【銀座新聞ニュース=2026年8月5日】総合商社の売上高で5位の丸紅(千代田区大手町1-4-2、03-3282-2111)が運営する丸紅ギャラリー(同上、丸紅ビル3階)は8月6日から9月30日まで「日伊修好通商条約締結160周年&シモネッタ歿後550年記念特別展ーイタリアと日本の文芸作品に描かれた美しきシモネッタ」を開く。
日本が1854(嘉永7)年にアメリカと「日米和親条約」を締結したことにより開国し、イタリア統一運動(1815年から1871年)によって1861年にイタリア王国が成立すると、日本とイタリアの外交関係は本格的に開始され、1866年8月に「日伊修好通商条約」が締結された。それから160年になる。
また、初期ルネサンスでもっとも業績を残したフィレンツェ派の代表的画家、サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli、1445-1510)のテンペラ画で、ジュリアーノ・デ・メディチ(Giuliano de’Medici、1453-1478)の愛人とされたシモネッタ・ヴェスプッチ(Simonetta Cattaneo Vespucci、1453-1476、22歳で肺結核で死亡)を描いた「美しきシモネッタ」(15世紀後半)を公開する。この作品は丸紅が所蔵する日本で唯一の真作とされている。
ウイキペディアによると、テンペラ画は顔料と乳化作用のある物質(主に卵黄)を混ぜて描くヨーロッパの古典絵画技法で、最大の特徴は乾燥の早さと経年劣化の少なさという。
シモネッタ・ヴェスプッチの作品は1475年4月にフィレンチェのサンタ・クローチェ広場で行われたジオストラ(騎芸協議会)で、ジュリアーノ・デ・メディチは騎士がその名誉のために戦う、イナモラータ(「愛人」)にシモネッタ・ヴェスブッチを選び、サンドロ・ボッティチェッリが彼女をモデルに描いた女神の旗印を掲げて入場したとされている。
さらに、イタリアのルネサンス期の詩人、ポリツィアーノ(Angelo Poliziano、1454-1494)による未完の長編詩「騎馬槍試合のための詩(スタンツェ)」(Stanze per la giostra di Giuliano de’Medici、ジュリアーノ・デ・メディチをたたえる詩として1475年から書かれたが、1478年にジュリアーノがパッツィ家の陰謀により暗殺されて中断したまま未完となった)と、日本の小説家、辻邦生(くにお、1925-1999)による「春の戴冠」というシモネッタ・ヴェスプッチが登場する両国の文芸作品、サンドロ・ボッティチェリの傑作「プリマヴェーラ(春)」(Primavera、1482年頃)に焦点を当て、それらの作品に描きこまれた思想を探るとしている。
辻邦夫の「春の戴冠」は1972年1月号から1976年10月号まで月刊誌「新潮」に連載され、1977年に新潮社から単行本化されている。
シモネッタ・ヴェスプッチは1453年イタリア生まれだが、出生地については諸説あり、ポルトヴェーネレやジェノヴァが挙がっている。15歳でフィレンツェの銀行家、マルコ・ヴェスプッチ(Marco Vespucci、1452-1512、探検家のアメリゴ・ヴェスプッチ=Amerigo Vespucci、1454-1512=の遠縁にあたる)と結婚した。
1475年4月にフィレンチェのサンタ・クローチェ広場で行われたジオストラ(騎芸協議会)で、ジュリアーノ・デ・メディチは騎士がその名誉のために戦う、イナモラータ(「愛人」)にシモネッタ・ヴェスプッチを選び、サンドロ・ボッティチェッリが彼女をモデルに描いた女神の旗印を掲げて入場した。旗印をサンドロ・ボッティチェッリに描かせるよう助言したのは夫のマルコ・ヴェスプッチであったという。
ヴェスプッチ家を通してサンドロ・ボッティチェッリに見いだされ、彼女を描くために多くの画家たちがフィレンツェにやってきた。2人が出会ってわずか1年後に、シモネッタ・ヴェスプッチは肺結核で死んだ。サンドロ・ボッティチェッリが「ヴィーナスの誕生」を完成させたのは、それから9年後のことであった。
サンドロ・ボッティチェリは1445年イタリア・フィレンツェ生まれ、「ボッティチェッリ」は兄が太っていたことから付いた「小さな樽」という意味のあだ名という。画家のフィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi、1406頃-1469)の元(1464年から1467年まで)で学び、メディチ家の保護を受け、宗教画、神話画などの傑作を残した。
1492年、メディチ家当主、ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de’Medici、1449-1492)の死後、ドメニコ会の修道士サヴォナローラ((Girolamo Savonarola、1452-1498)がフィレンツェの腐敗を批判し、市政への影響力を強めた。そのためサンドロ・ボッティチェッリも神秘主義的な宗教画を描くようになった。ボッティチェッリはサヴォナローラの反対派からの画の注文も受けており、この事実は自由な立場にいたことを示しているが、この時期以降の作品は精彩を欠くとして評価は高くない。1501年頃に制作を止めた。
サンドロ・ボッティチェッリはギリシャ文化に純粋に傾倒したと見られ、「春」や「ヴィーナスの誕生」を描いた。その後400年にわたり忘れ去られ、受け入れられるようになったのは19世紀末で、それまではあまり知られることはなかった。19世紀、イギリスのラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood、ヴィクトリア朝のイギリスで、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ=Dante Gabriel Rossetti、1828-1882=を中心とした若い芸術家によって1848年に結成された美術家集団)に注目されたことから名声が広まったという経緯がある。
「プリマヴェーラ」(1477年から1478年頃)と「ヴィーナス(ウェヌス)の誕生」(1485年頃)はサンドロ・ボッティチェッリの代表的な作品で、異教的、官能的なテーマの絵画であり、フィレンツェ・ルネサンスの最盛期を告げるものとされている。とくに「プリマヴェーラ」は、近年の修復の結果、オリジナルの華麗な色彩がよみがえり、従来、煤(すす)に覆われてはっきり見えなかった多くの草花が、ヴィーナス(ウェヌス)の立つ地面に描き込まれているのが見えるようになった。研究者によると、これらの草花のほとんどは、今でもトスカーナ地方に自生しているという。
丸紅ギャラリーは丸紅が創業年の1858年から現在まで続く繊維に関わるビジネスを通じて蒐集(しゅうしゅう)、保全してきた江戸期を中心とする古い時代の染織品(着物、能装束、裂など)や染織図案、1960年から1970年代にアートビジネスに携わる中で入手したヨーロッパの絵画、染織図案の接点などから画家本人や画商を通じて蒐集された近代日本絵画を「丸紅コレクション」としている。2021年に開館した丸紅ギャラリーでは、「古今東西の美が共鳴する空間」をコンセプトとして、丸紅コレクションを中心にさまざまなテーマで展覧会を行っている。
開館時間は10時から17時。入場料は500円。日曜日・祝日は休み。
