは大したことなく、30分くらいで引き上げた。

帰りのバス停を探すのに手間取ったが、駅構内の親切なパン屋の店員に道案内してもらい、何とかたどり着いた。五十鈴川駅への行き方を訊いた男性も懇切丁寧に道を教えてくれたものだが、この若い女店員も、仕事中にもかかわらず、スマホでチェックしながら付き添い案内してくれ、お伊勢様のご利益か、天使のような2人に助けられ、本当にありがたかった。

時々旅先には天使紛いの助っ人が現れるのだが、私自身も道を訊かれたときは、このようでありたい、天使のように親切にして差し上げたいと、改めて肝に銘じた。人間ができてない私はついぶっきらぼうになってしまうが、他者への親切とは、こういう無心の献身的奉仕を言うと、我が身を戒めた。伊勢で舞い降りたエンジェル2羽には感謝感謝であった。

内宮を出て、門前町のおかげ横丁へ。両脇に並ぶ風情ある佇(たたず)まいの土産物屋や飲食店を物色するのが楽しい。

バスは23時55分発なので、近くにあったサイゼリヤで遅い夕食を取りがてら、時間をつぶし、発車15分前に教えてもらった専用バス停へ。予想外に素晴らしかったお伊勢参りの感動を胸に、最後部の狭い席に収まった。

バスは「VIPライナー」とは名ばかりの、行きの西日本JRバス(金沢から名古屋まで4200円)のレッグスペースもゆったりある快適さとは、比べ物にならない(4300円と夜行にしては安いので仕方ない)。しかし、伊勢参りの感動が私を救ってくれた。冷めやらぬ体験を胸に、目を閉じた。夢見心地で眠れなかったが、満たされた胸は暖かかった。

※注(ウィキペディアより)
1.伊勢神宮(三重県伊勢市宇治館町1、0596-24-1111)は、日本の三重県伊勢市にある神社で、正式名称は「神宮」(じんぐう)。他の神宮と区別するために、「伊勢」の地名を冠し伊勢神宮と通称される。

「伊勢の神宮」、または親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。古来、最高の特別格の宮とされ、現在は神社本庁の本宗(ほんそう、すべての神社の上に立つ神社)であり、「日本国民の総氏神」とされる。

律令国家体制(7世紀後期の飛鳥時代後期から10世紀頃まで)における神祇体系のうちで最高位を占め、平安時代(794年から1185年)には22社の中のさらに上7社の1社となった。また、神階(日本において神道の神に授けられた位階)が授与されたことのない神社の1つ。明治時代(1868年から1921年まで)から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

2.伊勢神宮には天照坐皇大御神(あまてらしますすめ・おおみかみ、天照大御神)を祀る皇大神宮(こうたい・じんぐう)と、衣食住の守り神である豊受大御神(とようけの・おおみかみ)を祀る豊受大神宮の2つの正宮(しょうぐう)があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。

おかげ横丁の中程で右手に折れると、五十鈴川に出る。渡りきった橋の袂から石段を降りると、小石の敷き詰められた川原が。対岸には桜も見え、のどかに子どもたちが戯れていた。

広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。

他の多くの神社は瓦屋根や朱塗りの建物に変わっていったが、伊勢神宮は神明造(しんめいつくり)という古代の建築様式を受け継いでいる。これは弥生時代の高床倉庫が起源で、神へのお供え物をする特別な建物だったといわれている。また、式年遷宮が20年に1度行われる。

なお、外宮から内宮までの参拝に要する時間は、2、3時間見ておけばいい。開宮時間(参拝時間)は5時から18時だが、5月から8月は19時まで。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している)。