キヤノン銀座で杉山宣嗣「パブアニューギニア」展

【銀座新聞ニュース=2016年4月27日】大手映像機器・事務機器などのメーカー、キヤノン(大田区下丸子3-30-2、03-3542-1860)グループのキヤノンマーケティングジャパン(港区港南2-16-6)は4月28日から5月11日までキヤノンギャラリー銀座(中央区 銀座3-9-7、トレランス銀座ビルディング、03-3542-1860)で杉山宣嗣さんによる写真展「部族の肖像 TRIBE@PAPUA NEW GUINEA」を開く。

4月28日から5月11日までキヤノンギャラリー銀座で開かれる杉山宣嗣さんの写真展「部族の肖像  トライブ@パプアニューギニア(TRIBE@PAPUA NEW GUINEA)」のフライヤー。

4月28日から5月11日までキヤノンギャラリー銀座で開かれる杉山宣嗣さんの写真展「部族の肖像 トライブ@パプアニューギニア(TRIBE@PAPUA NEW GUINEA)」のフライヤー。

写真家の杉山宣嗣(すぎやま・のぶつぐ)さんがパプアニューギニアの部族と向き合いとらえた、リアル・ポートレートの数々を「部族の肖像 トライブ@パプアニューギニア(TRIBE@PAPUA NEW GUINEA)」と題して展示する。

杉山宣嗣さんのHPによると、一部の都市部以外では、水道、電気もないエリアが存在するパプアニューギニアは赤道にほど近い位置にあるにもかかわらず灼熱の熱帯雨林だけでなく、3000メートルから4000メートル級の山脈が連なっている高地も存在し、800以上の部族と言語をもつと言われているパプアニューギニアの中から、ウイッグメンやマッドメンの住まう山岳地域、アマゾンのような熱帯雨林のセピック川流域、かって日本軍の一大拠点にもなったラバウル近くの海辺の地域などの部族を撮影した、としている。

キャノンギャラリーでの国内展の後に、パプアニューギニアのポートモレスビー・ジャクソン国際空港、ミュージアムなどで展示が予定されているという。

ウイキペディアと外務省によると、パプアニューギニアは、太平洋南部に位置するニューギニア島の東半分と、周辺の約600の島々からなる立憲君主制国家で、島の西半分はインドネシアが領有している。イギリス連邦加盟国であり、イギリス連邦王国のひとつで、女王(国王)がエリザベス2世、国家元首の代理である総督(国会の指名投票に基づき、国王が任命)がマイケル・オギオ(Michael Ogio、1942年生まれ)さん、首相はピーター・オニール(Peter Charles Paire O’Neill、1965年生まれ)さんが2012年8月4日より務めている。

面積が46万2840平方キロ(日本の約1.25倍)で、人口が732万人(2013年)、首都がポートモレスビー、GDPが約153億USドル(約1兆5300億円)。

1828年にニューギニア島が東西に分割され、1848年に西半分をオランダが併合、1884年に東半分をオーエン・スタンレー山脈、ビスマルク山脈で南北に分け、ニューブリテン島などを含んだ北半分をドイツ、南半分をイギリスが獲得した。南部は1901年にイギリスから独立したオーストラリアに継承された。

1914年からの第1次世界大戦でドイツが敗北すると、ドイツ領ニューギニアの東北部が国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となった。1941年から大東亜戦争で、日本軍が1942年1月22日にニューブリテン島ラバウルに上陸したのをはじめ、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領したが、その後、アメリカ軍、オーストラリア軍の連合軍と日本軍の間で1942年5月から8月に行われた「珊瑚海海戦」などで日本軍が敗北し、1945年8月に降伏した。

1946年にオーストラリアを施政権者とする国連の信託統治地域とされ、1949年にオーストラリアが南東部と北東部を統合して「パプアニューギニア」(オーストラリアの信託統治)とし、西部はオランダ領ニューギニア(1949年から1962年まで)とされ、1961年にオランダが西部を「西パプア共和国」として独立を認めた。しかし、インドネシアが侵攻したため(パプア紛争、1963年から現在まで)、国連による暫定統治を経て、インドネシアへ併合されて「イリアンジャヤ州」(2002年に「パプア州」と改称し、2003年に西イリアンジャヤ州が分離し、「西パプア州」)となった。

1975年9月16日に「パプアニューギニア独立国」として独立を果たした。1976年に陸続きで国境が隣接するインドネシアが加盟しているアセアン(ASEAN)閣僚会議にオブザーバーとして初参加し、1981年に特別オブザーバーの地位を得ている。1986年に正式に加盟を申請して以降、現在までパプアニューギニアが東南アジアではないとされ、アセアン諸国は正式加盟を認めていない。

杉山宣嗣さんは岐阜県岐阜市生まれ、日本大学芸術学部写真学科を卒業、在学時の3年の時に集英社主催の写真大賞を受賞し、副賞でアメリカ、カリブ海へ撮影旅行し、卒業制作の作品が新聞に掲載され、卒業後はフリーの写真家として「週刊プレイボーイ」や「月刊プレイボーイ」、「ヤングジャンプ」などのグラビア系の仕事を手がけ、シュルレアリスムの写真家としても活動した。

ニコンのキャンペーン広告に起用され、日本広告写真家協会会員になり、1986年に初の個展、その直後、オーストラリア・シドニーに仕事場を移し、その後、日本でオーストラリアブームがおこり、豪日両国の仕事に従事し、オーストラリア政府観光局のキャンペーン広告なども担当した。

約5年滞在の後、帰国し、1993年から1997年にかけて、パルコ、高島屋などで個展を開き、1996年よりフジテレビ系「中山秀征の写せっ!」などのテレビ番組にレギュラー出演し、1997年に日本コロムビアよりCD-ROM写真集を発売、2003年にカシオの携帯カメラで撮影した写真集を出版、カシオがこの写真集のページだけをめくる無音のテレビCMを放送され、注目された。2011年にマンガ、アニメ、ゲームの2次元キャラクターになりきり、「2.5次元の世界」に生きるコスプレイヤーを撮影し、キャラクターをクルクルと回転させて鑑賞できるコスプレ写真集を刊行した。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は15時)。29日、30日、1日、3日から5日は休み。