【ケイシーの映画冗報=2026年8月27日】今回は「オークストリートの異変」(The End of Oak Street、2026年)です。アメリカの地方都市のひとつオークストリートで生活を営むプラット家。楽天的だが気弱なグレッグ(演じるのはユアン・マクレガー=Ewan McGregor)と作家になる夢をあたためているデニース(演じるのはアン・ハサウェイ=Anne Hathaway)の夫婦は、大学進学をめざす姉のオードリー(演じるのはメイジー・ステラ=Maisy Stella)と内気な弟ブライアン(演じるのはクリスチャン・コンヴェリー=Christian Convery)とともに、一般的な家庭にありがちな悩みやトラブルを抱えながら、平穏な日々を送っていました。

8月14日から一般公開されている「オークストリートの異変」((C) 2025Warner Bros.Ent. All Rights Reserved)。14日から16日の初週は観客動員数が18万人、興行収入が2億9354万円でトップ10の8位にランクされ、21日から23日の2週目も10位にランクされている。
そんな日常が、徐々に変化していきます。不思議な樹木や、正体不明の生物の痕跡などがあらわれ、電気や水道も止まり、家の周辺は陸の孤島状態になってしまいます。さらには太古の恐竜が闊歩する危険な状況で、外部への脱出も不能とわかり、プラット家の生き残りをかけた挑戦がはじまるのでした。
以前にも本項で記したかと思いますが、映画と恐竜を含む巨大な生物、はよいアンサンブルを描けると感じます。映画も19世紀末に確率したメディアですし、“古生物としての恐竜”として正しく認識されるのが19世紀でした。それまでの化石は「ノアの方舟に乗れなかった動物の骨」や、ドラゴンやユニコーンといった「空想上の生物の遺骸」という解釈が中心となっていたのです。
映画の世界も「サイレントからトーキー」「モノクロからカラー」「フィルムからデジタルへ」という大きな変革があり、現在でも技術的な進歩が続いています。
恐竜も(現物は確認できないのであくまで学説的ですが)、この150年ぐらいで「トカゲやワニのような変温動物ではなく、活動的な恒温動物」「巨大でノロマではなく、小型で敏捷な種類も多かった」「絶滅した過去があるが、現在の鳥類の直系の先祖の可能性が高い」といった“解釈の変化”が起きています。
本作を観ていて、まず惹きつけられたのが、「時代設定」でした。大学への進学を希望するオードリーが、進路について「カール・セーガン(Carl Sagan、1934-1996)の講義を受けたい」と語るのです。カール・セーガンは1980年代、先進的な物理・天文学者で、平易な文章で学術的な分野を著し、ベストセラーを幾度も出した著名な学者でした。
このひとことで、「この作品が現代ではない」ことが理解できたのです。「インターネットもスマホもない世界」という舞台の構築に好感を持ちました。
監督・脚本のデヴィッド・ロバート・ミッチェル(David Robert Mitchell)は、この発想についてこう語っています。
「私は80年代に子ども時代を過ごしたし、自分にとって大切なあの時代に戻ってみたかったんです」。そして、「子どもの頃からずっと恐竜映画を作りたいと思っていました。(中略)中流家庭の家が並ぶありふれた空間に、恐竜という幻想的な存在が入り込んでる場面について想像しました。(中略)『この頭に浮かんだイメージのような映画を作ってみたい』と思ったんです」(いずれもパンフレットより)
もうひと組の主役が、住宅地を闊歩する恐竜たちです。こちらは最近の研究で恒久化した“羽毛に包まれた俊敏な生き物”として描かれ、さらにはいままでの“恐竜モノ”では表現されなかった(個人的な記憶ですが)、インパクトのあるシーンがいくつも描かれています。
そして、恐竜ではないのですが、地球上で最大のヘビとされている“ティタノボア(Titanoboa)”がプラット家の脅威として登場します。“大蛇”もいくどとなく映画のキャラクターとして活躍していますが、本作の“ティタノボア”はCG画像と実物大の模型(本物の推定体長は13メートル!!)で再現され、恐竜以上の存在感を発揮しています。
もちろん、エンタテインメント作品ですから、「本当に恐竜と文明社会が同居したら?」という事例の綿密なシミュレーションではありません。恐竜が存在したころの地球は、二酸化炭素が濃く、温暖だったと推定されています。人類と恐竜の共存は困難というのが現実でしょう。
また、自動車のエンジン音や銃声に遭遇した経験のない恐竜は、その状況を理解すると、人間という存在を危険と判断し、回避していく可能性も十分に考えられます。
では、原理原則に忠実に則した作品は必ず面白いか?という問いには、「ノー」となるでしょう。「面白さ」は映画をふくむ、エンタテインメントの重要な要素で、現実と空想の絶妙なブレンドが作品の出来不出来に大きく寄与するのですから。
本作のブレンドはすばらしく、良質のエンタテインメント作品といえるでしょう。次回は「ラスト・サバイバー」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。