【ケイシーの映画冗報=2026年7月16日】「THE ORIGIN OF ULTRAMAN(ジ・オリジン・オブ・ウルトラマン)」です。1966年7月、「空想特撮シリーズ」としてテレビドラマ「ウルトラマン」がスタートしました。以来60年、そのキャラクターと世界観は、文字どおり世界のエンタテインメントに影響を与えており、多彩なクリエイターの証言と、過去のライブラリーから掘り下げ、「ウルトラマンとはなにか」を探っていくのです。
映画「万引き家族」(2018年)でカンヌ映画祭のパルム・ドール(最高)賞、「怪物」(2023年)でもカンヌのクィア・パルム(性的少数者を扱った作品)賞を受けている映画監督の是枝裕和(これえだ・ひろかず、1962年生まれ)が、2017年のアメリカ、アカデミー賞の作品賞、監督賞に輝いた「シェイプ・オブ・ウォーター」(The Shape of Water)のギレルモ・デル・トロ(Guillermo del Toro、1964年生まれ)監督をアメリカにたずね、歓談するところからはじまります。
さらに、映画監督のニコラス・ウィンディング・レフン(NicolasWinding Refn、1970年生まれ)、アニメや映画監督の庵野秀明(あんの・ひであき、1960年生まれ)やゲーム・クリエイターの小島秀夫(こじま・ひでお、1963年生まれ)といった各界を代表するクリエイターたちが、それぞれの視点で「ウルトラマン」の魅力と自身への影響を語ります。
さらには、当時を知る出演者や監督、関係者の子息といった“時代感”までをとりあげ、その将来性にまで、世界は広がっていきます。もう数十年前になりますが、「ウルトラマン」に関するイベントのお手伝いをしたことがあり、総本山である円谷プロダクションに幾度かお邪魔しています。
新作のウルトラマンが途絶えていた時期で、製作現場や撮影スタジオを観る機会はありませんでしたが、かつての“息吹き”を感じたのは貴重な体験だったと感謝しています。
いまではひとつのジャンルとして確立している「特撮ヒーロー」ですが、当初はこうした「子ども向け」プログラムを“ジャリ番(ジャリ=子ども向け番組)”や“ジャリ専(専らこうした作品に従事するスタッフやキャスト)”などのレッテルを貼り、同業者から侮蔑されていたという過去を見聞しています。
テレビ放送がスタートして10年ほどの黎明期で、人材が足らず、若手が活躍する機会に恵まれていたことも、ヒット作への原動力となったと、当時の関係者から教えていただきました。
「監修」という立場であった円谷英二(つぶらや・えいじ、1901-1970)は別格として、実子で監督や主題歌の歌詞を担当した円谷一(つぶらや・はじめ、1931-1973)や、キャラクターとしての「ウルトラマン」を創造した脚本の金城哲夫(きんじょう・てつお、1938-1976)、そしてウルトラマンのデザインを担った成田亨(なりた・とおる、1929-2002)まで、20代から30代前半の“若手”が中心となって生み出されていました。
映像作品の“現場”が平易だということは日本ではまず、耳にすることのない評価ですが、「ウルトラマン」のような特撮のあるシリーズ番組では、スケジュール面もふくめ、さらにきびしい状況であったそうです。
登場する事物のデザイナーであった成田享は、放送当時、「劇場用の特撮ものだと一本が約一億円、日数にしても、アイディアを考えるだけで一カ月もかけている。ところがテレビは一週間に一本。一日に四、五匹の新怪獣を考えださなければならないこともあります。そんなときは大変です。まるでこっちが怪獣のような顔をして部屋に閉じこもったキリ、というときもありますね」(1966年10月21日付「週刊TVガイド」より)と、雑誌の記事でコメントされています。
本作の中でも、スタッフやキャストによる「徹夜徹夜の日々」といった証言がされています。
「ウルトラマンの俳優が砂だらけでスタジオに来た。ロケだったそうで、怪獣モノのって大変そうだった」という逸話も、当時のテレビ関係者から伺ったことがあります。ウルトラマンに協力する科学特捜隊のフジ隊員を演じた桜井浩子(さくらい・ひろこ、1946年生まれ)は、監督だった円谷一にこう言われたそうです。
「ロコちゃん(桜井の愛称)、30年後にはロコちゃんたちも怪獣もウルトラマンも、みんなスターだよ」
当時、どこまで意図してこう述べたのかは定かではありませんが、結果的には未来を言い当てていたのです。
現在の視点で作品を観れば、たしかに拙い部分もありますが、「手さぐりの手づくり」で創出された作品には確かな、輝きと存在感が詰まっています。「すべての古典はもと異端であった」。こんな言葉をふと、想い出してしまいました。次回は「カプリコン・1」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。
編集注:ウイキペディアによると、「ウルトラマン」は1966年7月17日から1967年4月9日までTBS系で全39話が放送された。TBSと円谷プロダクションの制作の特撮テレビドラマで、TBSで最初にカラーで放送された特撮テレビ番組という。
本作は、怪獣や宇宙人によって起こされる災害や超常現象の解決に当たる科学特捜隊と、それに協力するM78星雲光の国の宇宙警備隊員であるウルトラマンの活躍劇となっている。
テレビシリーズがスタートすると、第1話の視聴率は34.4%、平均視聴率は36.8%、最高視聴率は42.8%(1967年3月26日放送の第37話)を記録した。海外でも1970年代から100を超える国・地域で放映された。
物語の骨子は科学特捜隊のハヤタ隊員が小型ビートルで青い球体と赤い球体を追跡するが、赤い球体と衝突したうえに墜落死してしまう。赤い球体の正体はM78星雲人ウルトラマンで、ウルトラマンは宇宙の墓場への護送中に逃亡した宇宙怪獣ベムラー(青い球体の正体)を追って地球までやって来た。
自らの不注意でハヤタを死なせてしまったウルトラマンは、その罪滅ぼしとしてハヤタと自分の命を共有して地球の平和を守るために戦うことを決意し、ウルトラマンとハヤタは一心同体となった。以後、ハヤタはベーターカプセルを点火させてウルトラマンに変身し、怪獣や宇宙人と戦う。
「ウルトラマン」に続くのが「ウルトラセブン」で1967年10月1日から1968年9月18日まで全49話が放送された。その後、1971年4月2日から1972年3月31日まで「帰ってきたウルトラマン」がTBS系で全51話が放送された。この後も「ウルトラマンA」(1972年から1973年)や「ウルトラマンタロウ」(1973年から1974年)、「ウルトラマンレオ」(1974年から1975年)などが続く。
