椅子と骨(短編小説編8 最終回)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2024年6月7日】彼がこの世から忽然と消えて、はや4年が過ぎた。初期はあれほどにも頻繁に夢越しのメッセージをくれたのに、いつしか交信もパタリと途絶えていた。一抹の寂しさを覚える一方で、私自身日常の雑事に埋もれて、彼のことを失念しがちだった。棚に飾った遺影は、ほとんど顧みられず、気がつけば、水を代えるくらいで、花も捧げられなくなっていた。

今でも、時折思う。彼はどこに行ったのだろうと。今ですら、生き返って欲しいと願うこともある。もうこちらの世界のことはすっかり忘れてしまったのだろうか。私という異人の妻のことや、あれほどにも溺愛した混血息子のことも、どうでもよくなってしまったのだろうか。土台、幽界とやらに未だに居続けているのか。それとも、とっくに生まれ変わっただろうか。

亡くなってまだ日が浅いさほど経っていない頃のこと、ミシュラという謎の人物が夢の中に突然現れ、今、彼は病院にいてこのわたしが面倒を見ていると告げられたことがあった。彼と同国人の見たこともない30代くらいのいささか胡散臭げな男に、一種守護霊のようなものかと訝しんだが、霊格の高さからするとちょっと通俗すぎ、俗界の人間のような風采だった。

私は、はっと目覚めて、彼の姉の息子である甥に、叔父の知人友人にミシュラという名の男はいなかったかと、尋ねた。甥は首を傾げ即答せず、調べてみると言った。数日後、ミシュラなる男が、夫が親しくしていた弁護士であることがわかった。しかし、その男の生死は不明とのことだった。夢に現れて、病気の彼の面倒を見ていると告げた以上、紛う方なくこちらを去った幽界の者であろうことは察せられた。

それにしても、彼がいまだ病気でいることが不思議でならなかった。心臓発作でまたたく間に逝ったのだが、既に病んだ肉体は消滅しているのだから、痕跡は跡形も残っているはずがない。だから、私は遺影に向かって、諭すように言ったものだ。

あなたは、肉体がないのだから、病むことはありえない、幻想よと。土台、幽界に病院があること自体が、不思議な気がした。幻想の身体を纏ったままで、まだ肉体があるかのように錯覚している没後まもない魂は、生前病気だった観念を、肉体がなくなっても捨てられないのかもしれなかった。彼は、幽界の病院で幻の病体を癒す必要があったのかもしれない。

その頃の夢には実にしばしば、病気で弱った彼が現れた。担架に乗せられたり、杖をついたよろよろの弱体で現れたりした。そのたびに私ははらはらと心を痛め、介助の手を差し伸べずにはおれなかった。こちらの世界で助けられなかった無念さが未だにわだかまっていた。私は伴侶の健康にあまりに無頓着すぎたのだ。今さら、悔やんでも遅いが、後ろめたい罪悪感に苛まれていた。

幽界にも、病院があると知ったのは、つい最近のことだ。私は今さらながら納得した。亡くなったばかりの頃、彼があちらの病院に入院して、少しばかり胡散臭いミシュラ某とやらの世話になっていたことは、ありえることだったんだと。

やがて、退院した彼は、こちらの世界と同じ職業、ホテルのオーナーとして復活する。しかし、俗界と違って、崇高な使命を担っていた。傷ついた魂を癒し、天に送り届けるという役目を仰せつかったのだ。その過程で、母のさまよえる魂が彼のホテルに行き着き、手厚いもてなしで癒されたあと、天に上ったことは、既に述べた通りだ。

それからかなり経ってから見た夢では、彼は南の浜辺を旅していた。一度なんかは、外国人女性に運転させた車で現れた。私は、私と知り合う前に出会った白人女性でないかと疑った。彼は若い頃、彼のロッジに泊まった外国人女性と恋仲になり、彼女の国に来ないかと誘われたことがあったのだ。なぜそのとき、彼が断ったのか、理由はわからない。勇気がなかったからか。もし、同意していれば、別の人生が開けていたはずだ。

話を元に戻そう。その夢の中で私は大きなトランクを抱えて、彼の車を待っていた。白人女性ドライバーが同乗していようとも、送ってもらわなければならなかった。どこへ?判然としない。ただ、私は自我を通した。彼の前でいつもわがままだったように。彼はちょっと困った顔をした。私は頑として譲らなかった。彼は、私の言いなりに新しいパートナーの運転する車の後部ドアを開けて、前の世界のパートナーを乗せて、送る義務を果たした。

そのあと、半年ぶりくらいに夢に現れた彼に、私は一緒に旅ができなくて寂しいと訴えた。生前私たちは連れ立ってよく旅をしたものだったのだ。だから、初期の交信では、随分といっしょに旅している夢も見た。が、その時期を過ぎて、彼が夢にたまにしか現れなくなると、内容は変わり、もう共に旅することはなくなった。

現実の世界では、私は頻繁に一人旅を重ねるようになっていた。同伴者のいない旅、独りの自由気ままな彷徨、依存心の強かった人妻だった私が、結婚前の自立心を取り戻したのだ。こちらでは、私はもう旅の同伴者がいなくても旅できるようになっていた。

むしろ、同伴者は煩わしいとまで思って、誰にも気兼ねの要らない自由好き勝手な、自分のペースで回れる独り旅の醍醐味を味わい噛み締めていた。そうやって一人旅の居心地のよさに慣れ親しんでいたはずなのに、久々に現れた彼に、一緒に旅できなくて寂しいとわがままな欲求をぶつけたのだ。彼は困っていた。無言で窮していた。

彼の4回忌が迫っていた。現地に住む息子からは、一度帰るように勧められていた。甥に任せっぱなしのホテルの片もつけなければならなかった。私はけじめをつけるため、彼の遺灰を聖河に流す儀式に参列しようと考えた。パンデミック(世界的大流行)のせいで、延び延びになっていたのだ。

ところが、息子は、彼の属する宗教では、遺された伴侶が遺灰セレモニーに参加することを禁じていると言った。理由は、彼の魂が現世の愛着を絶つためと僧に言われたからだという。儀式に妻が参列したら、夫は愛執に引きずられ、いつまでたっても俗世を去れず、解脱(モクシャ)できないと言うのだ。

理不尽に思ったが、言われてみれば、一理ないこともなく、今さらながら我が妄執に気づかされた。もういい加減、彼を解放してあげなければいけないと思った。我が身の妄執が彼を縛り付け、天界に旅立たせてなくしていたのに、はたと気づいたのだ。

で、別のけじめとして、聖なる母河の源の清流の注ぐ山間聖地に出立して、独りで儀式を行おうと決めた。今度こそ、本当のお別れの儀式を。ついでに、亡き母の散骨もしたかった。一度も現地、娘の嫁ぎ先を訪ねたことがなかった母だけに、喜ぶような気がしたのだ。
そして、私は1年8カ月ぶりにかの地に飛び立ったのである。

11月22日が命日で、前日首都に入った私は翌朝、エクスプレスバスで山間の聖地に向かった。着いたのは午後遅くで、坂を上がった高台のホテルにチェックインした後、2人の骨箱を手に川に向かった。折よく、川辺では、川の女神に捧げる儀式が執り行われている最中だった。

火を用いての神聖な儀式には信者が数名集い、祈りの歌と共に、女神を讃える厳かな儀式に勤しんでいた。灯火皿に立ち上る炎が、夕闇を美しく彩り、澄んだ歌声に感応するように、ちらちらと揺れ動いた。

こぢんまりとした儀式にたまたま遭遇した偶然を私は密かに喜んだ。彼の散骨に願ってもないお膳立てだった。私は、持参した小箱を開けて遺骨を取り出そうとした。そして、中を見て驚いた。黒いシナモンスティックのかけらのようだとの、当初の記憶にあった骨が白く変色していたのだ。

とっさに浄化されたのだと思った。後で振り返ると、単に石灰化しただけのことかもしれなかったが、そのときは軽い衝撃を受け、浄化された白骨をしばらく、茫然と眺めていた。祈りの歌が感極まるように昂まってくる。はっと我に返った私は、白く変色した彼の骨をつまみ出し、膝まづくと、足元のせせらぎに浸した。

骨は透明な流れに乗って、ゆっくりと運ばれていく。供花を持たない私に、祈祷者の一団が背後からジャスミンの一輪を差し出した。私はありがたく受け取り、一緒に川に流した。
純白の香り高い花は流れる骨に合流し、聖なる源流に浸したことで、俗界の穢れが一掃され、輪廻転生のからくりを抜けて、極楽浄土に到達したことを祝福しているような気がした。

私のまぶたの裏にいっぱいに溢れるものがあった。感動的なひと幕だった。込み上げるものに胸を詰まらせながら、次に母の遺骨を流した。それはもろく砕け、流れに溶けていった。雪のように淡い石灰化した骨の粉塵と化していた。母が初めて訪ねた異国の聖地の清らかな川に流されて喜んでいるような気がした。

彼の白骨と比べると、既に形骸をなさず、雪のようなパウダー状と化していたが、それは既に母が昇天した証でもあった。私は、とめどなく噴きこぼれる涙で頬を濡らしながら、滂沱(ぼうだ)とそこに立ち尽くしていた。鼓膜に、川の女神を讃える祈祷歌の名残がこびりついて反響していた。聖火は既に消えて、闇が深くなろうとしていた。

4回忌が終わった後も、私は久しぶりに訪れた彼の祖国を独りで旅し続けた。彼の生まれた故郷の州の山奥に遠出したときのことだ。雪崩落ちる滝の瀑布、飛沫の中に完璧な弧を描く小さな虹を目の当たりにした。私は感動で息を呑み、この奇跡は彼がお礼の代わりにくれたものだと思い、一層の感慨を覚えた。

小高い山の上のテンプルにつづら折りの石段をくねくねと何百段と登って参拝したときも、誰か案内する者の存在を感じた。でなければ、千近くある石段を上り詰めることは不可能だったかしれない。

肉体を持たぬ彼は軽々と登り、息切れして立ち止まりそうになる私の追い風となって、山頂の拝殿へと背を押してくれたのだ。私はふと、私の国の有名なお寺にお参りしたとき、彼が坂道を登るのに難儀して、結局閉院に間に合わず、参拝し損ねた失態を思い出し、愉快になった。

死ぬということは、こんなにも身軽になることでもあるんだ、彼は羽のように軽い、どこにでも行けるし、なんにでもなれる、根源の意識、神に戻ったのだ。帰路の車の後部座席に乗り込んだ私には、助手席に座る彼の頭が見えた。

彼はこの旅の間中、私を守るように同伴してくれたのだ。私は身を乗り出して、今一度確かめる、彼が本当にこの空間に存在していることを。何度も確かめた。いる、確かにいる、降りてきてくれた存在に感謝の意を捧げる。

形状しがたい存在、彼の気配、空気、雰囲気は、いつでもそばにいるよ、いつでも天から見守っている、心配しないでと、言っているような気がして、私はほんのりと温かい気持ちになった。

ふと、瞬間移動した愛用の椅子は今、天国にあるのかしらと思う一方で、椅子への愛着は、こちら側へのそれと共に解き放たれた、物質界の椅子は不要となると同時に雲散霧消したような気がした。今彼は、ふかふかの雲の椅子の上でくつろいでいるに違いない、違いなかった(了)。

過去の掲載は以下の通り。
1.https://ginzanews.net/?page_id=65198
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(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)