【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2026年6月23日】前回の第1回では雨の中、高松から小豆島へ渡り、二十四の瞳映画村を見学したところまで述べた(4月15日付、https://ginzanews.net/?page_id=76119)。今回の第2回は、徳島・高知編である。
高松(片原町の「ザ・セレクトン高松」)での1泊後、翌4月16日、高松駅発6時41分の普通列車で徳島駅に向かった。所要時間は2時間30分(1640円)。高速バスの第1停留地は徳島だったので、戻ることになるが、泊まる予定はなく、弾丸ツアーの後、高知に飛び、1泊する予定でいた。
徳島駅に着いて、すぐに電車で鳴門駅に向かった(JR高徳線で39分430円)。かの有名な鳴門の渦潮を見るためだ。しかし、バスの本数が少なく、待ち時間が長い上、戻って来れないことがわかり、断念せざるを得なかった。何のためにここまで来たのか(往復860円の浪費)、何もめぼしい見所はない駅周辺を巡って、徳島駅にトンボ帰り。
観光案内所で、高知行きの高速バスのチケット売り場と、駅周辺の見所を訊いて地図をもらい、15時45分発のチケット(高知のはりまや橋まで2500円で約3時間)を買った後、街中に繰り出した。
昨朝、バスの車窓からちらりと見た感じでは昭和レトロな雰囲気のように思えたが、歩いてみると、中央分離帯に丈の高いココ椰子が並んで植えられ、洒落た街並みだった。高松駅より栄えているように感じられるのは、阿波踊りの高名で観光客が落とす金のせいだろうか。街も高松より大きく、大通りは広々として、モダンで瀟洒(しょうしゃ)な造りなので、歩いているだけで楽しい。
ずんずん進んで、中途で阿波踊り像が橋(両国橋)の袂の柱の上に立つ川(新町川)のほとりが、公園(親水公園)として整備されていたので、散策、オブジェもあり、小船も停泊した美しいエリアで、楽しかった。
大通りに戻り、突き当たりまで行くと、「阿波踊り会館」(徳島県徳島市新町橋2-20、088-611-1611)があった。脇が神社になっていて、石段をあがって「徳島眉山天神社(びざんてん・じんじゃ)」(徳島県徳島市眉山町天神山1)にお参りしたあと、会館に入り、展示や土産物を見た(有料のミュージアムや本場の阿波踊りを楽しめる実演ホールもあり)。
徳島市街を一望できる眉山の頂上までロープウェイが通っているようだったが(5階があわぎん眉山ロープウェイ乗り場で往復1500円)、パスし、缶コーヒーを飲んで休憩したあと、駅に戻った。2時間30分の周遊だったが、鳴門の渦潮を見れなかった落胆の埋め合わせのいくらかはできた思いだった。徳島は、一泊してもよかったかなと思うほど、私の気に入りの街のひとつとなった。
高知に着いたのは夕刻、駅ではなく、終点のはりまや橋で降りて、はりまや商店街の中にあるその名もズバリ、「はりまや橋ゲストハウス」(高知県高知市はりまや町1-6-11、070-4032-6308)まで、道を訊きながら歩いていく。商店街に入り、途中で道端に座っていた女性2人に改めて尋ねると、スマホでチェックしてくれ、そこから5分ほどの路地を折れた奥にある現地まで案内してくれた。
2階に細い階段が伸びていて、上がったところらしい。鍵の暗証番号がメールに届いていたので、教わった通り、ガチャガチャやっていたら、中の人にドアを開けてもらえた。狭いリビングにテーブルが置かれ、若い女性が2人座っていて、宿の人かと問うと、旅行者だった。
メールで既に通知されたように、オーナーやスタッフの姿はなく、すべてセルフサービス、宿代(3090円)も、ポストボックスに部屋番号と名前を書いた紙と現金入り封筒を差し込む方式だ。
客には外国人もいるだろうから、踏み倒されないかと心配になるが、高知ではこの方式が珍しくないようで、おおらかというか不用心というか、インド暮らしが長いせいで、常に警戒を怠らない私には、たまげたことだった。日本の安全神話か、たしかにここでは忘れ物をしても大抵返ってくるし、支払い金を置いていくだけの無人販売所も見かける。ちょろまかされる懸念は滅多にないのだろう。
奥の畳敷きの小部屋(共有スペース)を過ぎて、さらに奥に2段ベッドが所狭しと3台並び、柱の上に張り出された紙をチェックして、2台目の下のベッドが私のものとわかった。それにしても、ゲストハウスには何度も泊まったが、係が無人で全部旅行者任せというのは初めてで、面食らう。ほかのメンバーも戸惑っているようだった。
近くのコンビニを教えてもらい、夕食と明日のパンを買いに行く。そぼろ弁当を買って帰り、テーブルで広げて食べていると、向かいの30代くらいの女性が声をかけてきた。大阪から来たという彼女は、若いのになんと四国88カ所霊場巡り(弘法大師=空海、774-835=ゆかりの霊場=札所巡りで歩きの全行程は約1200キロ)の最中で、13日で34カ所も周ったと言う。1日20キロの超ハードな行軍ゆえ、足が痛い痛いとこぼしていた。
1日20キロも歩くなんて、すごいと恐れ入った。健脚の私だってせいぜい10キロがいいところで、3、4時間も歩き続ければぐったりである。88カ所霊場参りは職場の先輩に勧められたとかで、お餞別に10万円ももらったそうな。そんなにもらったら、行かねばと出てきたらしいが、
「10万じゃ、全然足らんわ」
と、ブツクサ。一番問題なのは宿だとか。
コロナ前は、寺院か宿泊所代わりで部屋を提供してくれたそうだが、今はほとんどが泊めてくれず、宿を探すのが大変らしい。これからゴールデンウィークに入るし、そうなればますます混雑して高騰かつ取れそうもないので、一旦大阪に帰って出直そうかと考えていると言った。
彼女に比べると、私はなんとお気楽な旅なのだろうと、申し訳なく思った。楽しみのための観光旅行だから、そこそこ快適なビジネスホテルにも泊まるし、観光ノルマはあっても、あくまでシニアの足が許す限り、疲れたら、コーヒーチェーンで何時間も休憩だってする。ふと、旅のための旅でなく、私もなにか目的を持った方がいいのかなと考え込まされた。
そのうち、長身の若い外国人男性が現れて、自炊を始めた。オーストラリア出身でカタコトながらも日本語はそこそこ話せる。お国の大学で日本語専攻だったらしい。ワーキング・ホリデービザで、折々働きながら旅を楽しんでいるという。ここに至って、私ははりまや橋ゲストハウスが男女混合であることを知ったわけだが、いつも女性専用しか泊まらないだけに、唖然とした。が、まったく問題はなかった。オーナー、スタッフがいないので、旅行者同士の結束は自然固くなる。
宿はお世辞にもいいとは言えなかったが、若いお遍路さんと知り合え、話を聞けたことが楽しかった。ゲストハウスだと、時たまこのような交流があるので、楽しい。彼女は痛む足をそろりそろりと引きずりながら、シャワー室へ。私は昨夜、高松のビジネスホテルのユニットバスで丹念に体を洗ったので、今夜はパス。いつもドミトリーに泊まる前夜は、バスの入り溜めをしておくのである。
明日は高知観光だ。夕刻には、岡山に向かう予定。今回の四国周遊には、愛媛は入っていない。過去に少ししか見れなかった倉敷の美観地区を改めて観光して1泊後の、翌々日は明石から淡路島に寄って、大阪より夜行バスで帰沢の予定を立てていた。
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。



