丸善日本橋でピカソ展、ローランサン、ユトリロ、ミロらも

【銀座新聞ニュース=2026年9月26日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は9月30日から10月6日まで3階ギャラリーで「パブロ・ピカソと20世紀美術の巨匠版画展」を開く。

丸善・日本橋店で9月30日から10月6日まで開かれる「パブロ・ピカソと20世紀の巨匠版画展」に出品されるピカソの「牡牛とピカドール」(リノカット、1959年)。

「20世紀最大の芸術家」と呼ばれるスペイン出身の画家、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)は絵画、版画、彫刻、陶芸、舞台衣装など造形表現のあらゆるジャンルから詩や芝居に至るまで幅広い範囲にわたる作品を生み出した。今回は、ピカソがとりわけ力を注いだ版画作品を中心に展覧する。

また、ピカソと同時代に活躍したロシア(現ベラルーシ)出身のユダヤ系フランス人画家、マルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985)、フランス人の画家、アンリ・マティス(Henri Matisse、1869-1954)、淡く繊細な線と色使いで女性を優美に描いた、フランスの女流画家、マリー・ローランサン(Marie Laurencin、1883-1956)、近代のフランス人画家のモーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo、1883-1955)、スペイン人の画家、ジョアン・ミロ(Joan Miro i Ferra、1893-1983)、第2次世界大戦後の具象絵画の代表的な画家、ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet、1928-1999)ら巨匠達の版画も同時に展示する。

ウイキペディアによると、パブロ・ピカソは1881年10月25日スペイン南部アンダルシア地方のマラガ市生まれ、1895年にバルセロナに移り、美術学校に入学、入学制作を1日で完成させ、1897年にマドリードの国展で佳作、マラガの地方展で金賞、同年秋にマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学するも、中退し、プラド美術館に通い、名画を模写し、1899年にバルセロナで店のメニューをデザインしたり、アールヌーボー調のポスターを描いた。

1901年に雑誌「若い芸術」の編集に携わり、「青の時代」(1901年から1904年)の始まりとされ、1902年にパリに住み、1904年に「洗濯船」と名付けられたモンマルトルの建物に住み、「ばら色の時代」(1904年から1907年)のはじまり、1907年から1908年まで「アフリカ彫刻の時代」とされ、1912年にモンパルナスへ移り、1918年にロシアの将軍の娘で、貴族の血を引く、バレエダンサーのオルガ・コクローヴァ(Olga Khokhlova、1891-1955)と結婚、パリに移り、1918年から1925年まで「新古典主義の時代」に入り、1926年に「シュルレアリスムの時代」、1928年から彫刻に専心し、1930年にカーネギー賞を受賞した。

1932年にマリ・テレーズ・ヴァルテル(Marie-Therese Walter、1909-1977)と共同生活をはじめ、1936年に人民戦線政府の依頼によりプラド美術館長に就任、1937年に「ゲルニカの時代」とされ、1944年にパリ解放後最初のサロン・ドートンヌに80点の作品を特別展示、1946年にフランソワーズ・ジロー(Francoise Gilot、1921-2023)と共同生活、1954年にジャクリーヌ・ロック(Jacqueline Roque、1927-1986)と共同生活(後に結婚)した。

1968年に版画に専心、6カ月間で347点を制作、1970年にアヴィニョン法王庁で140点の新作油絵展、バルセロナにピカソ美術館を開館、1973年4月8日頃、南仏ニース近くにあるムージャンの自宅で肺水腫により死去した。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。