【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2026年9月8日】8月8日、東京滞在を縫って、軽井沢に日帰りで出かけ、念願だった直木賞作家の藤田宜永(よしなが、1950-2020)の墓参りを果たした。
あいにくお盆前の土曜日、8時30分の池袋発軽井沢行きバスは満席で、停留所には折柄の猛暑を逃れて少しでも涼を求めんとする人たちが長蛇の列を作っていた。窓口によると、1時間後の新宿発なら空きがあると言うので、すかさず買い求め、帰りは16時発の池袋行きも取って(往復5800円)、新宿に移動した。南口の新宿バスターミナルには9時15分前着、どうやら間に合った。
バス内はほぼ満席、しかもお盆前で道路の混雑がひどく、渋滞を縫って現地にたどり着いたのが、1時間以上遅れの14時前。正味2時間しかないところを、軽井沢駅から徒歩で、人づてに訊いて「軽井沢霊園」(長野県軽井沢町軽井沢646)に向かった。
軽井沢は思ったほど、涼しくなく、強い日差しが照りつける下で、たくさんのお墓が並ぶ中を、漫然と巡り、故人の墓らしきものを探し当てようとした。
頼りは、記憶にあるイメージで、繭の形をした丸石が乗った横広の瀟洒なお墓、それは同業のやはり直木賞作家でおられる奥様の小池真理子さんが、藤田家当主である我が叔父(宜永宅は分家)に送られた写真を見せてもらったとき、網膜に焼き付いたものだった。
故人は無神論者だったと記憶しているが、まるでキリスト教徒のように洒落たモダンなお墓だとの、第1印象を受けたのである。その脳裏に刻まれたイメージを頼りに探し回ったわけだが、いっこうに見つからず、時間もないことだし、次第に焦ってきた。
中途で墓参りの年配夫婦に行き当たったので、訊いてみたが、そもそも藤田宜永という作家すら知らないようで、お話にならなかった。
諦めて歩きだし、墓と墓の通り道をあてもなく巡り、しばらく行くと、繭の形状に似た丸石の乗った墓が現れ、「これだ」と閃いた。正面に回ると、果たせるかな、「藤田宜永」の銘が刻まれた紛れもない故人の墓だった。
ほっとして、持参した花束を敷石の上に置いた。壺の中には既に花が差し込まれていたので、セロハン包みのまま、風に吹き飛ばされないよう石の下の隙間に根元を差し込んだ。そして、祈りを捧げた。
生前、お世話になったこと、拙著「車の荒木鬼」の帯に推薦文を書いていただいたこと、昔書いた恋愛小説(早稲田大学新人文学賞で最終選考に残った)を拝読いただき批評を賜ったこと、ときたま手紙やメールなどで交流させていただいたこと等々、墓前で神妙に掌を合わせて、改めて御礼させていただいた。
片道4時間かけて軽井沢まで遠出した熱意は、ちょうど盆前で里帰りしていたに違いない故人の霊には、最良の形で伝わったはずだと思うと、喜ばしかった。何より、奇跡的に故人の墓を探し当てられたことがうれしかった。
福井の実家の母親との折り合いが悪かった故人は、郷里の藤田分家の墓に納まる気は毛頭なかったろうし、奥様がその遺志を汲み取って、7回忌を前にご夫婦の居住地だった軽井沢に自分たちふたりだけのお墓を新設、6年目にしてようやく納骨の儀が整ったのである。お骨が納まるべきところへ納まって、本当に良かったと思った。

軽井沢霊園に居並ぶ墓の列から、丸い繭の形状をした石の乗った「藤田宜永歿」の銘が刻まれた、横広の墓を探し当てた。上に乗った細長い丸石にフランス語で、「cocoon pour deux」(2人のための繭)が刻まれ、瀟洒なデザインは目を惹く。小池真理子さんらしい美意識に溢れたなんとも洒落のめした体裁だ。下の棺様の墓石には、黒い地に「藤田宜永2020.1.30age69」と刻まれている。
軽井沢を愛した故人が何より、喜んでいるだろう。奥様の小池真理子さんを労ってあげてくださいね、納骨おめでとうございましたと最後に告げるも、なかなか立ち去りがたく、墓の前で長いこと佇んでいた。
繭型の石に刻まれたフランス語(藤田宜永は在仏歴があり、フランス語が堪能)、「cocoon pour deux」 (ココン・プル・ドゥ、2人のための繭)を見ていて、小池真理子さんもこの世を去られたのちは、先だった夫君に追いついてふたりで繭、子宮に還り、産まれる前に回帰するということだろうかと、漠然と解釈し、お2人の強い絆を改めて突きつけられたようで、故人より2カ月先に病沒したわがインド人の夫を思い出し、しんみりした。今年は早いもので、夫も7回忌、現地に戻って私的なセレモニーを催す予定でいる。
時間があれば、そこからさほど離れていない雲場池にも立ち寄りたかったのだが、もう3時30分、結局、墓参りだけで終わってしまった。昨年やはり日帰りで初の軽井沢詣でをしたときも、大雨で、結局白糸の滝と、軽井沢銀座を歩いただけで終わったが、今回は観光らしきことは何ひとつできずに、またしても中軽井沢周辺を見逃した。次は、一泊して緑豊かなこの美しい観光地をじっくり巡ってみたい。それでも、所期の目的は果たせ、往復8時間費やしたバスの車窓から深緑も楽しめ、満足だった。
池袋駅近くの「ガスト」で夕食を取り、尾久のアパートメント形式の賃室に帰ったのは、23時30分、来日中の息子は友人との横浜観光を済ませ、ひと足先に戻っていた。私の帰りがあまりに遅いので、また道に迷ったかと心配したらしい。方向音痴の母親は、最寄り駅から宿泊所の道筋案内はもっぱら息子が頼り、それでも別行動をとると、時々迷ってSOSサインを息子に送り、駅まで迎えに来てもらうこともあったのだ。
さて、次回は、2年3カ月ぶりに来日した息子との楽しいツアーリポートをお届けしたい。乞うご期待!
〇お薦めの藤田作品、恋愛物より面白い冒険小説/
30年に及ぶ藤田宜永の作家人生で紡がれた100冊近い作品中、特にお薦めなのは、「鋼鉄の騎士」(新潮社、1994年)だ。直木賞(第125回で2001年)を受賞したのは恋愛小説(「愛の領分」、文藝春秋)だが、30代後半から4年の歳月をかけて執筆された、2500枚というこの超娯楽大作が滅法面白い。圧巻の冒険物、渾身の力作大長編を特薦したい。
※藤田宜永の略歴(1950-2020)
福井県福井市生れ、早大中退後、渡仏。エール・フランスに勤務、帰国後にフランス語教師などを経て、エッセイを書きはじめる。1986年に「野望のラビリンス」で小説デビュー、1995年に「鋼鉄の騎士」で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会特別賞を受賞、1997年の「樹下の想い」で恋愛小説にも新境地を開き、1999年に「求愛」で島清恋愛文学賞を受賞、2001年に「愛の領分」で直木賞を受賞した。
2017年には「大雪物語」で吉川英治文学賞を受賞した。その他の作品に「乱調」(2005年、講談社)、「リミックス」(2006年、集英社、2010年、徳間文庫)、「老猿」(2010年、講談社、2013年、講談社文庫)、「風屋敷の告白」(2013年、新潮社 、2015年、新潮文庫)、「わかって下さい」(2018年、新潮社)などがある。
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している)。


