台湾の旅、雨の中、最悪の第1夜を過ぎ、淡水へ(170-2)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2025年12月2日】前回、台湾ルポの走りとして、1週間のツアーの概要をざっと述べたが(https://ginzanews.net/?page_id=73715)、第2回の今回はいよいよ、詳細なツアーの中身に入りたい。

古めかしい煉瓦造りの淡水駅に着くと、どしゃ降りの雨だった。

10月22日早朝、石川県金沢市からの夜行バスで大阪梅田の新阪急ホテル前に到着した私は、同じ場所から出ている関西国際空港行きバスに乗り継いだ。当日の12時25分の出発までには充分余裕があったが、結局、バンコック経由で飛来するタイ・ベトジェットエア(Vietjet Air)による台北行きは30分遅れの13時近くに飛び発ち、16時前に無事、台湾桃園空港に到着した(日本との時差は1時間)。

機内手荷物だけの身軽さなので、デイパックを背にキャリーを転がしながら、長い通路を歩いてイミグレーション(入国審査)へと向かった。国の顔である首都空港の印象は、お粗末だったフィリピン・マニラよりましだが、大国インドに比べると、大したことはない。

入国審査は、オンラインで入国カード記入済なので、すぐ済んだ。出口に向かい、まずは現地通貨に両替、台湾新ドル(もしくは元)を4万円分購入する(1元=約5円)。それから、人に訊きながら、地下鉄MRT乗り場に向かった。ネットで予約したヨークホテル(York Hotel)は、中心街の台北駅近辺にあるので、とりあえず駅まで行けば、何とかなるだろうとの目算だ。窓口で片道160元(約800円)でプラスチックのコインのようなものを渡され、改札口にタッチして、プラットホームへ。

未知の国の初乗りで、車両は混んでいて座れず、車窓から見る景色に目を凝らす。生憎(あいにく)の雨で、グレー一色、建物群は昭和の古びたビルといった按配だが、緑が鬱蒼(うっそう)と繁り、目が和(なご)む。いっこうに外国に来たという気がしなくて、少し拍子抜けする。

過去の日本統治時代の名残もあるのだろう、昔の日本という感じ。地下鉄の車内は小綺麗だが、座れる席が少ない。電光掲示板で停車駅名をチェック、念の為、地元乗客にも確認して、40分から50分ほどで台北駅にたどり着いた。

淡水駅近くのサイゼリヤで雨宿り。10階の店の窓から、雨にけむる河口を見下ろす。夕日の名所でもあるらしいが、土砂降りにより、川と海の交わる異国情緒溢れる港町の観光はふいになった。

が、ここからホテルまでがひと苦労だった。土地勘がまったくないし、方向音痴の私は、Googleマップを見てもよく分からない。結局、現地人に住所を提示し、教わるというアナログ式となった。

昔ならいざ知らず、若い人は日本語を話せる人が少なく、英語も通じにくいので、道を訊かれた人の中には、自分のスマホの翻訳アプリで日本語を表示、こちらに見せて意思疎通をはかろうとする(駅名の場合は漢字による筆談も可)。

結局、行き着くまでに、7、8人に訊いたと思う。その上、雨の悪天、傘をさしてキャリーを引きずってよっこら、やっと目当てのホテルにたどり着いたときには、ほっとしたものの、どっと疲れた。

4階のカウンターでチェックインして、部屋へ。日本円にして4000円ほど(800元)の室内は3畳くらいしかなく、共同トイレ・シャワーのお粗末さ、洒落たホテル名は名ばかりで、ガッカリさせられた。

私は海外のホテルを予約する時は、極力クレジットカードを使わずに、現地の宿泊施設に直接払う方式にしているが、そうするとやや高めになり、選択の幅も限られてくる。インドでカード詐欺を目の当たりにしたせいで、カードに対する不信感が抜けず、やむを得ない場合を除いては、国内でもこの方式、夜行バスなどもコンビニ払いである。しかし、直接払いの中には、カード情報を聞いてくるものもあり、こうなると、直接払いのメリットはない。とにかく、カードはなるだけ使わないのが、私の旅の鉄則である。

洒落た洋風の名前ばかりが立派なホテルは、さらに悪いことには、シングルベッドの上に、2段ベッドの名残を覆い隠したような硬い異物があり、ごつんと頭をぶつけてしまった。まさに、悪夢の頭突き宿、気をつけなきゃと思いつつ、狭い部屋で動くと、どうしてもごつんごつんと当たり、そのうち1回はかなり強烈で、その夜は冷やしたタオルを前頭部に当てて、腫れを和らげたものの、一睡もできなかった。

台北駅からMRT(地下鉄)で50分、河辺の風光明媚な淡水、「東洋のベニス」は生憎雨で観光できなかった(写真は駅近のサイゼリヤの10階より見下ろした街並み)。

共有の椅子やテーブルが並ぶスペースは、給湯・冷水設備もあり、コーヒーやお茶の袋も用意され、悪くないのだが、肝心の部屋がひどすぎる。翌朝、早めに退散して、雨中、MRTで台湾の「べニス」で通る、台北近郊の淡水に向かった(片道50元、40分)。湖があって、風光明媚と聞いていたが、着く頃にはどしゃ降り、傘をさして岸辺まで行ったが、とても観光できるような状況じゃなかった。

駅の向かいにマクドナルドが見えたので、そこで雨宿り、時間をつぶそうかと車道を横断する。しかし、豪雨で一旦、目前のユニクロが入っているビルに逃げ込んだ。すると、10階にサイゼリヤが入っていることがわかった。これ幸いとばかり、エレベーターでサイゼリヤへ。

窓際の席で、グレーに霞んだビルに取り囲まれた雨に煙る河口を見下ろしながらの、パルマ風スパゲティ、トマト風味パスタは美味で、日本よりやや高めだが(ドリンクバー含め180元=900円、日本だと600円)、ボリュームたっぷりで具も多い。ドリンクバーのカプチーノも美味しかった。

標高290メートルの九分の展望台から見下ろす山とふもとの町並み。彼方には海が開けるが、雨でグレーに霞んでいた。九分は年間通して雨が多いとか。

サイゼリヤ贔屓の私は、日本各地の同店を荒らしていたが、台湾のそれは、現地仕様でローカルフードもあったりで、なかなか趣向が面白い。何より展望抜群で、店内は広々しており、食後も飲み放題のコーヒーを啜りながら、のんびりできる。外は雨だし、格好の暇つぶしである(残念ながら、フリーWiFiは不可)。台湾グルメもよそに、淡水まで来てサイゼリヤかと、我ながら呆れないでもなかったが、雨宿りには最適だった。結局、雨は止まず、淡水観光はふいになった。

午後は台北に戻り、乗り換えで西安駅で下車、近くのバス停から、九分(分は正しくはイと分を合わせた漢字)行きの高速バスに乗った。90元だったが、バスにはお釣りの用意がないので、100元取られた。台湾のランドマークとして名高い、101タワー(高さ508メートル、地上101階、地下5階)を車窓に見ながら、1時間ほどで高地の九分(新北市)に着いた。

九分は、19世紀末から20世紀初頭のゴールドラッシュ時代に栄えた金鉱の町で、閉山後も、時代を遡ったかのようなレトロな町並みが残り、台湾屈指の観光地だ。

雨の中、細い路地に入り、予約したホテル「九分巷居民宿」のアドレスを両側の店の適当なところで見せては訊いて、くねくねと続く狭い通り、細い坂道や石段がところどころ折れた路地奥に覗く、不思議な迷路のような細道を進んでいった。

そのうちの1軒のお菓子屋の女店員が気を利かしてホテルまで電話してくれ、スタッフが迎えに来てくれることになった。店内で待つこと15分、女将が現われ、道案内、親切な店員にお礼を言って、迷路のような路地をあとについて進む。

日が落ちて、九分の路地奥は幻想的な赤い提灯が両側に並ぶ小店の軒先に連なり、ノスタルジック。「千と千尋の神隠し」のモデルにもなったところで、日本人旅行には名高い。

女将が翻訳アプリを使って、「雨だし、山の上の本館まで行くのは大変なので、近くの部屋に変えてもいいか」と訊いてくる。部屋代は同じ1000元(約5000円)なので、OKすると、さらに進んだ突き当たりの角を降りた途中の路地奥の隠れ家のような部屋に連れていかれた。台北の超狭頭突き宿に比べると、広めだが(といっても6畳ほど)、ダブルベッドに、シャワー・トイレ付きの美室で、ほっとする。

既に薄暗くなっていたので、今日はもうどこにも出ずに大人しくしようと思ったのだが、ちょっと買い出しに出たのが運の尽き。帰り路が分からなくなって各所で聞き周り、1時間余り迷路をぐるぐる、赤ちょうちんの連なるノスタルジックな通りを愛でるどころでなく、同じ界隈を何度も迂回した挙句に、飛び込んだ民家のご主人に縋ってスクーターで送って貰う羽目になった。

部屋の前では、女将が心配そうに待機していた。私はきまり悪かった。しかし、終わり良ければすべて良し、その夜は、台北最悪の第1夜の不眠を挽回すべく、清潔な部屋でぐっすり眠った。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)。

編集注:「九分」の「分」は正しくはイと分を合わせた漢字です。