林芙美子の最後の傑作「浮雲」に感動!女心の綾が巧み(185)

(今回は乱読ライブラリー編です)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2026年10月1日】明治から昭和にかけての流行作家、林芙美子(1903-1951)の晩年の遺作となった「浮雲」(1951年初版、六興出版)を読んだ。NHKラジオ第2の「朗読の世界」(6月下旬から全70回)で何度か聞いて、我が胸の琴線に触れたので、図書館で借りてみることにしたのだ。

文庫版の初版は1953年、その後、1968年、2003年と版を重ね、2011年時点で85刷というロングセラーとなっている。

戦中戦後の混乱期を背景にした恋愛長編だが、舌を巻く表現力で読み応えがあった。戦時、仏印(主にフランス領インドシナ=1887年から1954年=に存在したベトナム・ラオス・カンボジアなどのフランス植民地のこと)にタイピストとして渡った主人公ゆき子は、農林省から派遣された妻子ある男性の富岡と恋に陥る。本国の戦況と裏腹に南国の楽園紛いの、夢のように美しい外地で、乙女の恋心は昂まる。が、敗戦で引き揚げたあとは焦土の地獄が待っていた。富岡をどうにか探し当てて再会するも、男の気持ちは冷めていた。

ラジオの朗読を聞きかじったときから、この作品は、著者の林芙美子が1942年従軍作家・特派員(陸軍報道部報道班員)として南方(中国・ベトナム・シンガポール・ジャワ・ボルネオなど)に渡った体験が基になっていて、富岡のモデルはそのとき不倫関係を結んだ毎日新聞記者(高松棟一郎=1911-1959)ではないかと疑ったが、その推量はあながち間違いではなかったようだ。

桐野夏生(なつお、1951年生まれ)が書いた林芙美子の伝記小説「ナニカアル」(新潮社、2010年)に、その時の経緯が詳しく書かれていたことを思い出したからだ。林芙美子の夫は、画家の手塚緑敏(てづか・まさはる、1902-1989)だったが、高松棟一郎の子を妊娠後に養子として貰い受けたとも伝えられている。「泰(たい)」と名付けた息子は、母の死後8年後の1959年に15歳で夭折(事故死)している。

「浮雲」は、高峰秀子(1924-2010)主演で映画化もされており(1955年、成瀬巳喜男=1905-1969=監督)、往時の原作の人気のほどが窺える。

仏印での夢のような恋の思い出をことあるごとに蒸し返し、男に泣きごとを繰り返すゆき子にはいささか辟易させられるが、女心の綾が巧みに書き込まれ、圧巻だ。小説作法では、創作において客観化し作者が先に泣いてはいけないと言われるが、林芙美子はお構いなし、感情に先走って泣き、恨み節の垂れ流しっぱなしだ。

浮雲のように漂い流れ、転落していく女、いわゆる「パンパン」と蔑まれた駐留米兵に身を投げ出す娼婦紛いに堕ちるひと幕もあるが、結局はまた富岡とよりを戻すのだ。敗戦で夢破れ傷ついた男女が、漂泊の果てに辿り着いた先は、雨が1年中降り続く陰気な屋久島だった。この湿気た離れ孤島で、ゆき子が迎えた最期があまりにも悲しい。

1929年から雑誌「女人芸術」に掲載されていた日記風自伝小説「放浪記」が評判を呼び、1930年に改造社から初版が刊行され、一大ブームを巻き起こした。その後、大幅改稿した「決定版放浪記」が1939年に新潮社から出され、文庫版は1979年、2002年に刊行された。

〇初期の代表作「放浪記」も再読

1929年から雑誌「女人芸術」に掲載されていた日記風自伝小説「放浪記」が評判を呼び、1930年に改造社から初版が刊行され、一大ブームを巻き起こした。その後、大幅改稿した「決定版放浪記」が1939年に新潮社から出され、文庫版は1979年、2002年に刊行された。

「浮雲」が圧巻だったので、昔読んだ「放浪記」(1930年、改造社)を改めて読み返してみたが、円熟の絶筆「浮雲」を読了したあとでは、いかにも未熟に感じられ、以前受けた感動はなかった。日記調の自伝には多数の詩も混じっているのだが、感傷に流れがちで、どれもいまいちだった。

※他に、お薦め作として、原田マハ(1962年生まれ)の「リボルバー」(幻冬舎、2021年)を挙げておこう。ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853-1890)とゴーギャン(Eugene Henri Paul Gauguin、1848-1903)の関係、ゴッホの死因は果たして本当に自殺だったのか、それとも他殺か、推理仕立てで明かされ、最後にあっと驚く顛末が待っている。鮮やかな手際のアートミステリーだ。原田マハは元キュレイターで、美術に造詣が深いので、オークションの裏や盗品が横行する内幕も書かれ興味深い。

※林芙美子の略歴
1903(明治36)年福岡県門司区生まれ、1922(大正11)年に尾道高女を卒業、愛人を追って上京し、1923(大正12)年に婚約を破棄され、日記をつけることで傷心を慰めたが、これが「放浪記」の原形となった。

原田マハの傑作アートミステリー「リボルバー」(幻冬舎)は、元美術専門家ならではの、原田マハの得意分野だ。ペンネームの「マハ」とは、スペインの画家ゴヤ(Francisco Jose de Goya y Lucientes、1746-1828)の作品「裸のマハ」(1797年から1800年頃)と「着衣のマハ」(1797年から1803年頃)に由来する。ちなみに、「マハ」とは人名でなく、スペイン・アンダルシア地方の小粋な民族衣装を纏った女性のことを指す。

1926(大正15)年に手塚緑敏という画学生と結ばれてから生活が安定し、1928(昭和3)年に「女人芸術」に「放浪記」という副題を付けた「秋が来たんだ」の連載を開始した。1930(昭和5)年に「放浪記」が出版され、ベストセラーとなる。他に「風琴と魚の町」(1931年)、「清貧の書」(1933年)、「牡蠣」(1935年)、「稲妻」(1957年)などがあり、常に女流作家の第一線で活躍しつづけた。

※原田マハの略歴
1962年東京都生まれ、関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科を卒業、伊藤忠商事、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務後、2005年に「カフーを待ちわびて」で日本ラブストーリー大賞を受賞し、作家デビューした。2012年に「楽園のカンヴァス」で山本周五郎賞、2017年に「リーチ先生」で新田次郎文学賞、2024年に「板上に咲く」で泉鏡花文学賞を受賞、2026年に立命館大学客員教授に就任している。

ちなみに、ペンネームの「マハ」とは、スペインの画家ゴヤ(Francisco Jose de Goya y Lucientes、1746-1828)の作品「裸のマハ」(1797年から1800年頃)と「着衣のマハ」(1797年から1803年頃)に由来する。なお、「マハ」とは人名でなく、スペイン・アンダルシア地方の小粋な民族衣装を纏った女性のことを指す。

「乱読ライブラリー」はインドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。