【銀座新聞ニュース=2015年4月7日】アートギャラリーエムハッシー(Art Gallery M84、中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル5階、03-3248-8454)は4月6日に白岩登三靖の写真展「ミラー(MIRROR)」のオープニング・パ-ティで開いた。
アートギャラリーエムハッシー(Art Gallery M84)のオーナーの橋本正則(はしもと・まさのり)さんは写真家の白岩登三靖(しらいわ・とみやす、1940-2002)の存在を知らなかったが、娘の白岩砂紀(しらいわ・さき)さんと出会い、父親の存在を知らされ、その写真集を見たことから、この個展は始まった。
リコーでカメラの販売、開発などに長年携わってきた橋本正則さんにとって、1970年代、1980年代にアナログの写真で、複数の写真を組み合わせて、加工した作品を作ることは「まったく考えられない」ことで、あるがままに撮影するのが当然の時代だった。
それに対して、白岩登三靖はグラフィックデザイナーとしてグラフィックデザイン界をリードしてきたこともあって、写真に出会ったことで、趣味の世界で写真を加工するのは当然の発想だった。
ただ、現在のデジタルカメラの世界では簡単に処理できる加工も、アナログ写真の世界では、江戸時代の浮世絵のように、複数の画像を重ねていく「版画」の技を取り入れるしかなく、そうして出来上がった作品を「楽しめる時代ではなかった」(橋本さん)という。
しかし、白岩登三靖はあくまで自分の世界を貫き、その作品を評価したのがアメリカ・ニューヨークにある国際写真センター(International Center of Photography、ICP)だった。当時のICPの会長、コーネル・キャパ(Cornell Capa、1918-2008)は図録のイントロで若き写真家、白岩登三靖の作品を絶賛し、常設写真ギャラリーで3回も個展を開いた。
今なら誰でも作れるお手軽な作品だが、それをアナログで実現した白岩登三靖の作品を見ると、自然の樹木を撮影した中に、ミラーと称して、鏡に写った樹木を挟み込み、見るものをあ然とさせてしまう。作者の意図はわからなくても、自然を楽しんでいる作者の遊び心は伝わってくる。
つまり、「写真とは遊び」という、いわば現代アートの基本がここでは表現されており、当時の目の前の現実をありのまま撮影する、それも美しく撮影することが当然と思われている時代においては、白岩登三靖の作品は異質で理解されなかった。
しかも、白岩砂紀さんによると、資生堂がその作品を広告に使いたいと白岩登三靖にお願いしても、それを断ってしまう、という今では考えられない、写真家の本質を貫くという矜持をもっていることに驚きを禁じえない。
白岩登三靖は若いころボクサーを目指し、リングに上っただけに、ケンカにも強く、親族のひとりは「若いころはよく新宿でケンカしては朝帰りして帰ってきたと言ってました」と語る。その白岩登三靖の本質が面倒見のよさで、親族のひとりは「よくアメリカから人が来ると、何かと面倒をみていたんですよ。ICPの紹介らしいんですが、一切、お金を取らないんですよ」と苦笑する。
グラフィックデザイナーでありながら、写真家の世界に進み、アメリカで高く評価されながら、日本の写真界では、決してスポットライトを浴びせられることのなかった白岩登三靖の世界を、現代のプロの写真家はどう評価するのだろうか。